予想の外のアレコレ

 かつて私は、ロングツーリング・ライダーだった。

 ちょいと調べてみたところ、ロングツーリングには色々な定義があるようだが、中型二輪免許を取得した時に関東在住だった私が、途中で数泊挟みながら一二〇〇km先の実家に単独で帰省した件は、立派にロングツーリングだっただろう。およそ半分は一般道を走り、寄り道をしながらだったので、日に平均三〇〇km~四〇〇km走りながらの旅だった。

 その後、実家に戻って仕事に家事にと忙しくなった私は、「ちょっと息抜きに出て来る」と言ってさらりと県境を越え、温泉地の大衆浴場に入って来たり、人けのない海で潮風を堪能して帰るということは、いつものことだった。バイク便時代も含めてそんなこんなを考えると、私の一日の走行限界距離は四〇〇km前後のようだ。

 そういう自分だったので、バイク便の仕事で県境を越え、佐賀や大分や長崎に行ったり、一日で熊本に二回行ったりすることも、特に無理だとか怖いとは思っていなかった。

 だが、ここで思わぬ事態を知ることになる。

 万全の準備を整えての一週間のロングツーリングや、気紛れ単発日帰りツーリングとは違い、毎日、飯の種として走っているのだ。市内の仕事だけで一〇〇km以上、県外仕事が入ると三〇〇km前後。週休二日で月に二十二日の勤務だと、月二二〇〇km~五〇〇〇km前後の走行距離になる。───当然のことながら、各種パーツの摩耗まもうは激しく、オイル交換の頻度も高い。MYバイク持ち込みで仕事をしていたが、月に一度はどこかのパーツを交換しなければならないことに気付くのに、勤め始めてから長い時間は必要なかった。

 私が秘かに『マッド・エンジニア』と呼ぶ馴染みのバイク屋さんに依頼すれば、何の心配もなく部品交換やメンテナンスを格安でしてもらえることは判っていたが、毎月となるとかなりお財布に厳しい。元々、『自分はロングツーリングをしたい』という前提で、最初から一通りのメンテナンスが出来るようにしていた私が、『出来ることは自分でしよう』と考えたのは当然の流れだったかもしれない。けれども、その浅はかさが困った事態を招いてしまったのだ。

 

 半年の勤務の間に大小色々なことがあったが、大きな事態は二つ。

 一つは、パーツショップで買って来たバッテリーを、自分で交換したことだった。

 買って来たバッテリーの規格を間違えたわけではない。配線の繋ぎ方を間違えたわけでもない。それにも拘らず、公園で休憩している時にアイドリングをしていたら、白煙を吹いてしまったのだ。

 慌ててエンジンを切り、無事白煙は消えたが、それっきりエンジンがかからなくなってしまったのである。仕方なくその日の仕事は打ち切り、くだんのバイク屋さんに連絡をして引き取りに来てもらった。そして言われたことが、「古いバッテリーの時には、レギュレター(発電機)は一生懸命電気を供給していたんだよ。それが急に新しいバッテリーに変わって、双方のバランスの調整をしなかったから、過電流になったってわけ」とのことだった。

 結局、バッテリー周辺の配線が溶けた為、余分な修理費が掛かったのはいうまでもない。


 二つ目は、熊本に配達に行った帰り、九州縦貫道路を走っていた時のことだ。すでに太陽も沈み、直帰の指令が下りており、疲れてもいたので、速過ぎない時速八〇kmの巡航速度で走行中に、何の前触れもなくエンジンが完全沈黙をした。咄嗟とっさの判断でクラッチを切り、惰性走行に移ったものの、いずれは速度が落ちるので長くその状態が保てる筈もない。

 不思議なことに、危機に陥った時の人間の脳は、とんでもない回転数で生き残るすべを捜すものらしい。おそらく、火事場の馬鹿力の一種だろう。

 とにかく、ギアを繋げばタイヤが即時にロックして、時速八〇kmの状態で急停止し、私は車体から放り出され。確実に死ぬ上に後続車にかれて原型を残さない。急激に減速しても、結果は似たり寄ったり───ならば、速度を保っているうちに路肩へ避難するしかない。

 幸い電源は死んでおらず、ヘッドライトもウィンカーも稼働した。けれども、後続車が車線を譲ってくれるのを悠長に待っている余裕はなく、クラッチを切っている為に離せない左手の代わりに、右手で懸命に左方向を譲って欲しいとアッピールした。前方と後方を確認しながらどうやってアッピールをしたのか、そして必死の避難をしながら、何故その標識が目に入ったのか、正直言って細かいことは覚えていない。それだけ切羽詰まっていたのだ。

 視界の端に入った標識は、『◎×PAパーキングエリア・二〇〇m』!!!

 惰性走行の速度がまだ十分にある状態で、そのPAに逃げ込めたのは不吉なほど幸運なことだった。

 完全な安全地帯を確保した私は、彼の『マッド・エンジニア』に連絡を取って支持を仰いだ。返答は、「エンジンが完全に冷えたあと、周囲の車に頼んでブースターケーブルでエンジンをかけてもらえ。かからなかったらもう一度連絡。かかったら、エンジンを止めることなく店まで来い」だった。そのミッションを何とか完遂して下された診断は、「オレに黙って、安いオイルでオイル交換しただろう?」だった。

 曰く、密かに良いオイルでエンジンが痛まないようにして下さっていたのに、私が急に安いエンジンオイルでオイル交換した為に、エンジンが焼き付いたのだそうだ。勿論、その後のメンテナンスでオイル交換以上の経費が掛かった。それでもまあ、生命が助かっただけマシだったと言えるだろう。


 少々詳しいからといって、素人知識でうかつなことをしてはいけない・安かろう&悪かろうは結構真実───これらの出来事で、私は二つの教訓を刻み込んだのだった。

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