災いの前(2) ルシーナ、鬼神にこたえる

5、暗い朝


「ん? もう、朝になっておったのか」

 鬼神。

 空を見上げて、気がついた。

「・・・暗い朝だのう」

 どんよりと濁った空に、陽光、なし。

 炭と灰をかき混ぜたがごとき雲。冷たい風に、流されて来る。

 ちりちりと、肌逆撫でる、氷のごとき風。

 西から、こちらへ。

 夜のかたから、かすかな明かりの指す岸辺へ。

「西か。月から見た変な雲も、たしか、そっちの方であったな・・・」

 鬼神。

 周囲を見る。

 誰も居らぬ。

 戦い済んで、竜は去り、岸辺に残るは、鬼神1人ぼっち。

「困ったぞ」

 うなる。

 当然、誰も応えぬ。

「やれ! 困ったぞ。これは。

 娘どもに、いますぐ知らせをしたいのに。

 空飛ぶ相棒も、小っちゃい妙雅(オクトラです!)も居らんとは・・・」

 ざり、ざり。

 ガラス質の砂浜を、音高く歩く。

「あいつ、いっつもウロチョロしとったからのう。

 いつでもどこでも誰とでも、連絡がつくようなつもりでおった。

 連絡ができんというのは、不便なことだ」

 首を振る。

「万(ばん)やむを得ぬ!

 1人ぼっちとなったならば。

 1人ぼっちでできること、するよりほかになし!」

 すったらすったら。

 とある河口を目指し、走りはじめる。

「とにかく、娘どもに警告してやらねば!

 あの子らに万が一があったら、私は生きてはおれんわい!」

 走る。

 が、すぐ、浜途切れ、走れる空間なくなる。

 森に突っ込むか? 水に飛び込むか?

 ざぶーん! 水に飛び込んだ。

 ざっぶ! ざっぶ! 水蹴立て、走った。

 がぼっ。ときどき、深みにはまったりもした。

 パキン、パキン。氷の割れる音が、波の音に混じる。

「くそっ、冷たい! まだるっこしい!

 こんなことなら、わけみたま、習っておくのだった。

 お月に頼めば、教えてくれたろうに。この、ぐうたら家出男めが!」


 自分自身を、ののしりつつ。

 鬼神、河口へ突入。ばっしゃんばっしゃんと、川をさかのぼってゆく。


 その川は、『丘の街』へと続く川であった。


6、鬼神、なぞのこえをきく


 ばっしゃんばっしゃん!


 鬼神、川をさかのぼる。

 左右を木々に挟まれた、曲がりくねった川である。

 きつい地形ではない。が、張り出した木が、すごく、邪魔。

「くそっ。どけ!」

 鬼神。

 木の枝に、八つ当たり。

 六腕でビシバシへし折りつつ、進む。

 頭上にのしかかる木が行方を隠しておるのも、邪魔であった。

 先が見えぬ。後ろも見えぬ。

 自分がどれだけ進んできたのかわからぬ。

 気持ちだけが、前へ前へと、すっ飛んでゆく。

 風はだんだん強くなってくる。

 おどろおどろしい雲、一向に晴れる様子なし。むしろ分厚く黒くなってゆく。

「道を探すべきであったか?

 いや、しかし、私は道がどこにあるか、知らぬ。

 だったら、この川をさかのぼるが確実!」

 ビシ!

 バシ!

 木の枝を豪快にへし折って進む。

「初めは、この変な雲だけが心配で来たのだが・・・。

 神竜が私を狙っておるとわかったいま、娘にも害が及ぶ恐れがある!

 一刻も早く、伝えねば!

 ルシーナ。ハルモニアー。イリス。

 おまえたちには、指一本触れさせんぞ!」

 ・・・と。

 鬼神が娘どもの名をつぶやいたとき。

 がさっ。

 背後の木の上で、木の葉が鳴る。

「む! 生きものの気配!」

 鬼神、立ち止まる。

 振り向く。

 なんも、見えん。木、邪魔。

「ひらけ、巨人の眼!」

 カッ!

 鬼神、おでこの目ひらく。

 ギラリ、ギラリ、ギラリ・・・。

 暗雲の下、黄色の三眼が煌めいた(きらめいた)。

 すると、木の上から。


「めーみっつあんねん?」


 との、娘の声がした。

「むむ??? イリス?」

 鬼神、首をひねる。

 声聞いた途端、可愛い末娘の顔がぱっと浮かんだんである。

「・・・いやいや。

 イリスが、こんなところに居るはずがない。

 だいたいなんじゃ。めーみっつあんねんとは。意味がわからぬ。

 誰じゃ! 姿を現わせ!」

 怒鳴る。

 すると。

 がさがさ・・・かさ・・・・・・カサ・・・。

 音、遠ざかってった。

 鬼神。何回か呼吸するあいだ、じっと待つ。

「・・・逃げたか」

 ひらいておった第三眼を閉じて、鬼神、ふたたび走り出す。

「なんだったのだ。いまのは。

 人を惑わす、おばけかなんかか?

 あんまり気が急いとる(せいとる)もんで、幻聴でも聞いたか?

 わっはっは!」

 

 鬼神が、その声の正体を知るのは、いましばらく後のことであった。


7、門番、はやがねをうつ


 ばっしゃんばっしゃん!

 ばっしゃんばっしゃんばっしゃん!


 鬼神、川をさかのぼる。

 相変わらず左右は木々に挟まれ、前が見えぬ。

 が。

「ひい!」「なにえ!?」

 人間の声が、前方から聞こえてきた。

「む。人か」

「そ・・・そこな者! 何者か!

 我らの言葉がわかるならば、止まりなさい!」

「ハイエルフのようだのう」

 お国言葉で、相手の種族を判断する。

「──ということは、丘の街に着いたのか!」

 飛び上がって喜ぶ。

 ばっしゃーん!

「やれ! うれしや! これで娘に警告できる!」

 駆け寄る。ばっしゃばっしゃばっしゃ!

「おおい!

 撃つなよ。私は怪物じゃないぞ。

 人げ──でもないが、ええと、なんじゃ、あれじゃ、神じゃ。鬼神じゃ!

 話をしに来ただけなのだ。安心しt──」


 がんがんがんがんがんがん!


「む?」

 川のカーブを曲がった鬼神が、見たものは。

 木の柵で守られた、仮設の水門にて。

 狂ったように鐘を打ち鳴らす、番兵の姿であった。


 門番、早鐘を打つ。

 『丘の街』に、警鐘(けいしょう)、けたたましく鳴り響いたのであった。


「・・・父が、まことに、お騒がせをいたしました」

 美女。

 淡い金色の髪した、もんのすごい美女。

 すまなそうな顔して、頭下げる。

「奇天烈なる(きてれつなる)行ない。私から言うておきますゆえ・・・」

「いえ。お味方とわかった以上は」

 青いレザーアーマー着たハイエルフの男が、返礼する。

「警報は解除。歩兵、帰還せよ。門番、通常任務にもどれ」

「は!」「は!」

「しからば参謀閣下、これにて」

 すうっ・・・。

 青いレザーアーマー、暗い空へ舞い上がり、街中へ飛んでもどってゆく。

 がしゃ、がしゃ・・・青銅装備したハイエルフ歩兵ども、歩いて引き揚げてゆく。

 美人と仮設水門の門番ども、その姿を、見送る。

「あのう・・・」と門番。「街に、入られますか? 鬼神さま」

「いや」

 鬼神は、仮設水門の外に立っておった。

 びしょ濡れである。まだ、ぽたぽたと水が滴っておる。

「私が入ったら、外交だなんだと、面倒なことになるからのう」

「いえ、そなことは・・・」

「すでに! 十分! 面倒になっておりまする!」

 美女、キレた。

「父上は! 自分が引き起こしたことを! わかっとらんのかに!?」

「・・・いやいや。娘よ」

 鬼神、美女をなだめる。

「ルシーナよ。父はな、ちゃんと声をかけたのだ」


 その美女、ルシーナ。

 鬼神と月神のあいだに生まれた三姉妹の、長女である。

 輝くばかりの美貌。知恵冴え、運動でき、たくらみよくする『新生アルス』の参謀。

 よくキレる、声のでかい美女である。


「声かけたって、アカンえ!」ルシーナ、キレる。「かかる暗き朝、川走って来たならば、敵と疑われて当然!」

「・・・しょうがないだろう」鬼神、いいわけをした。「私は、道を知らんかったのだから」

「言いわけをすな」一蹴である。

「はい。すまんことじゃ」

「門番殿に一言、お詫びを」

「ちっ!」

「ひい!?」「ひええ!」

「睨めとは言うておりませぬ!」

「はいはい。わかったわかった。

 門番殿。おさわがせをして、すまんかったのう」

「いえいえいえいえ・・・そんな決して・・・任務でありまして・・・どうぞごゆっくり・・・」


8、ルシーナ、鬼神にこたえる


「ルシーナよ」

「・・・。」

 鬼神とルシーナ。

 冬の郊外を歩く。

 ざっく、ざっく。

 冷たく凍りついた雪を踏みしめて。

「機嫌を直してくれんか」

「・・・私の機嫌など、どうでもよろしいえ」

「迷惑かけてすまんかった。

 しかしな。とても大切なことで、おおあわてで来たのだ」

「私個人の迷惑ではありませぬ」

「大切なことなのだ。急ぐのだ。話を聞いてくれ」

 鬼神、ルシーナの顔を覗き込む。

 ルシーナ、そっぽ向く。

「おい!」鬼神キレた。「なんじゃ! その態度!」

「なにえ!」ルシーナもキレた。「なんじゃとは!」

「ちょっと川歩いたぐらいで、そんなに怒らんでもよかろう」

「真冬に、『ちょっと川歩く』、人間なんぞ、この世には、居りませぬ!」

「・・・まあそうだが、そんなに怒らn──」

「こな時間に、警鐘騒ぎ!

 同盟国に迷惑をかけ、我が国に恥をかかせた!

 私の気持ちごとき、小さな問題で、怒っておるのではありませぬ!」

「む」

「・・・父上は、外交というもの、わかっておられぬ」

「はあ。まあ、文明的な人間ではないわな。私は」

 鬼神。

 もと、野人。

 外交なんぞ存在せん荒野で育った。

 国王のときには、無理して頑張った。だがその反動で、余計に外交、嫌いになった。

 ため息つく。

「・・・すまぬ。おまえは、ルーンお嬢さんと、大事な役目をやっとるんであったな」

 そのツノ生えた額に。

 ぼたっ。白い冷たいもの、当たる。

「雪か」「また雪かに」

 父娘、同時にぼやく。

 冷たく重い牡丹雪(ぼたんゆき)。

 見上げれば、暗かった空が白くなるほど、渦巻いておる。

 風もじわじわと強くなっており、森の中の道を歩いておっても、肌に突き刺さるようである。

 ルシーナ、フードかぶる。マントしっかり閉じ合わせた。

「寒いか? 娘よ」

「寒いですえ」ルシーナ、父を見る。「父上は、平気なんかに?」

「いや、寒いが」

「凍傷になりますえ。そな、濡れたまんまで」

 ルシーナ、鬼神のふともも叩く。

 パキンパキン。薄氷砕ける。

「大丈夫じゃ。月の夜にさんぽしてみたこともある」

「ええ・・・?」

 月の夜は、とんでもなく寒くなる。氷点下どころではないんである。

「知りませんでしたえ」

「おまえらに言うたら、『私も行く』と言いそうだったのでな」

「イリスは言いそうですに」

「おまえもじゃ」

「私は言いませぬ」

「はいはい。それで、秘密で試したわけじゃ」

「はあ。ひみつですか。母上には?」

「言うたぞ。というか、ついてきて、寒い寒いと怒っておった」

「ははあ」ルシーナ、にやにやする。

「おい。変な想像をするんじゃないわ」

「しておりませぬ」

「しとる顔じゃ」

「しておりませぬ。

 ──して、大切な話とやら、余人に聞かれてもええ話ですかに?」

「誰か居るのか?」鬼神、きょろきょろする。「あ、そう言えばさっき、イリスみたいな声を聞いたのう」

「は?」

「いや、森の中でな」

「イリスはいま、水軍基地ですえ。湖のほとりの」

「そうか。では、幻聴だな」

「そな阿呆な。高いところから落っこちて、頭でも打ったのですか?」

「うむ。落っこちたが」

「・・・なにえ。平然。

 私が言うたのは、ハイエルフは耳が長いという意味ですえ」

 ルシーナ、フードの中で長い耳ぴこんぴこんした。

「盗み聞きか」

「はい」

「うーむ・・・盗み聞きされんでも、いずれ伝わる話ではあるが・・・」

「では人払いして聞きましょう。

 仮庁舎では騒ぎになりますゆえ、ボロ屋に来てもらいますが」

「私はかまわんが。

 ルシーナは、寒いんじゃないのか?

 おまえ、朝強いほうではなかったろう」

「わかっておるのならば、もう少し静かに来てほしいものですえ」

「はい。すまんことじゃ」


 ルシーナが『ボロ屋』と言うたのは、兵舎であった。

 仮庁舎近くの、運動場。のそばに併設されとる、木造の長細い平屋である。

「急ごしらえやに、すきま風と雨漏りがひどいのですえ。

 そやに、ここなハイエルフのストーブ、がんがんに焚きますれば・・・」

 ルシーナ。

 しゃべりながら、ストーブに小枝と枯れ葉入れ、火付ける。

 そこは兵舎のいちばん奥の指揮官室であった。他の部屋には雑魚寝ベットとストーブしかないところ、この部屋だけは個人ベットで、ストーブもでかく、テーブルも置いてある。

 ノックの音。

「なにえ」

「カバリオ隊長です。ルシーナ参謀がお呼びとのことで、参りました」

 ルシーナ、扉開ける。

 カバリオ隊長。小柄な茶のダークエルフの男。敬礼する。

「うむ。見ての通り、我が父上がいらっしゃった。

 秘密の話があるゆえ、人払いをお願いしたいのやが」

「は! 了解しました。しばらく確認の時間を頂けますか」

「うむ」

 扉閉まる。

「妹たちはどうしたのじゃ?」と鬼神。

「ルーン、ハル、イリスは、出かけておりまする」

 ルシーナ。

 ストーブに手かざしながら答える。

「ハルモニアーが遠征団を率いることになりまして。

 ルーンとイリスは、見送りに。

 もうそろそろ、船出しておるはずですえ」

「船出か・・・」

 できれば、娘どもはみーんな、月に逃がしておきたい鬼神である。

 唇を噛んだ。

 その表情で、ルシーナも『危険があるようだ』と察したらしい。こう付け加えた。

「万が一の場合には、いつでも連絡がつきまする。

 妙雅がオクトラを1機、予備機まで出してくれましたに」

「そうか」

 鬼神もストーブに近付いた。

 ぱちぱち・・・火の明かり、音、あったかさが心地よい。

「各地のダークエルフに新生アルスを宣伝し、人を招かねばなりませぬ。

 キノコ農家と商人は急務ですえ。治療師もまったく足りておりませぬ。

 巫女は、『湖の神殿』がものすごく積極的なのですが、それ以外は何もかも足りませぬ」

「人が足らんか。

 巨人の国も、嫁が足らんと、イリスが言うておったのう」

「巨人の国といえば、大臣たった数人で国を回しておりますが。

 いったい、どうやっておるのですかに?」

「うーん。

 あそこは、巨人のお弟子さんが何でもやらされる国だからのう。

 巨人の王が『やれ』と言うだけで、給料とかもないし」

「どうやって経済をしておったのです?」

「やっとらんかったな。いまは知らんが」

「食料はどうしておったのです?」

「・・・知らぬ」

「巨人はもんのすごく大食らいと、兄者らに聞きましたが。

 どう見ても、それほどの食料を輸入もしておらず、生産もしておりませぬ」

「む・・・う、うむ・・・」

「鍛冶にしてもそうですえ。

 空飛ぶ台をあれほど量産する原材料。いったいどこから?」

「むむむ・・・? 知らぬ」

「秘密の多い国ですに。父上も知らぬとは」

「言われてみれば・・・」

 ノックの音。

「なにえ」

「カバリオ隊長です。参謀閣下に報告」

 ルシーナ、扉開ける。

「確認、完了しました」

「うむ。ではしばらく頼む」

 扉閉まる。

 ルシーナ振り向く。

「さて、人払いはいたしました」

「そうか。では・・・」

 鬼神が言うよりも早く。

 ルシーナは、綺麗な指を立てて、こう言うてきた。

「当ててみせますえ。

 ──神竜のことで、我ら姉妹に『逃げよ』と言いに来た」

「なんと!」

 鬼神おどろく。

 ルシーナはちょっとうれしそうな顔をした。

 それから、真顔になった。問われるよりも先に、鬼神に答える。


「私は、アルスを守りまする。逃げるのは、なし」

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