一章 5

 トラヴァリア王国王都、アインドルフ邸。

 歴代当主の意向により、あまり派手な装飾等はない。しかし、見るものが見ればさりげない心遣いや品の良さを感じさせる設計であり、建築材も上質なものがふんだんに使用されている。公爵家としての権威を充分に感じ取れた。

 執務室は日当たり良好で、窓を覗けば鮮やかな花々が咲き誇る庭園が見渡せる。

 冷めつつある紅茶で口を湿らせる。

 先日娘を招き入れたときよりも少なくなった書類に目を通しながら、ルーカスはひとり嘆息していた。


「今回お伝えするのは、比較的単純で手間がかからず、かつ失敗したときのデメリットが少ないものです」

 うがい、手洗い、そして手指の消毒。

 シャルロットが提案したのはこの三つのみである。

 どうやら細菌やウイルスは手などを経由して口から体内に侵入することが非常に多いらしく、この三つを徹底することで予防として大きな効果があるとのことだ。

「抗生物質やワクチンがあれば併用したいところですが、流石にそこまで高望みはできませんから——ひとまずはこの三つを徹底すべきです」

 あまりに簡単で単純な内容にルーカスは最初、やはり信じられなかった。

 だが、うがい手洗いに関しては庶民でも負担がほぼなく実行可能であり、手指の消毒に関しても酒を少し加工することで左程手間もかけずに消毒液を作成することができた。

 半信半疑ながらもルーカスは国王にも働きかけ、うがい手洗いを徹底することを庶民に至るまで呼びかけた。合わせて作成した消毒液を重要な施設に提供し、手洗い後に使用するようにも指示を出した。


 そしてひと月。

 流行り病に関する資料を見て、ルーカスは瞠目した。


 明らかに流行り病に罹る人数が減っていた。

 もちろんゼロにはなっていない。けれども、間違いなく減少し続けていた。

 特に消毒液を提供した施設では新たな感染者がほぼ発生していない。王宮宛に感謝の文が届いたほどである。


 これが『医学』か。

 ルーカスは熱心に資料の検分を続ける。

 シャルロットが言うには、これでも対策は半分にも満たないらしい。今のトラヴァリア王国の技術では、できないことも多いそうだ。

 この世界では、治療といえば治癒魔法だ。市井では治癒魔法を受けられないものが薬草の類を利用することはあれども、効果がはっきりとしない民間療法に近い。王宮としての研究はもっぱら魔法を使用しての治癒だった。

 そんな中、シャルロットが提案したのは、魔法にも薬草にも頼らない未知の方法だった。そしてそれは確実に効果を発揮した——彼女の知る術の半分ほども実施していないというのに。

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