赤猿の旅

1、黄色のドラゴン


「うわあ。こっちにも、怪物が」

「うん?」

 旅路をゆく、赤く大きな猿のごとき若者。

 悲鳴を聞いて、立ち止まる。

「なんだ? 行ってみようか」


 額のかどに、2本のツノ。でっかくごっつい巌(いわお)の身体。

 手に持つものは何もなく、まとうヨロイも何もなし。

 いまだ1個のさすらう生きものであった。


「うわあ。こっちに来る」

「もうだめだ」

「はさみうちだ」

 近付くにつれ、前方できいきいと悲鳴が上がる。

 このパターン。

「・・・もしかして」若者は自分の身体を眺め下ろした。「私を怪物だと言うておるのか」

 当たり。

 行く手にある木立ちの中。ふるえ、泣き、おろおろと逃げまどうヒューマンどもが居った。着の身着のまま、疲れ切ってぶるぶるふるえる哀れな姿。

「おい、私は怪物じゃないぞ。そんなにおびえんでもよろしい。

 これこの通り、言葉も通じるし、ものもわかっておるのだ」

「え・・・」

 ヒューマンどもは顔を見合わせる。

「怪物じゃない?」

「ちがうぞ。私は・・・」

 名乗ろうとする若者だが、なんせ、名無し。

 どう名乗ってよいやらわからぬ。

「ええと、私はだな、」

「ぐおおおう! どこへ逃げた?」

 名乗りを思いつく前に、ものすごい吼え声が会話を邪魔してきおった。

「うわあ。怪物」「追い付かれた」「もうだめじゃ」「死ぬるう」

「あれはなんだ?」若者は聞いた。

「怪物!」ヒューマンどもは泣きながら答えた。「食べ物を捧げ、生贄を捧げ、なだめてきたのに! 満足せずに、村を襲いに」

「なんと。それは、悪い怪物だな。

 ようし! そういうことならば、私がやっつけてやろう」

 若者は自信たっぷりに言い、ぐおうぐおうという吼え声のほうへ近付いていった。

 ヒューマンどもは戸惑いつつ、ともかく逃げてゆく。ただ、男が何人か、ついてきた。

「もし。もし。赤く大きな猿の殿」男が言うた。

「なんじゃ?」

「あなたは猿の神さまですか?」

 猿の神とは、彼らヒューマンの祖先神のことである。

「いいや、ちがう。私は、」

「ぐおおおう! そこに居るな?」

 若者が名乗ろうとすると、またも吼え声が会話を邪魔してきおった。

「やかましい奴だな。とっとと倒してしまおう」

「神さま、私たちも戦います」男が言うた。「私のむすこが、生贄に取られた。だから戦う」

「そうか。ならば、好きにせよ」

 若者はすこし冷たく言い放った。

「・・・お怒りですか?」

「いや」若者は少し声を落として説明した。「追い詰められて戦うなら、最初から戦えばよいのにと思っただけだ」

「・・・ごもっともです」

 男どもは頭を下げ、こっそり言い合った。「この御方、いくさの神にちがいない。戦略的だ」

「ま、私はおまえたちの長ではないし、ひとの生」

「ぐおおおう! 見つけたぞ」

 ギラギラと輝く大きなものが、森の中から現れた。

 ギラギラ輝くうろこ。樹木のように太い足。

 立った身体は、三角形の影となる。その背丈、赤く大きな猿よりも高い。

 三角形からちょこんと出るのは、ゴツゴツした前足。凶暴な爪あり。

 そして、ばさりと広がる背中のつばさは、黄金色に輝く。

 三角形の頂点には、トゲトゲとツノ生えた頭。その顎(あぎと)の、でかいこと。

「うわあ」「出た」

 がくがく震えるヒューマンども。

 それとは対照、赤猿のごとき若者。

「いちいち人の言葉を邪魔しおってからに」平然である。「しかしでっかいのう。あれはなんじゃ?」

「ドラゴンです」

「ほう、ドラゴンか」ニヤリ。「いちど戦うてみたいと思うておったのだ」

「ぐおおおう! そこの、赤い猿! 邪魔をするな」

 黄色のドラゴンは吼えた。

 赤猿こそ、もっとも邪魔な敵と、一目でわかったのであった。

「怪物よ。おまえは言葉をしゃべるのだな」

「ぐおう! 馬鹿にするな、猿めが。ひれ伏し、許しを乞え!」

「いや、そんなことはせぬ」

「なにい?」

「代わりにこうするのだ」

「うん?」

 赤猿、すたすた歩いてドラゴンの足元へゆき、パンチ。「えい」

「ぐおあああ!」

 まさか無造作に近付かれるとは思っておらなんだドラゴン、あっけに取られるあいだにパンチを喰らい、膝が砕けてぶっ倒れる。

「おい、なんだ、弱いのう。いまのは『力』も使っておらんぞ」

 ルーンの所有者たる赤猿、余裕しゃくしゃくである。

 黄色のドラゴンはのたうち、ものすごい恨みの吼え声を発した。

「ぐうううう! おのれ赤猿。許さんぞ。もう許さぬ。

 食べ物を積んでも、酒を差し出しても、生贄を寄越しても、もう許さぬ!

 踏みつぶす! 噛み砕く! 呑み込んで、この世に居らぬ者にしてやる!」

「セリフが長いわ」

 赤猿すたすた歩いてドラゴンの尻尾のところへゆき、尻尾を掴む。

「さっきは手加減してやったのだ。反省せんというのなら、こうだ」尻尾を掴んで、「『力』のルーン! バターにでもなってしまえ」

 尻尾を掴んだまま、赤猿グルグル大回転。『力』のルーンにより、自分の何倍も体重のあるドラゴンをぶんぶん振り回す。まるで濡れたタオルを振り回して遊ぶがごとし。黄色のドラゴン、ものすごい勢いで回転させられ、ひと繋がりの輪っかのごとし。まさにバターのごとく黄色い輪となった。

 だが!

「うっ」赤猿、よろめく。

「神さま! どうしました!」

「目が回った」

 馬鹿である。

 調子に乗ってグルグル回転したせいで自分も目が回った赤猿、ドラゴンの尻尾を放してしもうた。ドラゴン、空をすっ飛んでゆき、向こうのほうに見える山に突き刺さる。数秒遅れて「どごーん」と爆発音が響いてきた。距離があるために、音が遅れたのである。

「やれ、しもた。調子に乗りすぎた。これはまずいぞ」

 座り込んだ赤猿は反省する。

「・・・神さま。あの山、奴の巣がある山です。ふもとに、私たちの村があるのだ」

「案内できるか」

「はい」

「では頼む」


 山へ入った赤猿とヒューマンが見たものは、横たわる黄色のドラゴンであった。

 ぽっかりえぐれた崖の下。崩れた岩に半分埋もれるようにして、ドラゴンはぴくりともせぬ。

「なんだ。死んだのか」

「あ、神さま、いけません・・・!」

「うん? なにを焦ってお」

 なにを焦っておるのだ──と言い掛けた赤猿、またしても言葉を邪魔される。

「ぐおおおう! かかったな!」

 ドラゴンがキズだらけの頭を猛然ともたげ、こちらを睨んで来たのである。

「なんと。生きておったのか? ならば、なぜ倒」

「ぐわららら! 死んだフリだ!」

 赤猿の言葉、ことごとくインターセプト。

「がらら! 岩よ飛べ! 『岩魔弾(がんまだん)』! がらららら!」

 そして、魔術!

 ドラゴンに乗っかっておった岩、宙に浮く!

 赤猿目掛け、飛んでくる! 赤猿の頭より大きな岩が、ビシバシと!

「ぬう!?」

 赤猿、全身に岩を浴びる!

 頭に激突! 膝に激突! 腹に、胸に、頭をかばった腕に、喉をかばった腕に、肩に激突!

 赤い肌が岩で隠れ、見えなくなるほどの猛打!

 さしもの赤猿もこれにはたまらず、もんどりうって後ろに転倒!

 岩に埋もれ、木々の中へ倒れ込む!

「ああ!」「神さま!」

 ヒューマンの男どもが悲鳴を上げ、岩を取り除こうとする。だが岩が重すぎる。

 そこへ、起き上がったドラゴンが一歩、一歩と、跛行(はこう)で迫る。赤猿に殴られた膝はもはや動かぬ。首もフラフラと揺れておる。ギラギラ輝いておったウロコもいまは埃まみれ。だが、目だけは怒りで爛々(らんらん)とす。

 ヒューマンの男ども、倒れた赤猿の顔を覗き、ドラゴンを見上げ、もう一度赤猿の顔を覗く。そしてうなずく。

 健気にも赤猿を守ろうと、木の槍と弓を構える。

 だがドラゴン、腕のひと振り。木の槍はへし折られ、矢は弾かれ、哀れ男どもは蹴散らされる。

「うわあ。手が折れた」「足が折れた」「神さまも死んでしまった。俺たちも死ぬるのだ」

 それを聞いたドラゴン、感激。

「ぐおおう・・・!

 恐ろしい赤猿であったが! なるほど、神であったか! 納得!

 だが死んだ! 私は神を倒したドラゴンとなった! 感激!

 ──それでは、神を食べてみよう。いただきまー」

「ばかめ」

 今度は、ドラゴンの言葉を、赤猿が邪魔した。

 岩に埋もれて力なくぐったりとしておった、赤い腕。

 それが突然、ぱっと伸びる。

 ドラゴンの喉を掴む。

「ぐぁっ。な、なんで?」

「はっはっは、死んだフリだ」

 赤猿は不敵に笑いながら起き上がり、余った手をドラゴンの首にがっしと絡めて引きずり倒した。

「おまえは強い。油断ならぬ。よって、私はもう、一切の手加減をせぬ」

 そう言うと『力』で締め上げた。

 黄色のドラゴン、死亡。もう二度と、赤猿の言葉を邪魔はできなくなった。


「やりましたな・・・!」

「うむ」

 赤猿と男どもは、横たわった黄色のドラゴンを見下ろした。

「死んだフリとはな。おまえさんがたは、気付いておったのか?」

「いえ。ただ、けものの死にぎわは、危険ですので・・・」

「そうか」

 赤猿はドラゴンの前にひざまずいた。

「初めから本気で来られておったら、危なかったのう」

 疲れた声で言う赤猿。

 実際、『岩魔弾』とやらを浴びた全身はアザだらけ。人外に頑丈だから、骨は折れておらんが・・・。

「いままで、これほどのケガをしたことはなかった。

 弟どもとのケンカでも、めったにアザを受けることなどなかったのだ。

 おまえはまことに強かった。いつまでも覚えておいてやろう。眠れ」

「黄色のドラゴンのたましいよ、眠りたまえ」

 赤猿と男どもは敵であったドラゴンのために祈った。

 骨の折れた男ども、そこで気力が尽き、崩れ落ちる。

「しっかりせい」

「疲れただけです。それより、神さま。どうか・・・」

「なんだ?」

「この近くに、やつの棲んでおった洞穴がある。

 そこに、生贄にされた子供が・・・」

「わかった。私に任せよ」


 洞穴を見つけ、中に入る。

「うわあ。怪物だあ!」元気な声がした。

「またか」

 赤猿、ため息。

「子供。私は、怪物じゃないぞ。おまえさんを助けに来たのだ

 こんな見た目だがな。私は、とても話のわかる男なのだ」

 そう説明し、時間をかけてなだめ、洞窟から連れ出す。

 ドラゴンのところまでもどると、手を折った男が泣いて子供を迎えた。

「ぼうず。よかった。よかった」「おっ父」

 赤猿の若者もほっとした。本音では「そんなに大事なら、なんで生贄にしたのだ」と思っておったのだが、ドラゴンにぺちんとはたかれただけで手足の折れるヒューマンの弱さを見て、もう冷たいことを言う気にはなれなんだ。


 ふもとの村にもどり、足が折れておらん男と一緒に逃げ散った村人を呼び戻し、みなから感謝感激された赤猿のごとき若者。とてもいい気分で翌朝を迎えた。アザはまだ全身に残り、ちょいと痛みはあるものの、気分すっきり。

「どれ、ちょっと洞穴に行ってくる。それと、ドラゴンもここまで引きずって来よう」

「お手伝いします」

 負傷のない男どもを従え、洞穴へ。

 ドラゴンのねぐらには、村人の装飾品だの、家宝の剣だのヨロイだのといったものが貯め込まれておった。酒を入れておったのであろう、かめなどもある。

「宝はすべてお取りください」と村人は言うたが、

「いらん。返す」

 ぜんぶ返してやった。・・・本音でいらんかったというのもある。

 ドラゴンはよっこいせと担いで村へ運んでやった。狩人ども、群がって解体。肉はとても臭いが、食えんことはない。ただし時間がかかるそうである。

「1週間ほど、お待ちいただければ・・・」

「いらん」

 村人たちは申し分けなさそうに革の袋とドラゴンのうろこを持ってきた。

「せめて、これをお納めください。みなが出せるお金を集めました」

「うん? おかね?」

「町に出たとき、宿屋などでこれを出すと、泊まれるのです」


 この時代、人間はまだ少なく、お金というものも一般的ではなかった。

 こうした村々では物々交換のほうがふつうで、貨幣なんぞめったに手にはせぬ。

 しかし、赤猿の若者が品物に興味を示さんので、なんとか喜んでくれるものをと、差し出してきた様子。


「ほう。そうか。ではもらっておこう。だが、うろこはいらんぞ」

「しかし・・・」

「なんじゃ?」

「もしかして、お怒りで?」

「なんでじゃ! 怒っとらんわ!」

 村人たちは「ひい」と飛びのき、集まって相談。

「気むずかしい神さまじゃ・・・」「どうすれば喜んでもらえるやら?」「貧相なものはいらんのでは?」「おう、そうじゃ。強い神さまじゃもの。戦利品には困っておらんのだ」「では、気持ちか」「それじゃ。感謝を形にすべし」

 そしてこう言うてきた。

「ではこのうろこでヨロイを造り、神さまのお名前をつけます。どうか、御名(みな)を」

「名前か・・・『リッキー』と呼ばれたことはあるが、そ」

「おお! リッキーさま!」

「いや、そもそもだな、わた」

 私は神ではないし、リッキーというのも本名ではなくてだな、と言おうとする赤猿の声を、リッキー、リッキーと唱える村人の声がインターセプト。そうするうち、ドラゴンを倒した実感もわいてきたか、お祭りさわぎとなる。細かい補足なんぞできはせぬ。

「まあ、いいか」赤猿は笑った。「すみれがくれた名だしのう」


 軍神リッキーのヨロイという黄色に輝くうろこかたびらが、その後、ちょっと伝説のヨロイになった。どこかでそれを耳にした赤猿の若者は、顔をちょっと赤くしたということである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る