第7話 最初の相談者『井上可憐』5


 ――四日目


 火曜日。今日も鷺ノ宮と待っていると、岩野がやってきた。彼の体は戦慄わなないており、悲壮感漂う面持ちだ。やっぱりゲーム実況のやつは響いた様子……。


 下駄箱の前にやってきた岩野が、突然目を瞑った。そのまま、下駄箱を開ける。


「……ヒッ!」


 ゆっくりと目を開けた岩野の前にあるのは、やっぱりラブレターだ。彼が、絶望的な表情を浮かべる。


 その後、震える手でラブレターを鞄にしまうと、恐怖を薙ぎ払うように、走って昇降口を去って行った。


 今日の岩野からは、初日のような、自信に満ちた陽キャオーラは一切感じられなかった。


 ――十一日目


 四月二十九日、火曜日。


 相変わらず鷺ノ宮と昇降口にいると、岩野が全速力でやってきて、下駄箱を開けてラブレターを雑にしまうと、全速力で去って行った。


 ここ最近は、ずっとこんな感じである。少しでも、井上のラブレターの恐怖に、目を向けたくないようだ。


 しかもこのラブレターの陰湿な点は、「他人に相談できない」という点である。ゲーム実況のような黒歴史も多々書かれているため、岩野は友人などに相談できないのだ。


 不意に、鷺ノ宮が満足げな顔で呟いた。


「そろそろ、家に入れてもよさそうですね」


 ***


 翌日の水曜日、つまり十二日目。


 いつも通りHR後すぐに教室を出た俺は今、昇降口ではなく、岩野の家の前にいる。今日は鷺ノ宮はもちろん、井上も一緒だ。


 岩野の家の住所は、井上が岩野の周囲の人間に何となしに聞いてみたら、意外とすぐに分かったらしい。


 家は静かな住宅街にある普通の一軒家。現在、周囲にほとんど人の姿はない。時々、夕食の材料を調達して来た主婦の姿があるくらいだ。


 人の家の前にいるというだけでなんだか落ち着かないのに、辺りに静寂も加わって、かなりの緊張感に襲われていた。


 しかしどうやらそれは俺だけのようで、鷺ノ宮と井上はケロッとしている。


 井上が、ついにラブレターを岩野の玄関のポストへ入れた。


「よしっ!」

「じゃあ、岩野先輩を待ちましょう!」


 鷺ノ宮が斜め向かいにある、大きめのゴミ捨て場を指さしたので、素直に俺たちはそこへ向かい、塀の影に隠れた。


 いつもダッシュで帰宅している岩野だが、今日は下駄箱にラブレターを入れていない。 


 はたして、突然ラブレターが途絶えたということに、岩野はホッとするのだろうか。おそらく、逆に怖くなってくるような気がする。


 少し待っていると。すぐに足音が聞こえてきた。一瞬だけ覗いてみると、岩野だった。冷や汗をかきながら、キョロキョロと周囲を見渡している。


 案の定、ラブレターが入れられていなかったことに動揺して、何かあるんじゃないかと警戒しているようだ。


 そんなところ残念、何かあるのだ。


 岩野の視線が、ポストへ向かう。何か入っていることに気づいたのか、特に恐れることもなく、普通に中身を見た。


 しかしその直後、岩野が絶望的な表情を浮かべた。


「……マジかよ」


 家にも入っていた恐怖のラブレターを片手に持ち、震え上がる手でポッケから鍵を取り出すと、玄関に刺そうとする。


 だが、なかなか刺さらない。手が安定せず、上手く穴に入らないのだ。


 それを見た鷺ノ宮が、小声で井上に合図した。


「今です!」

「うんっ、練習通りやってくる!」

「はい! 井上先輩なら大丈夫です!」


 鷺ノ宮の激励を受け、井上が足音立てずに岩野の背後へ向かった。なんでこっそり行ったのか、理由は知らん。ただ怖いだけだ。


 岩野の背後に立った井上が、何も知らずにただ慌てて鍵を開けようとしている岩野に、そっと話しかける。


「こんにちは、岩野君」

「ヒエェッ!」


 岩野が、即座に肩越しで振り向いた。真っ青な顔をしている。


「どうしたの? そんなに慌てて」

「いやっ、なんでも……」

「ちょっと、そんなにウチを怖がらないでよ」

「怖がってるわけじゃ……」


 そう言いながらも、井上から逃げるように、必死で鍵を開けようとしている。


 井上が、ゆっくりと岩野に近づいていく。すると岩野はもう、家に退散することは諦めたのか、玄関前で腰から崩れ落ちた。


「岩野君、本当に大丈夫? 普段の元気な明るさはどうしたの?」

「え、なんの……ことやら……」


 岩野が唇を戦かせながらも、なんとか言葉を紡ぐ。

 しかしもう、井上が真前まで来てしまった。


「……助けて」


 岩野が小声で呟く。それを聞き逃さなかった井上が、前のめりになって顔を岩野の目の前に近づけた。


 そして、恐ろしい程の笑顔を向ける。


「どういう意味? 『助けて』って。ウチ、襲ってないよ?」

「……そう、……だ、な」


 ついに、岩野も狂ってきた。


「ウチだけがあなたの全てを理解している。あなたの全てを愛している」

「……お、おう」


 洗脳されるかのように頷いた岩野の耳元に、井上が急にトーンを下げ、呪うように囁いた。


「だからあなたも、ウチを愛してくれるよね? 愛してくれるまで、あなたはラブレターから解放されないよ」

「っ!?」

 

 それを聞いた岩野は、混乱を抑えるように両手で頭を抱えた。そしてそれと同時に、何故か涙を流し始める。それが喜びからなのか、恐怖からなのか、全く読み取れない。


「……もちろん、俺も井上の全てを愛する。だから、もうラブレターはやめて……」


 勇気を振り絞ってそう懇願した岩野は、虚ろな目をしていた。そこに、井上は抱きつく。


「もちろん! これからは直接、愛を伝えるねっ!」

「た、頼むわ……」


 そう震える声を出すと、岩野も井上の腰に手を回した。


 そんな玄関前で抱き合う二人を、鷺ノ宮はしっかりと目に焼き付けると、俺の肩を叩いてきた。


「私たちはもう、帰りましょうか!」


 達成感に満ちた様子だ。


「そうだな」


 手段は最悪だったが、俺も不思議と、悪い気はしてなかった。


 でも一応、心の中で謝っとくわ。


 岩野、なんかごめん。


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