『力』のルーン(後)

3、ルーンを持て余す


「いちばん大きな兄者。相撲をしよう」

 赤く大きな猿のような若者ども。

 旅人レガーとの別れの余韻なんぞ、どこへやら。

 相撲を取ろう、相撲と取ろうと言い出した。

「なんだ。いきなりか」いちばん大きな兄者はちょっぴりうんざりした。「私は、レガーさんが無事に帰れるか、心配しておったのに」

「あの方なら大丈夫だ」

 弟どもはうけおった。

「そうだ。あの方は、殺しても死なん気がするぞ」

「どうやってか知らんがここまで潜り込んできたのだ。出て行くぐらい、わけはなかろう」

「そうかもしれんが・・・」

「ルーンとやら、どれほどのものか。ぜひとも味わわせてくれい」

「相撲を取ってくれるまでは、考えごとなんぞさせぬ」

「さんぽにも行かせぬ」

「相撲を取ろう」「相撲を取ろう」

「仕方がないな・・・」


 いちばん大きな兄者は言われるままに相撲を取った。

 するとどうしたことか、たいして力をこめてもおらんのに、弟どもは簡単にひっくり返る。


「弟よ。ケガでもしておるのか?」兄者は首をひねった。「ずいぶん弱くなった」

「いちばん大きい兄者よ、ズルでもしておるのか?」弟どもも首をひねった。「ずいぶん強くなった」

「してみると、これが『力』のルーンのはたらきか」

「強すぎて、勝てる気がせぬ」

「いんちきだ」

 弟どもは、自分たちが相撲を申し込んだくせに、ブツブツと言い始めた。

 ふだんはこうしたブツブツから、けんかが始まるのである。

 だが兄者。今日は自重した。

「それもそうだな。相撲はおまえたちだけでやるといい」

 そう言って、その場を離れ、またもさんぽに出かけたのであった。

「・・・どうもこの『力』のルーン、あまりにも強力なようだ。

 試してみてからでなくては、あぶなすぎ、けんかには使えぬ」


 『力』のルーンの効果のほどを試すことに決めた兄者。

 まずは、近くにあった大岩に手をかける。

 大きな大きな兄者より、さらに大きな、地面から生えておるかのごとき大岩である。

 持ち上げてみた。

 ごっそり。

 土くれとともに、その大岩が持ち上がった。

 投げてみた。

 ごおう。

 大岩は空気をゴウゴウと鳴らしてすっ飛び、空の彼方に消え去った。

「なんだこれは。大した手応えもないぞ」

 兄者はびっくりした。

 なにやら足元に違和感があるのに気づき、見ると、足が地面にめり込んでおる。

「なんじゃ? 足が、めり込んでしもうた」

 引き抜く。

 土くれを弾き飛ばす勢いで、足は簡単に抜けた。

「どうも、私の力が異常に強くなっておるようだな。

 だが、重いものを持ち上げたので、足は地面に埋まってしもうたというわけか」


 『力』のルーンの効果のほどを、さらに試す兄者。

 近くにそびえ立つ岩山の麓までやって来た。

「これを持ち上げよう」

 今度は持ち上げる前に、ちょっと考える。

「・・・などとすれば、私は地面に突き刺さってしまいそうだな。

 なんとかならんものか?

 持ち上げたことで足が埋まる。

 ならば、それもまた『力』ではないかと思うが。

 では、こうすればどうか?」

 垂直な岩肌に手をかける。

「手だけでなく、足にも『力』を使う。

 そしてこうだ。

 よいしょ」

 持ち上げてみた。

 ご、ご、ご、ご、ご・・・。

 がらがらがらがら・・・。

 頭上高々とそびえ立つ岩山が傾き、大地から引っこ抜けた。

「できた」兄者は岩山を持ち上げたまま、笑った。「埋まらずに、持ち上げれたわい」

 兄者の足は、ふつうに歩いておるとき同様、地面にぴたりとついておった。

 岩山を持ち上げたからには、いやふつうなら持ち上げもできんのだが、もしもできたとしたならば、足元はただでは済むはずがない。なのに、ただで済んでおる。

「わけのわからん力だ。ものすごいのう。

 投げてみようか。

 どっこいせ」

 投げてみた。

 ごおおおおおん・・・。

 岩山はあたりの空気を揺るがしながら、空の彼方に消え去った。小さな竜巻が立ち昇り、赤い大地に赤い土煙をもうもうと巻き上げた。

「これは、たしかにとんでもない力だ」


 初め、兄者はびっくりし、わくわくした。

 あれこれとものを持ち上げ、ぶん投げ、試してみた。

 が・・・。


「なんだか、拍子抜けだな。つまらぬ」

 兄者はしょんぼりした。

 岩を持ち上げたから、なんだというのか。

 山を投げ飛ばしたから、なんだというのか。

「すべて、ルーンのはたらきではないか。

 こんなものは、手柄でもなんでもないわい」

 兄者は、弟どもが相撲を取っておるあたりまで戻ってきた。

「山を投げたところで、誰も喜びはせぬ。

 それどころか、相撲を取るのも嫌がられるありさま。

 もう、弟どもと相撲を取ることもできまい・・・」

 面白がったぶん、反動でトボトボと歩きながら、兄者はグチを言うた。

「このルーンは、この土地では役に立たんのう。

 世に出て、使い道を探らねばならんようだ・・・」

 岩を拾い、ぽいと投げる。

 岩は大空へ飛んでゆき、青くかすんで消えてしまった。

「しかしだ。

 ルーンの使い道を探るため、私が旅に出ねばならんのか?

 それではまるで、ルーンが主人ではないか。

 こいつはどうにも、気に喰わんなりゆきだ」

 兄者、ため息をついた。

「やれやれ。

 レガーさんが持て余したというのが、早くもわかった気がするわい」


 そんな兄者の様子を、父たる赤い大地の神が、じっと見ておった。

 そして突然、兄者に向かって怒鳴った。

「それをよこせ!」


4、父たる赤い大地の神


「・・・父上。急にどうしたのです?」

 怒鳴られた兄者は、物思いから覚めた。

 見れば、父たる赤い大地の神が、恐ろしい形相でこちらを睨んでおる。

 赤い大地の神は兄弟を遥かに圧して巨大な、大地そのものの神である。めったにないことであるが、こうしてしゃべることもある。その声もまた、兄者の何倍も大きな、恐ろしい、ドロドロと溶けたような、赤い、声であった。

「そのルーンをよこせ!」

「『力』のルーンのことですか?」

「そうだ! そのルーンをよこせ!」

「これは、レガーさんから私が頂いたもの。

 どんな相手にだって、くれてやるわけにいきませんぞ」

 兄者は説得したが、父たる赤い大地の神は聞く耳を持たぬ。

「よこせ!」

「なぜ、そんなに欲しがるのだ。

 ルーンが珍しいからですか?」

「ちがう!」

 赤い大地の神はふんぞり返った。

「ルーンならば、わしだって、持っておる!」

「初耳だ。なんのルーンです?」

「『戦』のルーン!

 古くより、これはわしのもの!」


 『戦』のルーンは、戦のはたらきを表わすルーン。

 これを持てば、争いごとに強くなる。国同士の大戦から、村と村が川の水を巡って争うようないざこざまで、あらゆる戦に強くなるのだ。代わりに欠点として、ケンカっぱやくなり、戦利品を欲しがるようになるという。

 ルーンのはたらきの方は間違いない。なにしろ、赤い大地の神は、侵略者を完璧に撃退しておったわけですから。そのはたらき、証明されておる(ヒョロヒョロした旅人・レガーだけは、潜り込んできましたがね)。

 欠点のほうは、さあどうでしょう。『ケンカっぱやくなる』なんて言われたって、くらべようがない。くらべようがないことを断言し、本当だと叫ぶ者は、嘘つきか馬鹿と決まっておる。私は嘘つきではないですからね。本当ですよ。


「ほう? 『戦』のルーンとな」兄者は言った。「ならば、もうよいでしょう。すでにひとつ、ルーンを持っておるのだ。人のものまで、奪うことはあるまい」

「いいや、もらう!

 それをよこせ!」

 赤い大地の神はそう叫び、火を吐いた。

「おっと、危ない」

 兄者は火を避けた。

 だが、その火は流れ弾となる。運悪く、相撲を取っておる弟どものところへ飛んだ。

 次男に命中。次男、炎に呑み込まれ、ばたりと倒れる。

「父上、何をなさる。弟が、炎に呑み込まれてしまった」

「そのルーンをよこせ!」

 赤い大地の神は、次男が倒れたことなど目もくれぬ。怒り狂い、ドロドロと燃え上がり、兄者を睨み付けて、怒鳴りに怒鳴り散らしておる。

「このルーンだけは、どんな相手にだって、くれてやったりはしないのだ」

「いいや、もらう!

 それをよこせ!」

 赤い大地の神はふたたび叫び、火を吐いた。 

「おっと、危ない」

 兄者は火を避けた。

 だが、その火は流れ弾となる。またしても、弟どものところへ飛んだ。

 三男に命中。三男、炎に呑み込まれ、ばたりと倒れる。

「ぬう、またしても! 弟が、炎に呑み込まれてしまった」

「そのルーンをよこせ!」

 兄者、ついに激怒。父に怒鳴り返した。

「父上、火を吐くのをやめよ!

 やめぬのなら──私は、『力』を使う」

「いいや、やめぬ。

 それをよこせ!」

 赤い大地の神はみたび叫び、火を吐かんとす。

 しかし兄者。赤い大地の神をふん捕まえた。

 右手で、赤い大地の神の頭を捕まえた。

 左手で、赤い大地の神のアゴを捕まえた。

 そうしてガッチンと、赤い大地の神の口を閉ざさせた。

 赤い大地の神は口を開くことができないで、鼻の穴から火を吹いた。

「ふんが」

「警告はしましたぞ」

 兄者はそう言うて、赤い大地の神を、力いっぱいぶん投げた。

 ぶん投げられた、赤い大地の神。

 青い空へくるくると舞い上がる。巨体が見る見る小さくなる。

 青い空には目にも眩い太陽が輝いておったが、そのすぐそばをぶっ飛んで、赤い大地の神は、空の彼方に消え去った。


 赤い大地の神、その後はいかに。

 この荒ぶる火の神、もう二度と、地上に戻っては来れなんだ。そしてその姿、昼の空には見る影もなし。夜にだけ、チカチカと赤く光って見える。いついつまでも、恨めしげに夜空でまたたくのみ。

 いまではこの神、『火星』と呼ばれておる。


 これが、赤く大きな猿のような兄者が、やらかしたこと。


「・・・やってしもうた」

 凶暴な父を追放した兄者。

 レガーにルーンをもらったときに感じた、あの気持ちをふたたび味わった。

 いままでに感じたことのないような、あの気持ち。

 兄者は、このときはまだ、どうしてそういう気持ちが起こったのか、わからなんだ。それを知るのは、もっとずっと後のこと。兄者が、目にも眩い御方と出会う日を待たねばならなかった。

「おっと、こうしてはおれぬ」

 兄者は弟どもの集まるところへ駆け寄った。

「弟よ。弟よ。無事か」

 火に呑み込まれた、2人の弟。そこへ駆け戻ったのである。

 あわれ2人は息も絶え絶え。いまにも死にそうな様子。

「いちばん大きな兄者。私たちは、もうだめだ」

「弟よ。弟よ」

「兄者。兄者は素晴らしい力をもらったな。あの父上を、星にしてしまった」

「ああ。レガーさんは、私たちの恩人だ。

 この力、世に出て試さねばならぬと思うておる」

「兄者。ぜひそうしてくれ。

 さすれば、私たちも、兄者と共に世界に出てゆける」

「弟よ。弟よ・・・」

「兄者。名のあるものに・・・なってくれ。

 さすれば、私たちも・・・」


 2人の弟は、死んで土に還った。

 それは、兄者が初めて経験した、『死』であった。


5、母なる暗い霊峰の女神


「母上、弟たちが死にました」

 兄者は、母なる暗い霊峰の女神のふもとへ行き、そう呼びかけた。

 暗い霊峰の女神は、雲をかすみとそびえ立つ、黒々とした岩山の女神である。めったにないことであるが、自分の息子たちとだけは言葉を交わすことがあった。その声は、ゴウゴウと不吉に鳴り響く、風の轟き(とどろき)であった。

「それは・・・見ていました・・・。

 息子が・・・死んだ・・・わたしは・・・悲しい・・・」

「それで、母上。私は父上を投げ飛ばし、星にしてしまいました」

「それも・・・見ていました・・・。

 夫が・・・飛んだ・・・わたしは・・・悲しい・・・」

「どうしようもなかったのだ」

 兄者は申し開きをした。

「弟たちを守り、レガーさんから頂いた『力』を守るためでした」

「ゴウ・・・ゴウ・・・」暗い霊峰の女神は恨めしげに鳴り響いた。

「それで、母上。私は、世に出てこの力を試すつもりです」

「わたしを・・・置いて・・・行くのですか・・・」

「そうだ。世に出て、おのれの力を試してやるのだ。弟たちの望みも背負って」

「おまえは・・・わたしを・・・4度、悲しませる・・・のですか・・・」

「なんですと?」


 暗い霊峰の女神の言い分はこうであった──

 赤い大地の神は、わたしの息子を1人殺し、2人殺した。

 それで、わたしは1度、2度悲しんだ。

 兄者は、赤い大地の神を投げ飛ばして星にしてしまった。

 それで、わたしは3度悲しんだ。

 今度は、兄者がわたしを置いていくという。

 それで、わたしは4度悲しむことになる。


「母上、悲しむことではないのだ。私が世に出ることは。

 母上の名を広めることにもなるのですぞ。

 暗い霊峰の女神の息子、ここにありと」

「いいえ・・・わたしは・・・許しません・・・。

 わたしを・・・置き去りにすることは・・・!・・・!・・・!」

 轟音(ごうおん)!

 突然、兄者の頭上が真っ暗になった。

 暗い霊峰の女神が、激怒して、岩を雪崩と落としてきたのである!

 青空は一瞬で覆い隠され、そこにあるのは暗黒の天井!

 崩れ落ちる岩、スキマも見えぬ! 兄者あやうし!

「おっと、危ない」

 兄者は岩を避けた。

「スキマはないかと思ったが、なんてことはなかったな」

 落ちてくる岩は、まるで暗黒の天井であった。スキマなんぞないように見えた。

 しかし何のことはない。ものすごい数だから、スキマがふさがれて見えただけ。落ち着いてひとつひとつ避けさえすれば、なんてことはないのであった。

「しかし、おかしいな?」

 兄者は首をひねった。

「さっきの、父上の火を避けたときといい。

 私に、こんな芸当ができるとは思わなんだ」


 兄者の疑問、ゆえなきことではない。ちゃんと理由があるのです。

 しかし、いまの兄者には、この謎は解けぬ。よって、説明もいたしませぬ。

 おっと、危ない。ものを投げないでくだされよ。お怒りなさるな。楽しみは後にとっておくものなのだ。ちゃんと説明いたしますから、そのときが来るのを、お待ち頂きたい。


「母上。申し上げておくが。

 誰になんと言われようが、私は止まらぬ。

 自分がなんであるかわからぬ、このイライラが消える日までは。

 私は決して止まりはせぬ。

 だから、そんなに崩れ落ちてきたりしないで、私を行かせてください」

「いいえ・・・決して・・・!・・・決して・・・!・・・!

 わたしを・・・置き去りにすることは・・・!・・・!・・・!」

 ふたたび轟音!

 暗い霊峰の女神、巨体まるごと、兄者の上に倒れかかってきおる!

 青空は一瞬で覆い隠され、そこにあるのは暗黒の天井!

 今度こそ、真実無二、スキマなし! 兄者あやうし!

「ぬう!」

 兄者、とっさに両手を突っ張る。

 岩山のすべてが、兄者の両手に乗っかった。

「・・・やれ、死んだかと思うたが。

 岩山を持ち上げる練習をしておいて、よかったわい」

 倒れてくる母の巨体は、じっさい、暗黒の天井であった。今度こそスキマはなかったのである。

 しかし兄者、なんとその雲つく岩山を受け止め、持ち上げ、宙にかざす。

 これぞ『力』のルーンのはたらき。

 まこと偉大な魔法と言うよりほかになし。

「下ろし・・・なさい・・・!」

「いいや、ここでは下ろさぬ。私を潰すつもりでしょう」

「そうです・・・。

 おまえを・・・押し潰し・・・、

 どこにも・・・行けないように・・・します・・・!・・・!・・・!」

「そうはいきませんぞ、母上。

 私には、約束があるのだ。

 冒険をするのだ。危難を乗り越え、成功するのだ。

 王になるのだ。そうして、レガーさんに話を聞かせる。

 私は約束した。死んだ弟どもの希望も背負うと、約束したのだ」

「おまえを・・・押し潰し・・・、

 どんな・・・約束も・・・果たせぬように・・・します・・・!・・・!・・・!」

「そうはいきませんぞ、母上。

 この際だ。

 もう二度と人を押し潰せぬ場所に、あなたを据えつけるとしよう」

「下ろして・・・下ろせ・・・下ろしなさい・・・!・・・!・・・!・・・」


 恐ろしい轟音を立てる母の巨体を、兄者はえっちらおっちらと運んでゆき、奥まった土地へ据えつけた。

 もう二度と、ずれたり、崩れ落ちたり、飛び上がったりしないように、しっかり大地にくっつける。

 それで、これより後、暗い霊峰の女神はもう二度と、人間を押し潰すことはできんかった。


 これも、いちばん大きな兄者が、なしとげたこと。


「母上、お別れです」

 母たる暗い霊峰の女神は、ゴウゴウと悲しい音を立てて嘆いた。

 兄者は、その悲しい音を置き去りに、振り向くことなく旅に出た。

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