憧れは恋心へ

ムト

憧れは恋心へ

私は彼女に憧れていた。

美人で知的でスポーツも出来て、何より同じ歳とは思えないその存在感が堪らなく格好よくて。

たまたま窓際の席に当たった時、ふと運動場に目をやれば一番に飛び込んできたのは彼女の走る姿だった。全員同じジャージを着て同じようにトラックを駆けているのに、私の瞳が囚われたのはたった一人、彼女だけ。年老いた教師の授業なんてそっちのけで彼女の走る姿に魅入っていたのを今でも記憶している。

やがて春になって二年生へ進級した私と彼女は奇しくも同じ教室で机を並べるクラスメイトとなった。予想だにしない展開に心は弾んで、話したこともないのに何だか幸せな気分で満たされていた。ただ同じ空間にいられることや授業中でも視界に捉えられるということが私にとってはささやかな至福だったらしい。


「本条さんて彼氏いるのかな」

クラスにも段々と馴染んできた昼下がりの午後、お弁当を食べた後の雑談で私は何気なくそう発言してみた。

肩口で綺麗に切り揃えられた亜麻色のストレートヘアーは癖もなく艷やかで思わず指を通してしまいたくなるような。そこへきて切れ長でやや眼尾が上がった栗色の瞳、透き通るほどの雪肌はまるで生まれたての赤ん坊のように染み一つなく、細身だけど豊満で、笑顔だってナチュラルに可愛い。

そんな女の子を放っておく男はいないだろう。私がそれなりのイケメンなら告白対象の上位ランクだ。

けれど周りの反応は意外なものだった。まさに今、教室へ帰ってきた本条 彩花(ほんじょう あやか)を一瞥しながら聞こえないように声を潜めて彼女たちは言ったのだ。

「知らないの?本条さん、女の子しか好きにならないって有名だから彼氏なんているわけ無いじゃん」

知らなかった。というか、実際にそんな人が身近にいるなんて思いもしなかったから失礼な話、正直驚いた。

確かにここは女子校だけど、そういうのってドラマとか空想の世界にしか存在しないと思っていたし、いたとしても誰にも漏らさず自分の胸にひっそりと閉じ込めておくものだとばかり。

まさか、そんな、本条さんがそうだなんて当たり前だけど一度も考えたことがない。普段からそんな様子を見せるわけでもないのだ、それでそんな考えを思い浮かべていたらよっぽど妄想癖の強い人じゃないか。

スタイルが良くて勉強も出来て人当たりもよくて彼氏のいそうな可愛い女の子。だから私は憧れていたのだ、同じ女性として彼女のような格好よくも可愛くも映える人に。

けれど気付いてしまった。彼女が同性愛者だと知ってからこれまで以上に気になる存在になっていたことに。


いかなる授業の時にでも見つめているのが黒板じゃなく、彼女の流れるような柔らかい髪や綺麗な横顔、そしてノートを取る手の動きだとか稀に見せる小さなあくび、髪をかきあげるなど他愛もない仕草だということに。

プリントを配るときに時折後ろを向いた彼女と目があって薄く微笑まれたりなんかすると、私の体は一瞬で熱を孕んで火照る。心臓をぐっと鷲掴みされたように大きな衝撃が私を襲う。苦しくなって涙が出そうになる。

これはもう好奇心や憧れという陳腐なものではなかった。口には出し辛い淡い淡い淡い恋心、決して抱いてはいけなかった禁断の感情。


運命の悪戯なのか夕暮れの迫る教室で私は、軽快にペンを走らせる本条さんをじっと見つめていた。日付を書いて、天気を書いて、本日の日直の名前に〝本条、堀〟と順に名を連ねていく。

偶然にも私と彼女は出席番号が前後だから日直のペアになるのだ。掃除当番が掃除を終えて帰った後、黒板を水拭きしたり花瓶の水を替えたり。一通りのことが終わってから日誌に手をつけて、今日は最後の授業で使った世界地図を社会科準備室まで運ぶ作業も残っている。日直の仕事というのは日によって楽だったりそうじゃなかったり様々だけど、少しでも彼女と一緒にいられる時間があるのなら今日、日直に、当たってラッキーだった。普段二人きりになるなんてそうそうないから、とても貴重な一日と言えるかもしれない。

静かな教室で聞こえてくるのは彼女の息遣いと微かなペンの走る音。私は頬杖をつきながら彼女の手の動きをぼうっと眺める。きっちりとした文字を生み出しているのは細長い指。爪の形がとても綺麗だ。あの手に触られたらきっと体温がぐんと上がってしまうに違いない。不整脈がでて呼吸困難に陥る可能性だって。

彼女が髪を耳に掛けるたびにブルガリの匂いが鼻腔をくすぐって何だかドキドキした。匂いというのは時として妙な気持ちにさせてしまうから恐ろしい。ブルガリは彼女にとてもよく似合う香りだと思う。

「どうかした?」

じっと見つめすぎたのか日誌から顔を上げた本条さんは不思議そうに首を傾げて私を見つめ返してくる。そんなに見つめられたら、ほら、また熱を孕んで……

「な、なんでもない。ごめんね、日誌書いてもらっちゃって」

そうして愛想笑いを浮かべるので一杯一杯。容量(キャパシティ)が乏しいと本当に泣けてくる。

「こちらこそ黒板拭いてもらったりしてありがとう。もう書き終わるからあと少しだけ待ってて」

小さく微笑みながら彼女はまた日誌へと視線を落とす。同時に髪の毛がサラリと流れてまたそれをかきあげて、夕陽の差し込む横顔は本当に綺麗だと私の胸はどんどん高鳴ってゆく。切なくも、苦しくも、どうにかしたいけど、どうにも出来ない感情はやがてモヤモヤし始めて、ついにはそれを振り払おうと。

「ねぇ、本条さんて、なんで、彼氏作ったりしないの?」

うっかり口をついた言葉にゆっくりと顔を上げた彼女の瞳は微かに怒りの色が入り混じっていた。

墓穴を掘ったことに気がついてももう遅い。ここで否定しても彼女が同性愛者だということを知っていながらの発言になってしまいそうだから余計に怒らせるだろう。よりによってどうしてこんな発言をしてしまったのか……後悔の念が頭を過ぎる。

「ご、ごめん、プライベートなことに口挟んじゃって…」

「それは、私が女の子しか好きにならないって知ってての発言?」

「……」

明らかに怒った様子を前面に押し出している本条さんを前にすると、嘘でも否定しなくちゃという気持ちが萎えて言葉が出てこない。そこで知らなかったと白を切り通せばそれ以上怒らせないで済んだかもしれないのに。

いわゆる沈黙は肯定。そう捉えたのだろう、本条さんは思い溜息を一つつくと日誌を閉じて帰り支度を始めた。

「興味本位で話を聞き出してネタにする人ばかりだけど、堀さんも他の人と変わらないのね」

最低、と実際言われていないのに言われたような気がして私は言葉を失った。

ショックだった、そう言われたことよりも彼女を傷つけてしまったという事実が。他の人とは違うんだって思っていてもあんな聞き方をしたら同様だって思われるのも無理はない。

もし私が同じ立場だったらどうだろう。そう考えると何て酷いことを言ってしまったのか自分でもよくわかる。好奇の目で見られて、影で噂をされて、その中でも彼女は気丈に振る舞ってきたのに、私の放った一言がそれを一瞬にして崩してしまった。彼女の口ぶりからすると私の知らないところでこれまで何度も同じ事を言われ続けたに違いない。

「日誌は私が持っていくから、堀さんはもう帰って」

ガタン、と音を立てて立ち上がった彼女は私を見ないようにふいと顔を逸して日誌を手に取る。

「本条さん」

「社会科準備室へも私一人で行──」

「本条さん!私の話を聞いて!」

黒板横に立てかけられた世界地図を足早に取りに行こうとする本条さんの右手を掴むと、彼女は怪訝そうに眉を顰めて、それでも私が掴んだ手を振り払おうとはしなかった。

「確かに、私は貴方が同性愛者だって知ってた。けどそれをネタにしようだなんて思ったこと一度もない」

「じゃあ、どうして彼氏の話なんか」

「それは…」

言葉が詰まる。今この場で、この雰囲気で、気持ちを伝えたところで本気と取って貰えるか分からないから。

「ほら、やっぱり興味本位だったんじゃない」

「だから違、っづぅ…」

私が掴んでいた手を逆に掴み返すと彼女はいとも簡単に私の腕を捻り上げ自由を奪った。そのまま肩から床に押し倒され、倒れるときにぶつかった机と床との衝撃に私の体が小さな悲鳴を上げる。まるで関節技でもかけられたかのような、一瞬の出来事。

詰まった息を一つ吐き出してぎゅっと瞑っていた瞼を薄く開くと、そのすぐ向こう側に無機質な表情の彼女が私を見下ろしていた。

「何が知りたいの?女が女をどう抱くか?それとも、キスしたときの唇の感触かしら?」

「や、んぅ…」

自嘲気味に薄く笑ったかと思うと制止する間もなく柔らかな生暖かい感触に唇を啄まれた。何度も軽く口付けて、それは次第に深くなり、恋人同士が求め合うかのような激しいキスに私の目はどんどん眩んだ。

初めてだった、その感触も、女の子とのキスも、キス自体も。成すがままにされて抵抗できなかった。初めてだからなのかそれとも彼女が上手いのかただ単に私が感じやすいだけなのか、全く力が入らない。ここが高校の教室だということも忘れて蕩けてしまいそうな吐息を吐き続けていた。

「これで満足した?」

そう言った彼女の瞳の奥は言葉とは裏腹に泣いているように見えた。

満足なんてするわけない。彼女のことが好きなのは事実、キスだってしてみたいという好奇心だってあった。けれど報復のためだけにあんな悲哀の色を浮かべてキスされてもラッキーだなんて思える方がおかしい。

「…泣いてるの?そんなにキスされたのが嫌?気持ち悪いと思った?興味本位で安易にずかずかと人の心に入り込んで来るからこういうことになるのよ。これに懲りたらもう私には近づかないことね」

違う、違う、私は貴方に恋している。その気持ちを知らないでされるキスは単なる作業でしかない、それが悲しかっただけ。勘違いさせるような言葉しか吐けない自分の浅薄さがすごく惨めなんだ、だから涙が込み上げる。

「堀さん?」

離れようとしていた彼女の頸根を引き寄せてその耳元に。


私は、貴方のことが、好きなの。


涙で掠れる声を搾り出すようにそう囁くと、夕陽に照らされていた彼女の顔の赤みがより増したような気がした。驚いたように顔を上げた彼女はそれから間もなくして一筋の涙を流しながら、ごめんなさい、ごめんなさいと何度も言葉にしながら私の上に崩れ落ちた。



今、私がしなければいけないのは細く震え泣く彼女を抱き留めてあげること。彼女の繰り返すごめんなさいがどういう意味なのか、まだ私には分からない。


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憧れは恋心へ ムト @mumetou_514

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