第8話 最初の相談者『井上可憐』6
***
岩野にバレないように彼の家の前を通り過ぎ、俺と鷺ノ宮は学校へ折り返していた。
まだ五時にもなっていない。
俺たちは一旦、外へ出ていただけで、まだ部活中なのだ。
大通りに出るまで、まだ閑静な住宅街が続いている。
一軒一軒を斜陽が茜色に照らしており、目の前には綺麗な夕景色が広がっている。
それを見る度、学校で夕日をみることになったここ半月のことが思い出され、達成感が湧いてきた。
まぁ、基本的に俺は立ったり座ったりしていただけだが。
「まず一件、やりましたね!」
「お疲れさん」
「先輩もお疲れ様です!」
「いや、俺は何もしていない」
何もできないとはいえ、全て、鷺ノ宮に任せきりだった。だから、疲労感はあるが労ってもらう義理はない。
「そんなことないですよ」
えらく澄み切った声だった。
「え?」
「私は、先輩が一緒にいてくれるだけでいいんですから」
「そう言われてもなぁ……」
「それでいいんですっ! 先輩の「補佐」って役目は、それで十分はたされているんです!」
「……そりゃありがたい」
俺は呆れた口調で返す。鷺ノ宮がそれでいいと言うならば、素直に甘えさせて頂くことにする。
鷺ノ宮が、照れ臭そうに笑う。
「正直、先輩とやるこの部活、楽しくなってきました」
「確かに楽しそうだったな、お前」
ずっと井上のために頑張っていた姿は生き生きとしていた。
中学の頃も、俺と美術部をやっていたが、その時とは何か違って見えた。俺はこの半月の鷺ノ宮を見て、初めて「部活動に熱中している」ように感じたのだ。
……で、その部活のことだが、振り返ってみると、確かに井上と岩野は結ばれはしたが、その際に一つ、大きな代償が生まれてしまった。
それは、井上のヤンデレ化。相談に来た時はあんなにまともで健気な恋する乙女だったのに、完全に狂気に満ちたヤンデレになってしまった。
まぁそれも当然か。
だって、鷺ノ宮哀葉という、究極のヤンデレに相談してしまったのだから。
我が校にヤンデレが一人増えたわけだが、これからもそれは続くだろう。なぜなら、俺と鷺ノ宮にはこの方法しかないから。これが、最善の形だから。
一般的な恋愛の知識がない鷺ノ宮は、ヤンデレ的なやり方でアドバイスを出すことしかできない。
そして恋愛の知識は愚か、ヤンデレに関することもろくに分からない俺は、それこそ、鷺ノ宮の側にいて、彼女を「補佐」することくらいしかできない。
だから、俺たちはこれからも、相談者をヤンデレ化させていくのだ。
中原中央高校に、ヤンデレが増殖していく。
文句なら、俺たちに任せた学校側に言いやがれ。
――ヤンデレが教える恋愛講座が、本格的に始まった。
***
金曜日。五月も二日目に突入した。
そんな日の放課後、俺と鷺ノ宮は、やっぱり部活にいた。変わったことといえば、昇降口へ行かなくてよくなったことくらいだろうか。
四階の奥という、校舎の隅に位置するこの部室にも、サッカー部だの野球部だのの掛け声や、吹奏楽部の演奏が聞こえてきている。
背後の窓からは、かなり傾いた夕日が放つ茜色の光が差し込んできており、俺と鷺ノ宮はこれでもかというほどそれを浴び続けている。
暇だ。めっちゃ暇だ。
昨日、一昨日の二日間、全く相談者が来ないのだ。最初は平穏で少し嬉しかったが、よく考えたら部活は一日二時間。
その間、ずっと椅子に座ったままというのは、とても暇なのだ。
そんな俺たちはこの部屋で何をしているか。
二人王様ゲームである。
当然、くじの棒は二本のみ。要するに、俺と鷺ノ宮が、二人で言うことを聞かせあっているのだ。
これを俺たちは、二日前からずっとやっている。
途中で俺は、トランプやオセロなどに変えることを提案したのだが、あっさり拒否されてしまった。
ちょうど俺が、王様の番になる。
「んじゃ、肩揉んで〜」
「先輩、それ六十四回目ですよ……」
「いいじゃん。それくらいしかやってもらいたいことないし」
「……分かりましたよ」
鷺ノ宮がため息を吐いてから、立ち上がって俺の背後に来ると、方を揉み始める。
五分くらいして、またお互いくじを引く。いつの間にか、肩揉みは五分で終了ということになってしまっている。
引いたくじを見ると、「ハズレ」だった。つまり、今度は鷺ノ宮が王様だ。
だが、別に鷺ノ宮は、特別に嬉しそうな素振りは見せない。
「先輩は、私の頭を撫でる」
「はいはい」
そして今度は、俺が鷺ノ宮の頭を五分間撫でる。彼女はこれしか頼んでこない。
なぜならこのゲームをやり始めた時、こいつは「キスする」や「抱きしめる」はもちろんのこと、「エッチする」とまで言ってきた。
だから、「頭を撫でるのが限界だ」と言い張った。
要するに俺たちは今日を入れたら三日間、ずっと肩を揉んだり頭を撫でたりしかしていない。
マジで何してんだ、俺ら……。
鷺ノ宮の頭を撫で終わった俺は、時計を確認する。五時五十分だった。部活終了まで、残り十分……
「結局、今日も誰も来なかったな」
「そうですね。でも、私は先輩とまったり過ごす時間もいいと思ってますよ?」
笑顔で答えたものの、鷺ノ宮はどこか物足りなさそうだった。
――正直、先輩とやるこの部活、楽しくなってきました
そう言った時の鷺ノ宮の方が、いい笑顔をしていたような気がする。やっぱり、鷺ノ宮はこの部活の活動を気に入っているようだ。
なぜ誰も来ないのだろう、岩野が何か悪い噂を振り撒いたのだろうか。
と言っても校内で、恋愛コンサルティング部の噂は全く耳にしないし、井上は休み時間には岩野のクラスへ行ったりして、楽しそうにしているが。
ちなみに俺は、鷺ノ宮が昼休みになると毎日クラスにやって来るので、体育館裏に行って弁当を食べています。鷺ノ宮と一緒に……
まぁ体育館裏の方が注目はされにくいので、なんとかクラスで変に目立つことは避けられている。
閑話休題。
さて、もう帰る支度でもするかと思ったその時だった。
勢いよく部室のドアがノックされたのは。
「どうぞ!」
即座に反応した鷺ノ宮が、喜びを瞳に含んで合図した。
だが、部活終了まで残り五分。本当に相談者だろうか……
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