巨人の王(3)

7、沼の中にて


「うーん・・・」

 巨人の王に蹴り飛ばされた赤猿。

 目を覚ますと、またしても周囲は真っ暗。

「また地の底に落ちたのか?」

 起き上がろうとする。と、ぬるりぬるりと生ぬるいものが手足に絡みついた。

 腕を振ると、びちゃびちゃとあたりに飛び散る。

「なんだ。泥か。

 どうやら、蹴っ飛ばされて空を飛び、はるばる離れた沼に落っこちたようだわい。

 まったくたまげた怪力よ」

 沼から這い上がる。

 そこは森の中。なんでか知らんが、木々がへし折られて倒れておる。

「なんじゃこりゃ? 木が折れておる」

 赤猿は考えたが、わからぬ。

「わからん。寝よう」


 赤猿は覚えておらぬが、その木々、赤猿の身体がぶつかってへし折れたのである。

 巨人の王は、あんまりにも偉大な力で赤猿を蹴っ飛ばした。それで赤猿は空へ舞い上がり、雲を突き破った。どっと雨が降り、その雨と共に赤猿は落ちてきた。そして森に墜落。衝撃で木々がへし折れ、地面はへっこむ。そこに雨が叩きつけ、泥沼になったのであった。

 恐るべし、巨人の王のつま先キック!

 恐るべし、「寝よう」とか言うてられる赤猿!

 まさに人外の戦いである。


「兄者」声がした。「いちばん大きな兄者」

「む?」

 赤猿は目を開けた。

 すると、赤く大きな猿のごとき若者が立っておった。

「弟よ! 生きておったのか!」

 それは、赤猿の弟。こんどは三男。やはり、赤い大地の神の火で死んだ奴である。

 兄者喜び、飛び起きる。がばっと四腕を広げ、喜びを表わす。

 すると三男。

「兄者wwwww」笑い転げた。「手www4本wwwww」

「おまえ。なんだいきなり」

「いきなりは兄者だwww手4本www」

「ああ、これか」

 もうすっかり四腕になじんでおる赤猿、言われてようやく気付いた。四腕をがばっと広げたりしたら、ふつうの人間はびっくりするのである。まあ彼ら兄弟は神々の子、人間ではないけれども。

「ま、これには訳があるのだ。

 それよりおまえ! 生きておったのか」

「いやwww死んだぞw兄者」

 弟はようやく笑いをこらえた。

「兄者、すまん。びっくりしすぎて笑いが止まらなんだ」

「うむ」兄者ちょっと不機嫌。「しょうがないわな」

「すまんすまん。でだな。私はだな。死んだのだ。そう。

 それで、死んで、どこだか知らん暗いところから、地上を見上げておったところだ」

「すると今度こそ冥界か? ここは冥界の沼かのう?」

「いや、いや、兄者。そこは地上だ。間違いなく。

 だって、西の空にまだ太陽が残っておる」

 言われて見れば、森の木々の隙間、かすかに残照が赤く見える。

「たしかに地上のようだのう」

「いちばん大きな兄者よ。なんでこんな、汚ない沼で泳いだりしたのだ?」

「弟よ、泳いだわけではないのだ」

 赤猿、巨人の王にやられたことを語る。

 1度負け、次男の助けで4本腕となり、それでも負け、空を飛んできたと。

「手をwww生やしたwwww」弟は笑い転げた。「手を生やしwww空を飛っwwwww」

「そこまでしたのに、こてんぱんだ。

 まったく、世の中にはすごい御方が居──」

「wwwww」

 弟は笑い転げ、もはや話なんぞ聞いておらぬ。

「笑いすぎだというのに」

「すまんwww あー、笑うた(わろた)、笑うた。死んで以来だ」

「でだな」赤猿は話題を変えた。不機嫌である。「私はあの御方に、みたび挑むつもりだ」

「ふむ。兄者。勝つ算段はあるのか?」

「ないぞ。だが、勝つまでやるのだ。そのために生きておるのだ」

「戦うためにか」

「大きなものに挑むためにだ」

「おう!」弟はいい顔をした。「ではやるべし! だが、勝つ算段かないとな」

「そうだ。あのハンマーも左手も、両手で受け止めるのがやっとだ。

 二番兄の助けで手数は増やしたものの・・・」

「あいや、兄者! みなまで言うな」

 弟はニカッと笑って、自分の両手を突き出し、グッと握った。

 なんか格好いいことを言おうとしたらしいが、そこでまた笑いがこみ上げる。

「手wwwここっwwwこっwwwww」

「締まらん奴だな」


8、決戦


「あいつはまた来るんじゃろうか」

 巨人の王は、やはり地震を起こさぬよう、そろりそろりと歩いておった。

 そろりそろり。

 娘を驚かさぬため。もう工房は目と鼻の先であるから。

 それと、ちょっと期待して。

「いまにも声がしそうな気がするのう」

 そろりそろり。

 どうせあの赤猿は、また来るであろう。

 今度は、工房も近い。娘の目の前で、戦うことになろう。

「あまりひどく蹴らぬようにしよう。娘になんと言われるや知れぬ」

 そろりそろり。

 工房の扉の目の前まで来たとき、膝のあたりから声がした。

「もし、巨大な御方」

「はたして! やっぱり来おったな」

 巨人の王は地震を起こさないように立ち止まり、振り向いた。

 そこには、赤く大きな猿のような若者が立っておった。

 6本腕になって。

「また手が増えとる!」

「うむ」赤猿、6本の腕をグッと広げる。「ご覧あれ! 我が六腕(りくわん)! 亡き弟どものくれた力!」


 上の両腕を、広々と天へかざす。これは、赤猿本来の腕である。

 中の両腕を、身体の中央へ。拳突き合わせおのれを守る。これは次男の腕である。

 下の両腕を、手刀の形とし、鳥のつばさのごとく、地を抑える。これは三男の腕。

 六腕(りくわん)、天地とおのれのすべてを指す!

 この世にふたりとは居らぬ、赤く大きな力士(りきし)のかまえであった。


「ずいぶん弟が死んだのだな」巨人の王は同情した。

「2人死にました。だが、その望みは私と共にある」

 赤猿は手をわきわきした。

「だからして、私と戦って頂きたい」

「わかったわかった。勝手にせい。

 どのみち、嫌じゃと言うても殴ってきおるのじゃからして」

「そのとおり!」

 赤猿、上の腕で巨人のスネをパンチ。

 巨人の王のハンマー。赤猿、いまパンチしたばかりの上の腕でキャッチ。

 巨人の王の左手釘打ち。赤猿、中の両腕でキャッチ。

 膠着(こうちゃく)状態に突入。

「さあ、また蹴り飛ばしてやるぞ」

「同じわざは喰らいませんぞ」

「言うのう。じゃが、『力』のルーンではどうにもならんぞ」

「なんの。最後は、自分の拳で戦うのだ!」

 赤猿は素早くそう言うと、最後に生やした下の両腕で攻撃に移った。

 下の右手で、巨人の左のスネをチョップ!

 下の左手で、巨人の右のスネをチョップ!

 『自分の拳』と言うておいてからのチョップ! しかも自分の手でもない! 三男(www)のくれた手!

 すでに3回殴りつけ、青タンできた内ズネに! クリティカルヒット!

「おおう! 痛い」

 巨人の王はバランスを崩し、どうと横倒しにぶっ倒れる!

 もんのすごい大転倒! 大地、メチャクチャ! 大激震!

 巨人の王、半分地面にめり込み悶絶!

 すさまじい揺れの中、赤猿はチョップした姿勢のまま立ち尽くす! 残心!

 戦闘終了。赤猿の勝ちである!


 ・・・え? 赤猿はいいが、人間の町はどうなったかって?

 それはですね。なにもなかった。新たに滅ぶようなものはもう残っておらなかったという意味だ。行きしなの地震と津波で壊滅しておりましたのでね。また、倒れた巨人の王の下敷きになる者も居らなんだ。巨人の王の工房の近くに家を建てる人間は居りませんでしたのでね。

 巨人の王が倒れたくぼみは、のちに巨大な湖となった。広々とした平原であったところに、突然湖。困った人間もあったでしょう。しかし、その湖は水運の助けとなり、文明の母ともなったのだ。ま、この湖のことは、またお話しいたしますゆえ、いまは忘れて頂いて結構。ただ、地図に載るほどのくぼみができたということだ。


「うーん・・・ううむ・・・」

 巨人の王は、痛みにひとつしかない目を回しておる。

「弟よ。弟よ」赤猿は唱えた。「やったぞ。私たちは、勝ったのだ」

 そのとき、工房の扉が開いた。

 扉の中には、目がひとつしかない娘が立っておる。

 ギョロリと地面を見て、ため息。

「ああ、父上。やっぱり負けてしまわれたのですね。

 生きておいでですか?」

「スネを叩いただけですから、生きておられるでしょう」

 と赤猿。巨人の王はまだ目を回しておるようだったので、代わりに答えた。

「まあ。赤くて大きな猿のような御方」

 目がひとつしかない娘は恥ずかしがって、扉の影に隠れた。

「どうして、こんなところに?」

「この巨大な御方に戦いを挑もうと、追いかけて参りました。ここはいったい、どこです?」

「巨人の王の工房ですわ」

「なるほど」

 赤猿は工房の扉を見上げ、なっとくした。とてつもなくでっかい扉。これなら巨人の王もくぐれるであろう。

「すると、あなたが、この巨人の王さまの娘さんですか?」

「はい」

「おうわさ、父上からうかがいましたぞ。未来を見通す自慢の姫と」

「もう。父上ったら」

 目がひとつしかない娘は恥ずかしがった。

「私も、赤猿殿のことをウワサでうかがいました。

 ですが、ウワサは不正確だったようですね」

「ウワサはおおげさですわい」赤猿は笑った。「私はこの通り、大した者じゃないのだ」

「いいえ、はんたいですわ」目がひとつしかない娘も笑った。「腕が6本もあるなんて」

「あー、いえ、この腕は、今日生えたので」

「生えた」

「はい。死んだ弟どもの力を借りて、生やしたのです」

「生やした」

「つまり、えーとですな」赤猿は困って、笑った。「なんか、夢枕に弟が立ち、手を貸そうと言うてくれた。そして目を覚まし、こう・・・念じて、」

 ぐっと拳を握り、瞑目(めいもく)する。

 カッと見開き、バッと腕を広げて、六腕の力士のかまえとなる。

「ばっとこうやったら、ぐいっと生えてきたのだ!」

「そんなばかな! そんな奇天烈なこと」

 目がひとつしかない娘は笑った。初めて見たときにはギョロリとして異様に見えたひとつしかない目が、笑うととても可愛らしかった。優しい心があふれ、伝わってくる感じで。

「いやいや、あったのだ」「いえいえ、まさか」「わっはっは」

 2人は笑って、見つめ合った。

 そして赤くなった。

 目をそらし、また見つめ合って赤くなる。

 なんか言葉が続かなくなり、2人とも口ごもってしまい、もじもじした。

 と、そこで、転がっておった巨人の王がむっくり起き上がって、口を開いた。

「可愛い娘や。わしはこの御方に負けてしもうた」

「はい、父上。そのようですね」目がひとつしかない娘は答えた。「父上が負けるところなど、初めて見ました」

「うむ。まったくもって、この世始まって以来という事じゃ。

 この赤猿殿、不埒な奴じゃが、見上げた勇士よ」

 巨人の王はすがすがしい様子であった。

「可愛い娘や。

 そういうわけじゃから、わしはこの勇士に褒美(ほうび)をやりたい。

 褒美は、何がよいであろうか?」


9、ほうび


「勇士へのほうびですか。そうですね」

 目がひとつしかない娘は考え、それから提案した。

「それでは、父上。武器をお与えなさってはいかがです?」

「ふむ。しかし、必要かどうかわからぬ。

 訊いてみるとしよう」

 巨人の王は赤猿に向き直った。

「勇士よ、武器はご入り用かな?」

「巨人の王よ、ありがたいお言葉ですが」赤猿は遠慮した。「私は武器は持たぬのです。拳が十分に硬いですから」

「それでは、父上。防具はいかがです?」

「勇士よ、防具はご入り用かな?」

「私は服を着ないのです。皮膚が分厚く、熱いものですから」

「あら。困りましたね。なにを褒美にすればよいのでしょう」

「私はあなたに勝っただけで満足なのですが・・・」と、赤猿が世間を知らんことを言うた。

「いや、そうは行かぬ!」と巨人の王。「勇士に褒美をケチっては、王の名にキズがつく」

 巨人の王は腕を組んで考えた。

 いったいどうすれば、この勇士にふさわしい褒美をやれるであろうかと。

 沈黙し、瞑目(めいもく)し、カッと目を見開いた。

「そうじゃ! 勇士よ、そなた、妻も子も居らぬと申したな?」

「はい。ただひとり、世をさすらう者でございます」

 巨人の王はうなずいた。

「では、私の娘を嫁とし、私を臣下とするがよい。

 これをそなたへの褒美としよう!」

「巨人の王よ、なんとそれは」

 赤猿は赤くなった。

「姫、このような私と、結婚してくださいますか」

「よろこんで」

「巨人の王よ、このような私に、仕えて頂けますか」

「もちろんじゃ」


 こうして、赤く大きな猿のごとき兄者の、結婚が決まった。


 巨人の王は弟子どもを集めた。婚約発表である。

「了解」

 弟子ども、口数少なし。仕事に戻る。

「婚約発表終わり」巨人の王も口数少なし。「工房へゆくぞ。赤猿殿も、参られよ」

「なんとも話の早い方々だのう」赤猿は驚くやら感心するやらである。

 目がひとつしかない娘は真っ赤になったまま台所へ飛んで戻り、夕食の用意。

 弟子ども、工房に巨大な鉄板運び込む。なんじゃと見守る赤猿の前で、ガショーンガショーンと弟子どもが、鉄板についとる金属の柱をおっ立てる! それ、なんと、折り畳み式巨大テーブル!

「お食事の用意ができました」

「うむ。出せ出せ」

 食事どーん。

 弟子ども、巨人の王、テーブルに着く。目がひとつしかない娘は王と赤猿の世話。

 赤猿は特別のお客さま用椅子へ案内され、よじ登る。岩山のごとき椅子である。そこからテーブルまでがまた高い。椅子に立ってテーブルの上を見ておる赤猿は、まるで人間のテーブルの料理を眺めるねこのごとし。

 巨大な食卓。その景色の雄大なこと! 肉がまるで山のよう。スープは輝く湖のよう。

 もんのすごく強い酒を果汁でうすめた甘い飲み物が出され、婚約の前祝い始まる。巨大な杯になみなみと注がれる甘酒に、さすがの赤猿も困惑。だが『力』のルーンは使わず、しっかり手で抱え上げ、ごっくごっくと呑み下す。つづいてスープ。お野菜。なんかパンみたいな巨大なかたまり。そして山。でなかった肉。

「いかがですか?」目がひとつしかない娘が恥ずかしそうに訊いた。

「うまい。じつにうまい」

 赤猿は心からそう言うた。初めはこんなでかいもん食えるかと思うた湖のごときスープが、山のごとき肉が、食べるとすーっとなくなってゆく。そして満ち足りた気分になる。

「うまい。優しい気持ちになる味だ」

「そうじゃろう。どんどん食え」


 赤猿はたらふく食べ、呑み、人生でもっとも楽しい夜を過ごしたのであった。

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