住所のない届け先

 前項で述べた新人が受け取り&配達して回る場所───役所や設計事務所、デザイン事務所や広告代理店や個人請け負いのオフィス、印刷会社やその他企業などを一通り回り、『どうやらコイツは使えるらしい』と認定されると、一段階違う仕事が回って来るようになる。

 私は、紙類やデータ類に加えて、ブツを運ぶようになった。いわゆる機械のパーツや一塊のユニットになったものである。

 これもまた知っているようで知らなかったことではあるが、関東地区や関西地区と呼ばれる県境を越えた広い単位の地区において、我が街は我が地区の中核都市だということだった。私の認識では『地区で一番栄えている&人口が多い街』程度なのだが、それはつまるところ、各種機械メーカーや重機などの総合部品センター&倉庫があるということだったのだ。

 それらの多くは埠頭近くにあるので、そのセンターで部品を受け取り、できるだけ早くに現場に届けるということになる───のだが、問題はその現場である。


 そう、時にその現場は山を切り開いたばかりの新興住宅地ので、『◎×市△◇区☆▽町開発事務所』としか書いていなかったりする。上司に、「えっと、この届け先は……?」と訊くと「行けば判る」とのこと。仕方なく指示通りに行ってみると、その場所には広大な区画分けをされた更地と整備されたばかりの道しかなく、その中にポツンと小奇麗な事務所のみの建物があるのだ。

 なるほど、これでは間違えようがないと思ったものだ。

 だが、当時都市高速を建設していた長大な現場のとある一地区の住所が途中まで記載され、『◆☆建設・縦坑たてこう内』とあった時には、困惑を通り越してちんぷんかんぷんだった。

 その頃の私にとっては『縦坑ってナニ?』だったので、一応推理してみた。振られている漢字から推測すれば、つまりは縦穴になっている工事現場なのだろう。確かに、都市高速は高架線なので、各所に基礎を埋め込む巨大なお堀にも似た穴が掘られている。つまりはその何処かルビを入力…だ。

 取り敢えず、指定された地区に行ってみると、確かに縦坑はある。それも長大かつ広大なものが。そして、見渡す限りの各所に、知っている会社や知らない会社の看板が数限りなくあって───つまり、公共事業である高速道路建設は、一社で請け負うものではないのだと改めて知った。仕方なく、看板を一つひとつ確認することで目的の会社の看板を見付け、その麓にあるプレハブの事務所らしき建物を訪ねてみると、受取人に指定されている人はに居るから降りて行って欲しいとのこと。

 はあ、降りて行くんですか? この十何メートルか何十メートルか判らない縦坑の下に? 確かに梯子やら簡易階段やらエレベーター代わりのゴンドラなんぞございますが、何処が通っていい場所なのかも判らないのに、降りて行くんですね?───と、固まってしまった私だったが、さすがに案内の人が付いて来てくれた。それはまあ、基本的に『関係者以外立入禁止』の場所だから当然のことだったかもしれない。

 おそらく、人生で二度とはない貴重な経験だったといえる。


 他にも、部品関係は県境を越えることも多く、現場住所はこれまで見た事がない表記が使われていた。

 曰く、『隣県の県庁所在地のとある公共の建物のエレベーター坑内』とか(この時は、エレベーターが上下移動する穴の中から、受取人が出て来た)、『某市の本県と二つの隣県の県境が接する辺りにある送電線の鉄塔の下にある事務所』とか……。

 知らない方の為に述べておくが、送電線というものは道に沿って走っている場合の方が少ない。多くは、田んぼの中や山の中に鉄塔が立っているもので、しかも一つひとつが遠いのだ。それを探せと?

 今であれば、ナビさえあればマップコードなるものを出してもらえると道なき場所でも割り出せるのだが、当時はマップルだけが頼りだった。それでも、慣れて来ると辿り着けるのだから、慣れに伴う人間の機転は素晴らしいと言える。


 おかげで現在のタクシーの仕事でも、「◎×って場所知ってる? 行ける?」と言われても、「知らないけど、行ってきます」と応えられるのだから、人生何が役に立つのか判らない───と、そんなお話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る