1章 力のルーン

『力』のルーン

1、いちばん大きな兄者


「なんと。これは奇妙だ」

 さんぽから帰ってきた、赤く大きな猿のような若者。

 あたりを見回し、すっかり驚いてしもうた。


 弟どもが、赤い大地にごろごろと転がっておる。

「もうむりだ」

「こうさんだ」

「あんたは強すぎる」

 口々にそんなことを言い、あるいは「うーんうーん」と唸って、転がっておる。

 そんな、死屍累々とでもいったありさまの、弟どもの上。

 ヒョロヒョロした男が、岩にでも腰掛けるようにして、座っておる。

 実に小さく、ヒョロヒョロとした男である。

 背丈は弟どもの半分もなく、腕の太さにいたっては8分の1もない。

 まるで、岩の上にネズミが座るがごとし。

 ──そんな光景を、さんぽから戻った赤く大きな猿のような若者は、見たのであった。


「これはどうしたわけだ?」

「おお、いちばん大きな兄者」

 次男がそう答え、弟どもの山の中から、這い出してきた。

「兄者。俺たちは、相撲をしたのだ」

「相撲?」

「この小さなヒョロヒョロした旅人どのと、相撲をした」

「・・・それで?」

「それで、私が勝ったのさ」旅人が後を引き継いで言った。

「あんたが勝っただって?」

 いちばん大きな兄者はとても驚いた。

「あんたはそんなに小さいのに、私の弟どもに、相撲で勝ったというのか」

「そうなのだ。いちばん大きな兄者。みんなして、旅人どのに、負けてしもうたのだ」

 弟どもは一斉に説明し始めた。

「押しても引いても、びくともせぬ」

「手を掛けられたかと思うと、ぽーんと、空までぶっ飛んでおる」

「気がつくと、地面に転がっておって」

「こうして、上に座られておって」

「とうてい、かなわぬ」

 いちばん大きな兄者はすっかりたまげてしもうた。

「なんと! ますます、奇妙なことだ」


 さてこの、いちばん大きな兄者。

 まずは、弟どもの誰とくらべても、頭半分ほどでかい。頭半分と言うても、ふつうの頭ではない。この兄弟、旅人の3倍はあろうかという、岩のような頭をしておるのだ。

 そして、弟どもの誰とくらべても、抜きんでてごつい。それはもう大変にごっついのだ。兄弟はほとんど見分けがつかぬけれども、この兄者だけは見分けがつくぐらいだ。

 いちばん大きな兄者が立っておるだけで、ヒョロヒョロした旅人などはその影の中にすっぽり入ってしまい、どこに居るのかわからなくなるほど。そのぐらい、でかい、ごっつい、生きもの。それが、いちばん大きな兄者なのでした。

 いちばん大きな兄者を巌(いわお)とするなら、弟どもはその周囲にある岩ぐらい。ヒョロヒョロした旅人なんぞは、雑草のごとし。

 その雑草が、岩を投げ飛ばしたというのだ。巌のごとき兄者に、信じることができましょうか。これはなかなか難しいでしょう。


「いちばん大きな兄者というのは、君だね?」

「・・・いかにも」と、いちばん大きな兄者は答えた。

「そうかそうか。君がそうか」旅人はうんうんとうなずいた。「さあ、それでは、私と相撲をしよう」

「相撲か・・・」

 ところがいちばん大きな兄者、旅人をじーっと見つめて、返事をにごす。

「どうした? 相撲をしようじゃないか」

「うーん・・・」

「相撲はきらいかね?」

「いや。相撲は好きだ」

「では、私と相撲を取ろうじゃないか」

「いや。相撲は取らぬ」

 ついに、いちばん大きな兄者はそう答えた。

「おや? 君の兄弟は、みな勇敢に挑んできたというのに。

 君は、臆病なのかね?」

「いや。臆病でそう言ったのではない」

「ではなぜだね?」

「なぜといって、あんたは私よりもずっと小さく、弱そうに見えるからだ」

「それなら、当然、君が勝つではないかね?

 それとも、君は自分の力に自信がないのかね?」

「それは力とは言うまい。

 自分より小さく、弱いものを投げ飛ばすのは」

「ほう?」

 旅人は、弟どもの身体の上から立ち上がり、地面に降りた。

 兄者も、どっかと座った。それで、2人の目は同じ高さになった。

 旅人、てくてく歩いて、兄者のところへやって来る。

「小さく弱いものをいじめるのは、力ではないと言ったね?」

「うむ。そう言うた」

「それでは、力とはいったい、何かね?」

「そうだな・・・」

 いちばん大きな兄者は、腕を組み、しばらく考えた。

 沈黙し、旅人がそこに居らぬかのように瞑目(めいもく)した。

 しばらくして、カッと目を見開いて、こう言うた。

「力とは、ひっくり返すはたらきだ」

「ほう?」

「力は、目には見えぬはたらき。

 物事がひっくり返ったときにだけ、そこに力があったことがわかる。

 そういうものであろう。力とは」

「それでは、物事がひっくり返るとは、どういう事態かね?」

「それはだな・・・」

 いちばん大きな兄者は、腕を組み、しばらく考えた。

 しばらくして、カッと目を見開いて、こう言うた。

「それは、あんたが弟どもを投げ飛ばしたような事態だな」

「ほう?」

「大きくて重たいものは、小さくて軽いものより強い。これが世の当然だ。

 だが、ときに、小さなものが大きなものを転がしてしまう。

 あんたがやったようにな。

 そうした事態こそ、物事がひっくり返るということであろう」

「ほほう!」

 旅人は微笑んだ。

「でかいだけの猿かと思ったら、なかなかどうして!」

「私たち兄弟は、猿ではない」

「おや、これは失礼。赤く大きな猿のような姿だもんだから。

 では、君はいったい、何者かね?」

「わからぬ」

 いちばん大きな兄者は、むすっとした。

「わからんのかね?

 君たちは、赤い大地の神と暗い霊峰の女神の息子ではないのかね?」

「それは、生まれであろう。

 生まれは、兄弟みな同じ。私が誰かという、見分けにならぬ」

「見分けがつかぬ?

 君は『いちばん大きな兄者』と呼ばれ、見分けやすいじゃないかね?」

「それは、弟どもとくらべてのこと。

 弟どもが居らねば、何の話やらわからぬようになってしまう」

「ふむ。

 では、自分が何者かわからぬと。それで、なにか不都合があるかね?」

「ある。

 イライラする」

「自分が何者であるかわからんと、イライラするかね?」

「ああ。イライラすることだ」

「さんぽをしておったのは、そのせいかね?」

「そうだ」

「さんぽをして、わかったかね?」

「いいや」兄者はうつむいた。「いつまで経っても、わからぬのだ」


 こうして話し込む、旅人といちばん大きな兄者。

 弟どもも立ち上がって、2人のまわりに集まってきた。

「いちばん大きな兄者は、あれこれとよくものを考えるのだ」

「相撲も強いが、口ゲンカもなかなか強いぞ」

「口ゲンカは好かぬ」兄者はぶすっとした。「殴ったほうが早い」

 旅人は笑った。

「それなのに、私の話には付き合ってくれるんだね?」

「これは口ゲンカではないだろう。

 あれこれとものを考え、互いに話を聞いておるのだから」

「実に面白い奴だ!」

 旅人はすっかり兄者のことを気に入った様子であった。

「そんな君には、私の知る技、『力』のルーン、を授けたいと思う。

 受け取ってくれるかね?」

「ルーンだと?」


2、『力』のルーン


「君は、ルーンについて知っているかね?」旅人は訊いた。

「いや」いちばん大きな兄者は素直に答えた。「知らぬ」

「ルーンとは、この世のありとあらゆるはたらきを表わす、文字のことだ。

 この世のひとつのはたらきに、ひとつのルーンが対応する。

 ひとつのはたらきには、ひとつっきりだ。ふやすことはできぬ。

 目に見えず、手にも触れぬが、教えたり、贈ったりはできる。

 ルーンは、そのようなものさ」

「よくわからんな」兄者は言った。

「持てばわかるさ」

「持つと、どうなるのだ?」

「ふつうの人間にはとうていできぬことができるようになる」

「あんたが弟どもを投げ飛ばしたようにか?」

「そう。もっと偉大なことだって」

「たとえば?」

 旅人はにっこり笑った。「持てばわかるさ」

「なんだかものすごいもののようだな。その、ルーンというのは。

 人にくれてやってよいのか?」

 兄者が言うと、旅人は笑って、ひらひらと手を振った。

「『力』のルーンは、私が、知恵なき大蛇から奪ったもの。

 しかし、私には似合わぬルーンだ。渡す相手を探していたのさ」

「知恵なき大蛇?」

「神竜(じんりゅう)と呼ばれる、とても大きく、とても愚かな蛇だよ。

 知恵はないが、ルーンをたくさん持っておって、たいへんに厄介な相手さ。

 神々ですら、手が出せぬ」

「じんりゅう・・・」


 神竜とは、偉大なる災いの竜のこと。

 いまはもう、目に見える場所には居らぬ。もう悪さをすることもない。これは、まったく幸いなこと。

 ですが、旅人といちばん大きな兄者が出会ったこの頃、神竜はまだ地上に寝そべっておったのです(このお話の初めにも、ちょっと言いましたね)。

 この神竜、やがて大変な災いをもたらすことになる。そのことはのちにお話いたしましょう。しかし、このときはまだ、神竜は地上に寝そべっておるだけ。ものすごく交通の邪魔ではあったが、大した災いはもたらしておらなんだ。

 だから、赤く大きな猿のごとき兄弟、神竜のことなんぞちっとも知らなんだのです。


「なんでまた、そんな恐ろしい、神竜などという奴に挑んだのだ?」

「挑んだわけではないさ。好きで近づいたわけでもない。

 ま、なりゆきでね。

 一方的にやられるのもシャクなので、ルーンを奪ってやったというわけだ」

「そんな苦労をしたのに、私にくれるのか」

「私は戦士じゃない。

 『力』があっても、使いこなせん。宝の持ち腐れだ」

「だからといって、私にくれんでもよかろうに」

 旅人は笑った。

「見た目はごついのに、踏ん切りがにぶいな! 君は」

「見た目と性格はべつだ」

「いやいや・・・まあまあ。

 私は、冒険譚(ぼうけんたん)ってものが、大好きでね。

 人が冒険し、危機を生き延び、成功して、ひとかどの人物になる。そんな話がね。

 君なら、面白い冒険をしそうだと思ったのさ」

「ふむ・・・」

 いちばん大きな兄者は、旅人の話をゆっくり噛み砕いてみた。

「『力』のルーンとやら。

 せっかく手に入れたのだ。ふさわしい相手に託したい。

 面白い冒険をしてくれそうな奴がいい。

 そういうことか」

「そういうことさ」

「私が、『力』のルーンにふさわしいと?」

「ああ、君こそ『力』のルーンにふさわしいね!」

「ならばよし!」

 ついに、いちばん大きな兄者は立ち上がった。

 兄者の心の大きさ、風格といったものが、突如として現れた。ああでもないこうでもないと理屈をこねておるときは、てんで見えなかった、その大きさ。

 兄者、何倍も大きく、ぱんぱんに膨らんで見えた。

「そこまで見込んでくれたのだ。期待に応えよう。

 『力』のルーンにふさわしい男になってやるぞ!」

「では。

 君に、私の知る技、『力』のルーン、を授ける」


 旅人は、目に見えぬものを差し出すしぐさをした。うやうやしいしぐさ。

 いちばん大きな兄者も、思わず、拝領するしぐさをした。

 すると兄者。

 いままでに感じたことのない気持ち、すがすがしい充実した気持ち、になった。


「・・・これはなんだ。

 いままでに感じたことのない気持ち、すがすがしい充実した気持ちだ」

「私の知る技、『力』のルーン、だよ」

「そうか」

 兄者は目に見えない何かをぐっと握り締めた。

「ありがとう。旅人よ。

 こうしてルーンを授かったからには、あんたが楽しめるような、大きな冒険をしてみせよう」

「好きにするがいい。君は愉快な奴だ」

「それで、何か礼ができればよいのだが・・・。

 なにしろ我ら兄弟は、名すら持たぬ、ハダカん坊。

 礼になるような宝など、なんも持ってはおらんのだ」

「宝なら、私はいくらでも持っている。そんなものはいらないよ。

 そんなものより、冒険の話のほうがいい」

「冒険の話か・・・」

「いつか君が、王になったとき。

 そのとき私を呼んでくれ。

 そして、君の冒険の話を聞かせてほしい」

「そんなものでよいなら、喜んで。

 私は、いつか王となろう。

 そしてあなたを呼び、冒険の話をしよう。

 約束だ」

「では、そのときが来たら、私の名を呼んでくれ」

「名は」

「レガー」

 旅人は名乗り、いとまを告げて立ち去った。

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