第1話チャプター2 「それは誰かの願いを引き受けること」2

 ミシュル北東区の奥にフィルが足を踏み入れたのは今回が初めてだった。北東区はいわゆる富裕層、更に奥は超が付くほどの富裕層が住んでいる地区だ。フィルのような一般庶民には縁遠い場所だ。

 アルスハイム工房がある中央区から新聞に載っていた地図を頼りに、北東区まで歩いてきたが、途中から地図が不要になった。

「たくさん人がいますね。この人たちも同じ目的ですかね」

 レスリーがあたりを見ながら言った。

 周囲を見れば、フィルたちと同じも目的であろう人たちが増えてきた。先の方を見て、人影が確認できた。

「そりゃあ、300万Jだろ? 俺たちと同じように話ぐらいは聞いてみるかっていう考えの人たちはいるだろ」

「ライバル多くて大変だ……」

「レスリーは、もう依頼を達成できるつもりでいるのですか?」

「そりゃあ……?」

 アストルムの質問に、レスリーは曖昧な笑顔を浮かべて答えた。

 依頼達成については、正直なんとも言えない。

 広告に出ている情報だけでは何もわからない。

 アーティファクトで依頼を達成しようとしても、情報が足りなすぎて、フィルの中にはまだ何も描けていない。

 ライラ・プレストンは一体何を思ってあの広告を出したのだろうか。

 それがわからないと、どういうアプローチを取っていいのかもわからない。

 しばらく歩いたところで、それが見えた。

 北東区に入ってから三十分ほど歩いたところで、それが見えた。

 大きな門、その中には広い庭園と、遠くに屋敷が見える。

 なにもかもスケールが違った。

 これが普段関わることがない超富裕層の邸宅かと、言葉がなかった。

 門で簡単な手荷物を受けて、門を潜る。

 奥の屋敷よりも、まずは手入れが行き届いた美しい庭園が目に入った。正面には大きな噴水、左右の花壇に咲くバラが印象的だ。ところどころには壺や彫像なども置かれていた。

「世の中こんな豪邸に住んでいる人もいるんですね……」

「ここまで広いと、掃除大変そうですね」

「モーリス・プレストンの総資産は5000億J超えると言われてるんだし、このぐらいは余裕だろ」

「ひぇ……」

 その金額にレスリーの足が止まった。

 5000億Jという数字はフィルにとっても現実感がまるでない。だからこそ、モーリスがそれに値するほどの活躍をしてきたというのも事実だ。

「5000億Jって……もう働かなくていいじゃないですか……」

「モーリスは災害があれば復興支援に寄付したり、慈善活動にも精力的だったって聞いてるよ」

「素晴らしい方ですね」

 モーリスは大陸横断列車の事業を成功させた後は、各地への援助や支援活動に積極的だったと聞く。

 以前、新聞で読んだことがあるが、モーリス自身は自分がやっていることは特別なことでなく、自分が受けてきた恩を返しているだけだと言っていた。元々、モーリスは裕福な家庭で育ったわけではなく、少年時代はだいぶ苦労をしたらしい。そこからいつか人のためになることをしたいと、勉学に励んだらしい。彼のそういったエピソードからも決して成功ばかりが続いたわけではなく、苦労を重ねていたというのが窺える。

 しばらく歩いたところで、やっとプレストン邸が見えて来た。

 これもまた広く大きなものだった。

 左右対称に作られた二階建ての屋敷は、どれだけ部屋があるのかも想像出来ない。

 大きな玄関のドアは開け放たれ、玄関ホールは二階へと続く階段が二つ設置されている。そこから続く廊下の壁に飾られている絵画のうちいくつかは芸術に疎いフィルでさえ、その名前を知っているものだった。

 芸術品が展示された廊下を、案内役の執事について歩いていくと、大広間に通された。普段は富裕層を招いて舞踏会でもおこなわれているのだろう。だが、今日はいつもと目的が違う。大広間にはライラの広告を見た、およそ4,50名ほどの人が確認できた。

 フィルたちが大広間に入ると、同時に玄関の扉が閉められた。

 どうやらこれで締めきりといったことなのだろう。

 大広間の中は、今回の依頼主の登場を待ちながらも、ざわめきで溢れていた。

「お集まりの皆様、どうかお静かにお願いします」

 大広間の奥に佇む精悍な顔立ちをした初老の執事が声を発した。

 決して大きな声ではない。

 それでもざわめきの中でも、後ろにいるフィルの耳にはハッキリと聞こえた。

「お静かに」

 もう一度、彼が言うと、大広間に静寂が広まった。

「ありがとうございます。それではライラ様」

 執事が礼を述べ、目線をドアに近くにいたメイドに向けると、ゆっくりとドアを開けた

 金色の長い髪をたなびかせた黒いドレスの女性が姿を現した。悠然と中央へ歩いていく。その姿を大広間全体の視線が追う。

 正面を向いた彼女の頬はこけ、メイクで隠しているのだろうが、それでも泣き濡らしたであろう目は腫れていた。彼女の顔から心労で疲弊していることが窺える。

 夫であるモーリスを亡くしてからまだ数日しか経っていないのであろうことから、彼女がまだ悲しみに中にいることを察することができる。

「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。わたくしがライラ・プレストンです」

 キレイな角度で一礼し、顔を上げた。

「この場に集まっていただいた方々は、私が新聞に掲載した広告を見られた方々でしょう」

「あー、そうだよ。アンタの依頼を受けに来たんだよ」

「成功報酬は300万Jなんだろ?」

 ライラの言葉を遮るように、次々と声が上がる。

 徐々にざわめきが大きくなっていく。

 彼女はそれに動揺することなく、言葉を続けた。

「私の依頼はただ一つです。先日亡くなった夫、モーリスの想いを知りたい。そのための方法が魔法でも、アーティファクトでも、他の方法でも構いません。期限は一ヶ月です」

「『想い』っていうけど、それはなんだ? 曖昧すぎて、アンタが求めてるものがさっぱりだ!」

 その疑問にライラはもっともだという理解を示すように頷いてみせた。

 フィルも同じ疑問を持っていた。

 実現方法が魔法でも、アーティファクトでも構わないというのはわかった。けれど、ライラが求める想いというのはなんだろうか。それが曖昧すぎる。

「……なるほど。不明確なものをお願いするのは難しいですね」

 ライラは口元に人差し指を当てて、しばらく黙考する。

「では、彼が私をどう思っていたかを教えて下さい。まずはここまでの情報で依頼をご検討してくださる方は残ってください。もう少しだけお話しします」

 彼女がそういうと、「話にならない」「死人にどうやって聞くんだ」など、口々に文句を言って、多くの人が去って行く。

「どうする?」

 隣にいるレスリーに問いかける。

 話を聞きにきたつもりだが、それでも得られた情報は広告以上のことは結局得ることができてない。他の人たち同様に今回の依頼を受けないのであれば、ここで帰ることもできる。

「私は……もう少し話を聞いてみたいです。ライラさんはモーリスさんを亡くして、不安なんだと思います。相手がどう思っていたかを知りたい。それは普段でも言葉にしないとわからない。相手が亡くなっているんだったら、それは想像でしか補えないと思います。でも、それが正しいかはわからないから、なにかよりどころを得たいんだと思います」

「わかった。残って話を聞こう、アストルムもいいか?」

「私もそれで構いません」

 数分後に大広間に残ったのは、自分たち以外にもう一人だけだった。その一人は、燃えるような赤い髪をした女性だった。

 フィルは凛とした立ち姿の彼女に見覚えがあった。

「ルーシー?」

 声を掛けると、彼女はこちらに気づいて張り詰めた表情を緩めて、人なつっこい笑顔を作った。

「あら、フィルじゃない。アンタもこの依頼受けるのね」

「うちの新人が、今回の話を持ってきて、それでな」

 知り合いの同業者と鉢合わせことは想定していたが、それがルーシーとなるのは考えていなかった。

「残られた方が少ないので大広間ではなく、応接室に行きましょうか」

 ライラがそういって老齢の執事に目配せして退室した。

「客間に移動しますのでついてきてください」

 そういって歩き出した執事の後に付いていく。

 大広間を出て更に屋敷の奥へと向かう。

 フィルの隣にルーシーは小走りで追いついて並んだ。彼女から香る柑橘系の匂いが、昔のことを思い出させる。

「全く他の魔導技士やらなんやらは、楽に金が稼げると思ったのかしら。情けない」

 ルーシーは両腕を組み、呆れて見せた。

 こういうところは昔から変わっていない。自分がやろうとすること、成そうとすることにいつでも誇りを持っている。だから、今回のように依頼を前に去ることを決めた同業者にイライラするところもあるのだろう。

「そういってやるな。出来ないと判断して、引くことも大事だよ」

「理解はできるけどね」

 ルーシーはそれでもやはり不満そうだった。

「あのー、彼女は誰ですか?」

 おっかなびっくりな様子でレスリーがルーシーについて質問してきた。

「ああ、レスリーは初めてか。彼女はルーシー・アゼリア。ルゾカエン工房所属の魔導技士だ。目つきが怖くて、気も強いから怖いかもしれないけど、良いヤツだから怖がる必要はないよ」

「アンタね、そういう言い方やめてくれる? 初対面の子が怖がるじゃない。――初めまして、ルーシー・アゼリアよ。このフィルとは学生時代からの腐れ縁よ。よろしく」

「はい! 私はレスリー・プリムローズです。――ルゾカエン工房ってミシュルの三大工房の一つじゃないですか、すごいですね!」

 ミシュルには大小様々なアーティファクト工房が多くある。フィルが経営しているアルスハイム工房のように2,3人が所属する工房はもちろん、少し大きいところであれば20人を超える。ミーシャ・ルゾカエンが経営するルゾカエン工房は、その所属は人数は100人を超えている。規模だけではなく、作り出されるアーティファクトのクオリティ、機能もどれもレベルが高く、いずれミーシャ・ルゾカエンがエピック・アーティファクトを作り出すのではないかと言われている。

「で、そのルゾカエン工房のルーシーがここにいるってことは、ルゾカエン工房は今回の依頼を取りに来てるのか?」

「うわぁ、棘のある言い方。アンタと私の仲じゃない。やめてよ」

「え、お二人は……もしかして?」

「変な言い方するから、うちの新人が誤解したじゃないか。――こいつとは学生の時の友人だよ。だから付き合いも長いってだけだよ」

「そうなのですか? 二年ほど前まではよくルーシーさんが工房に来られていたと思いますが……」

 アストルムの言葉にレスリーが再び疑いのまなざしを向けてくる。フィルは居心地が悪そうに彼女の言葉を否定する。

「アストルム? それは誤解だ」

 それにルーシーも乗っかった。

「別に甘酸っぱい何かがあったわけじゃなくて、イディニア国立魔導技士学校を卒業してから駆け出しの魔導技士同士、ずっと魔法理論とアーティファクトの論文についての討論をしてただけよ。――話を戻すけど、私がここにいるのはルゾカエン工房は関係ないわ。あの工房の中もいろいろとあって、私は自分の実績作りに来てるだけよ」

 そういって彼女はつまらなそうに視線を前に向けた。

 ルーシーとの再会は二年ぶりぐらいになるか。

 彼女がいうようにお互いに魔導技士として、毎週のように議論していた時期もあった。だけど、学生の身分から工房所属になって自分の仕事もこなさないといけなくなり、気が付けば、疎遠になっていた。

 その間に、彼女もルゾカエン工房内で、フィルが想像できないような事情を抱えるようになったのだろう。

「こちらになります」

 そう言われて通された応接室も内装は豪華で、絢爛豪華な装飾品で溢れていた。

 中央のテーブルとソファに、ライラが既に腰掛けており、テーブルの上には紅茶とケーキが人数分並べられている。

 促されて、ソファに腰を掛けた。

 話の口火を切ったのは、フィルだった。

「それでライラさん、ご主人の想いを教えてほしいと言われていましたが、もう少し具体的なところを教えてください」

「まず、私の依頼は言葉通りです。ただ、それが依頼をする上で、抽象的なところもわかっています。そこで彼の遺品から生前の想いを少しでも教えていただけないですか?」

 それは。とルーシーが、フィルの言葉を引き継いだ。

「つまり、ご主人の遺品に込められた想いを何らかの方法で、再生、再現してほしい。ということで良いですか?」

 ライラの言葉を噛み砕いて、依頼の趣旨の確認をした。

「はい。本来は……私から彼への問いかけの答えを知りたいのですが……それは難しいと思いますので」

「問いかけ?」

 レスリーの疑問にライラは視線をジッとカップの琥珀色の水面へと向けた。

 時間にすれば、数秒。

 ライラの沈黙に場の空気が重くなり、沈黙は体感ではもっと長いものに感じた。

「……私と一緒にいて、幸せだったの? と彼に問いかけたのです。ですが、何かを言いかけて、でも、その言葉を最後まで聞くことができなかった。それが心残りで今回の依頼となりました」

 ライラは、言葉を切って、再び続ける。

「私とモーリスは結婚こそしましたが、日頃多忙なモーリスとの会話はそれほど多くありませんでした。だからこそ、私は彼がどう思っていたのか知りたいのです」

 ライラの言葉に、隣のレスリーが強く手を握るのがわかった。

 きっとレスリーはライラの言葉に共感や理解を示し、この依頼を受けたいと思っているのだろう。

 アストルムが小さく手を挙げた。

「事情は把握しました。私から質問させてもらっても良いでしょうか?」

「はい、なんでしょうか?」

「遺品からの想いを……とのことですが、どの遺品という指定はありますか? また再生、再現された想いに対して、どのようにして依頼達成と判断されるのですか? ライラ様が思い描く答えだったらでしょうか?」

 アストルムの質問は、何を持って依頼達成とするのか、何か条件があるのか、といった事務的な確認だった。

 ドライな対応かもしれないが、そう言った部分も依頼を受ける上では必要なことだ。

 彼女の質問にライラは、しばし黙考した。

「まず遺品については、こちらでモーリスが毎日綴っていた日記を用意します。それをご使用下さい。また依頼達成の判断ですが、やはり明確な基準は言えないですが、皆さんの成果から判断とさせてください」

 プレストン邸に来たときから感じていたが、ライラは自分の依頼を明確に出来てないのだろう。モーリスが自分のことをどう思っていたのかを知りたい。それが先行して、新聞の広告に繋がったのだろう。

 だから、問われる度に考えて言葉にしているが、それでも明確にならない部分があるのだろう。

「他にご質問はありますか?」

 ライラの問いに、それぞれ首を横に振った。

「では、皆さん、私からの依頼をお受けいただけるということでよろしいでしょうか?」

「アルスハイム工房はライラ・プレストンさんの依頼をお受けします」

「ルゾカエン工房ルーシー・アゼリアも同じです」

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