新たな神(後)

3、名づけ


 赤猿と、目がひとつしかない巨人の娘。

 つつがなく結婚。子供もばんばんできた。

 赤くて大きな猿のような男ばっかり、次から次へと。どいつもこいつも父親似。額の左右にツノが生え、人間の赤ちゃんより遥かにでかい。

 あ、ただし、赤ん坊は6本腕ではないのですよ。みな2本腕だ。また、目はひとつではない。ふたつあった。どいつもこいつも頑丈で、母の乳をがぶがぶ呑み、どんどんでかくなる。

 赤猿も目がひとつしかない妻も、元気な息子どもに囲まれ、とても幸せであった。


「巨人の王よ、こうしてみれば、これが私の種族の姿のようですな」

 赤猿、息子どもを眺めて言う。

 赤猿には長男と次男がぶら下がっておる。赤猿の六腕を木の枝に見立てて、木登りみたいなことをしておるのだ。巨人の王は大きすぎてあぶないので、うつ伏せになっておられる。そのとてつもなく広い背中に三男がのびのびと寝転がって、いびきをかいておる。

「そうですな、陛下」

 巨人の王はうやうやしく言った。

 結婚して以来、赤猿のことを『陛下』とうやうやしく呼ぶのである。

 赤猿はくすぐったがったが、巨人の王は絶対にこれをやめんかった。ただ、陛下と呼ぶ以外は、ぞんざいであった。

「陛下。そろそろ、種族の呼び名を決めてはどうじゃ」

 陛下とか言うときながら、続く言葉がぞんざい。 

 赤猿も全然気にしとらん。

「種族の呼び名ですと?」

「そうじゃ。陛下と陛下の息子どもの呼び名じゃ」

「私の・・・」

「なんとなれば、あなたは新たな種族の父祖なのじゃからして。

 父祖を含めた子々孫々の名を、決める必要があるわけじゃ」

「なるほど。言われてみれば。しかし、考えておりませんでした」

「とっとと決めるがよい、陛下」ぞんざい。


 さて、みなさん。赤猿自身にも名がないのに「種族の名前をつけよ」というのか? ヘンな話では? と思われたかもしれない。

 これはですね。

 巨人には、個人の名という概念がなかったのです。

 神々も巨人も、寿命というものがない。しかも、めったなことでは死にゃせぬ。『巨人の王』はずーっと昔から王さまで、代替わりなんぞしたことがない。

 じゃによって、名前を持つ必要がなかった。『初代キョジーン』とか『第2代ムコ=アカザール』なんて名はいらんかったというわけなのじゃ。

 しかし、種族の名は必要じゃ。さっさと名乗らねば、他人にあだ名を付けられてしまう。『軍神リッキーのヨロイ』みたいに。さすがにそこは巨人の王、抜かりはないということじゃ。


「むずかしいな」赤猿はため息をついた。「思いつきそうにない」

「さあらば、王妃殿下に諮る(はかる)がよい」

「ではそうしましょう」

 赤猿は三男を巨人の王の背中からつまみ上げ、長男と次男を左右の手にぶら下げたまま、歩きだした。目がひとつしかない妻の居る赤子の部屋へ向かうのであった。巨人の王はそれを見送り、そろりそろりと起き上がって、工房へもどった。

 赤子の部屋。

 子を産んだばかりの、目がひとつしかない妻。赤子を抱いて、ゆらゆらと揺すっておった。

「おまえ。起きておったか」

「あなた。私は大丈夫ですわ。いつもどおりということです」

「まったく、たよりになる母親だわい」

 目がひとつしかない妻はじつに安産で、お産があぶなくなったことは一度もないのである。

 赤猿はこれなら大丈夫と見て、種族の名のことを持ち出した。

「・・・というわけでな。私はどうもよい名が思いつかん。おまえに考えてもらいたい」

「では、よい名がございます」

「ほう。どんな名だ?」

「鬼」

「おに?」

「いまだこの世に居らなかった者、という意味ですわ」

「鬼か・・・」

 オニ、オニ、オニ・・・

 呟きながら、赤猿は部屋の中をウロウロした。

「鬼、鬼・・・」

「おに、おに」

 歩けるようになった長男どもが、真似をしてよちよちついてくる。

 赤猿、長男を振り向き「鬼、鬼」

 長男、赤猿を見上げて「おに、おに」。きゃっきゃと笑う。

 そうして練り歩くうち、「おに」の音がしみこみ、すっきりと感じられてきた。

「鬼! うむ! よい名だ! 息子どもにとても似合うように思う」

「ではそう名乗らせませ」

 赤子を撫でながら、目がひとつしかない王妃はさらに言うた。

「あなたも、『巨人の王の王』では不便ですわ」

「・・・うむ。まあなんだ、お弟子さんたちも、誰も私を呼んでくれなくなったのだ。

 呼びにくいから呼ばんのではと思うのだが」

「そうでしょう」

「といって、無下(むげ)にすると、義父上が傷つきそうだしのう」

「心配ありませんわ。私にお任せください」

「おお。そうか。ではたのむ」

「はい」

 目がひとつしかない王妃は背筋を伸ばし、こう言うた。

「きしん」

「きしん?」

「鬼どもの神、鬼神ですわ」


4、新たな神


「神だって?」赤猿は飛び上がった。「いや、いや! 私は神などではない」

 目がひとつしかない妻は首をかしげた。

 『言いたいことがあるなら言うてみよ』のポーズである。

 このポーズになった妻に言い勝ったこと、一度もなし。

 しかし、無謀にも、ごねる。

「私はだな。ただの、赤い大地の神と、暗い霊峰の女神の息子なのだ」

「いいえ。あなたはもう、子供ではありません」

「・・・うん、それはそうだが。

 でもあれだ、私なんぞは、冒険を求める放浪(ほうろう)の者にすぎぬ」

「いいえ。あなたはもう、放浪者ではありません」

「・・・うん、それもそうだが。しかし・・・しかし・・・うーむ・・・」

 目がひとつしかない妻はゆっくり待ってから、告げた。

「あなたは、この世でただひとり、巨人の王を倒された御方。

 あなたは、この世に生まれた新たな種族の、父祖たる御方。

 あなたはこの子らの、たった1人のあこがれ」

「子らのあこがれ・・・」

「あなたは、この子らの神。

 鬼どもの神、鬼神。それが、これからのあなたです。

 名にふさわしくあらせませ」

「きしん」長男が唱えて、見上げてきた。「きしん」

「鬼神か」

「きしん」長男はにっこり笑う。

「鬼神・・・」


 胸の奥に、何か、沸き上がって来おる。

 なにか、新しいもの。

 温かく、しっかりとしたもの。


「私はやろう」

 それで、こう言うた。

「初めは、神なんてとてもそんな! と、思うたが。

 いや、私はやろう。

 鬼どもの神、鬼神となろう。

 この子らのためにやるのだ。

 『おまえらの源(みなもと)、ここにあり』とな」

 目がひとつしかない妻はなにも言わず、微笑んだ。

「・・・ただし」

 六つの拳を合わせて唱える。

 そのようにするとき、六つの拳はぴたりと六角を描くのであった。

「いつか、私たちの息子の中に、私を倒すほどの者が出てきたとき。

 そのとき、私は『鬼神』を譲ろう。

 巨人の王が、私にしてくれたように。

 これが公平というものではなかろうか」

「あなた、それはまことに公平なお考えでございます」


 『鬼神』はこうしてこの世に生まれた。


 この誓い。

 『鬼神に勝った者が次の鬼神となる』との誓言(せいごん)。

 鬼どもはみなこの言葉を知っておる。そして、どいつもこいつも、絶対に鬼神をぶん殴ってやるのだと考えておるという。

 初代鬼神、巨人の王を殴り倒すような無双の力士。殴り勝つなど不可能ではないか。一発当てることすら、至難のわざであろう。だが、鬼どもはあきらめぬ。父祖たる鬼神をぶん殴り、新たな鬼神となってやる──これが、鬼どもの夢。これが、神の言葉に報いる道と、鬼どもはみな、固く信じておるのである。


「義父上。名が決まりましたぞ。『鬼』というのです」

 巨人の王の工房へ向かい、報告する。

 ハンマーをがんがん振るっておった巨人の王。

 手を止め、向き直り、にっこりとうなずいた。

「おお、よい名じゃ。どんな意味じゃ?」

「ふっふっふ。それはですな。

 『この世にまたと居らん者なり』という意味なんですぞ!」

 微妙にまちがった説明をしておるところ。

 目がひとつしかない王妃もやって来た。子を産んですぐなのに、けろっとした顔である。

「おお、王妃殿下。歩いて大丈夫なのか?」ぞんざい。

「はい、父上。私は大丈夫ですわ。

 それでです。

 巨人の王の王陛下にも、名をお贈りいたしました」

「ふむ?」

「鬼神」

「鬼神? 神さまか?」

「はい。鬼どもの神、鬼神ですわ」

「陛下じゃなくなるのか・・・」巨人の王はがっかりした。

「いいえ」目がひとつしかない王妃は笑った。「鬼どもの神が、巨人の王もやってくれるのです」

「それならめでたいことじゃ!」巨人の王は喜んだ。

「どうです義父上。私が鬼神だ。かっこいいでしょう」

「キシンか。よいのう。音もキョジンと似ておって、仲も良さそうじゃ」

 目がひとつしかない娘は微笑んだ。「では、私はこれで」

「うむ。よい名を考えたな」

 目がひとつしかない王妃、退出。

 鬼神、巨人の王、しばらく無言で確認する。

 王妃、完全に退出。確認。まちがいなし。

「・・・鬼神か」と巨人の王。

「大それた名で、ちょっと恥ずかしかったが」と鬼神。「とてもよい名だ。大満足ですぞ」

「・・・うむ。ま、そなたは神々の息子じゃからして、神さまとなるほうが自然じゃわな」

「なんだ。引っ掛かるような言い方ですな」

「いや! ちがうちがう! そうではないのじゃ。

 娘には敵わんのうと思うたまでじゃ」

「とおっしゃると?」

「じつは、わしは『新巨人』とか『超巨人』とか考えておったのじゃ。

 そこへ来ると、娘は『神』じゃからのう」

「義父上、名付けのセンスはないな」鬼神は心密かに考えた。「私より悪いかもしれんぞ。妻に任せて、正解だったわい」

 そんな評価をされておるとも知らず、巨人の王。まだ娘が戻ってこないか気にしつつ。

「・・・ここだけの話じゃが。

 娘はちょっと、センスがごっついのじゃ」

「センスがごっつい」

「あそこに金床(かなとこ)があるじゃろ」

 巨人の王が指したところに、ピシッと完璧に角の立った金床がある。

 サイズは鬼神サイズ。人間用とくらべればバカでかい。巨人の王の使うておるのにくらべれば、全然小さい。まあ、巨人の王の金床は人間の家ぐらいありますからね。

「あれは金床なのか? やけに四角四面ですな。指が切れそうだ」

「そうじゃ。あぶなくて使えんので、金床のごとき置物となっておる。

 ──娘の作じゃ」

「ほう・・・」

「そんなに尖らせんでええぞとは、言うたんじゃがのう。

 とても嬉しそうな顔で作業しておったので、止めれなんだ」

「ははあ」

「娘はのう。なんでか、センスがごっついのじゃ。

 料理はうまいんじゃが」

「うむ。うまい」優しい気持ちになる味である。「ここへ来て、すっかり太ってしもうた」

「たぶん『鬼』というのも、娘の好みじゃな。字も四角いしのう」

「いやいや、よい名ですぞ。これは本心からだ。

 しっくり来るのだ。もうこれ以外は考えられぬ。

 断固、一生涯、この名で行きますぞ」

 『新巨人』とか呼ばれたくない鬼神はあわてて妻を褒めた(ほめた)。

「ならばよいが」

 巨人の王はハンマーを振るいだした。

「しかし義父上。センスがごっついと知って『名を考えてもらえ』と勧めたのですか」

「うむ」

「なんでです?」

「なんでといって、」

 巨人の王はハンマーを止めた。

「おまえさんも、ごっついからじゃ」

「それもそうだ」鬼神は額を叩いた。「しっくり来るのも、当然だわい」

 2人はわっはっはと笑い合った。


 これは、いまの世よりもずうっと前のお話。 

 千年よりも、もっと前。

 神竜(じんりゅう)がまだ生きておったころ。

 『鬼神(きしん)』の御名(みな)が、この世に誕生するまでのお話でした。


(1章 力のルーン 終わり)

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