第7話「最初の覚醒」

瞬間、上体を後ろに逸らした。


 眼前には鋭い爪が通り過ぎる。

 それは虚空を切り裂く音が聞こえた。

 もしあの爪が命中していれば砕かれた頭蓋骨から鮮血が華を咲かしていただろう。


 震える足に力を入れた。

 大地を蹴ると即座にルーナの元まで距離を詰める。


「―――ルーナ!立てるかっ!」


「え…ダメ…足に力が入らないよ…」


 震える声で答える。


 その瞳は恐怖の色に支配されていた。

 体が意志に従わないらしい。


 恐怖からルーナの腰は抜けてしまったのだろう。


 非常にまずい状況だ。

 担いで逃げるとしても少女1人背負った状態ではすぐに追いつかれて一撃を叩き込まれる。

 2人の血潮が噴き出て終わりだ。


 荒い鼻息で魔獣は近づいてくる。

 獲物を確実に仕留めようと様子を伺っていたようだ。

 黒い巨体でその目は紅く光り、鋭い爪、牙が獲物を引き裂かんと輝いている。


 ―――死の恐怖。


 「絶望」という言葉をここまで味わったのは前の世界も含めて人生で初めてかもしれない。

 いや、違う意味で言えば前の世界で携帯をトイレに落として絶望した事がある。

 しかし、今の状況とは違うベクトルでの絶望だ。


 ――命を奪われる。


 それ以上の恐怖は存在するだろうか。

 熊を限りなく凶悪化させたような魔獣だ。

 確実に仕留められる事を確信すると、その大きな巨大に似合わず、機敏な動きで地を駆ける。


「――――!」


 右手は無意識に力強くルーナの手を握り締めた。

 残された左腕に力を込めて、飛び掛からんとする魔獣を決死な思いで振り払おうとする。


「近付くなっ!!」


 すると体から電気が走る感覚を思い出す。

 それはこの前の比では無い。


 ――体が沸騰するように熱くなり腕が痺れる。


 そして、空気を震わせる轟音が自分を中心にとどろき、鼓膜を刺激する。


 淡い紫の閃光で視界が明るくなると森中から闇を払い除けた。


――――瞬間、一帯がぜる。


 まるで雷が落ちたようだ。


 大地が振動し、周辺にいた鳥たちは羽をばたつかせて、一斉に空へ飛び立つ。

 その空には暗雲が渦を巻いていた。


 周辺の樹々は薙ぎ倒され、森の中にぽっくりと空間ができている。


「――こ…これは?」


 理解が追いつかない。

 雷が落ちたのか?


 だが、先程まで雷が発生するような天候では無かった。

 そう思案を巡らせているとルーナが口を開いた。


「ア…アルタイル…凄い。」


「――え?俺?」


 ルーナが涙目ながらも驚くような表情でこちらを見ている。

 羨望の眼差しだ。


 何が起きたのか理解が追いつかなかった。

 だが先程の魔獣はまるで体が炸裂したかのように四散。

 地面に倒れていた。


 辺りには焦げ臭い匂いと肉が焼ける匂いが充満している。


「え…一体なにが?」


 ルーナの目は変わらず羨望の眼差しだ。


(やめて…そんな目で見ないで!)


 心の中で叫んだ。


 あんなに剣術の稽古を付けてもらったのに魔獣の目の前でこけたのだ。


 しかし、瞑目し今までの状況を整理するとようやく気付いた事がある。



 ――――俺、雷属性?



 2人は、地面に落とした山菜を拾い上げる。

 そのまま、森の外へ歩み出した。


 村に帰ると大人達が焦燥の表情で人だかりを作っていた。


「ルーナ!!無事だったの!!」


 1人の女性がアルタイルとルーナを瞳に映すと震える声で発する。


 ルーナの母親らしい。

 そして、ルーナを強く腕の中に抱きしめた。


「良かった…!本当に良かった…!」


 安堵からか、ルーナの母親の目から涙が溢れ、頬を伝っていくのを見る。


 俺の両親シリウスとセレナも同じようにへ駆けつけて来た。


「アルタイル!怪我はしてない!?」


「アルタイル、何があった。」


 母とは違い父シリウスは、冷静に問いかける。

 そして事の経緯を説明した。


 父は驚く表情を見せる。

 同時に信じられないというような表情も見せた。


「な…なんで、こんなに大騒ぎになっているの?」


 この騒ぎの理由を確定させる為、シリウスに尋ねた。


「村の警備で巡回しているとサミュエル山脈の麓から凄まじい轟音が聞こえたんだ。それで目を向けると太い一本の稲妻が山脈の麓に落ちているのを確認してな。同時にルーナちゃんの両親が慌てているのを見つけて、その理由を聞いたってところだ」


「そうだったんだ。心配かけてごめんなさい。」


「ははは、気にするな。無事で帰ってきただけで十分だ。」


 父は豪快に笑った。

 母も笑顔で頭を撫でてくる。


 その日、村の騒ぎは落ち着き、皆それぞれの家に帰った。


 家に帰ると自室に向かい、ベッドに上向けになる。

 そして今日起きた事を整理した。


「あの時、決死の思いで振り払おうとしたら…雷が落ちた?それとも発生したのか?」


 特に発生した時の状況を細かく振り返る。


(確か…俺は無我夢中で、魔獣が近づかないように強く念じたな…。でも、あれが属性魔法だとしたら、詠唱無しでいけたのはなんでだ?強く念じるか、イメージしたらいけるのか?詠唱はその過程を省ける役割に過ぎないとか?)


 謎は深まるばかりだ。


 その時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。


「入るぞ」


 父だ。

 なんの用事だろうか。


「アルタイル、話がある。」


 そう言って、ベッドで横に座ってくる。

 その重さにベッドから軋む音がした。


「今日俺が遠くから見たのと、聞いた話からわかった事だが、

お前は――雷を操れる属性かもしれん。」


 (なんだそんな事か)


 その事には気付いていた。


「それと魔法を放った時、力が抜けなかったか?あれほどの魔法を使ったら普通は魔力が切れて数日は、寝込むぞ?」


 …との事だが、そのような感覚は感じなかった。


「いや、特に何も感じてないよ。ほら、この通り。」


 そこで腕立てを披露する。


「お…おう。わかったわかった。やめなさい。しかし、これは驚いた。お前、とんでもない魔力持ちの可能性があるな。それより、その雷属性と仮定した場合だが、どの系統に近いか、わかってるのか?」


 うなずくと火属性と闇属性に近いという事を伝えた。


「なるほど、攻撃型魔法に範囲型魔法か。完全に戦闘向きだな。剣術と組み合わせると相性がいいかもしれん。取り敢えず、今日は疲れただろ。今日はもう寝ろ。」


「そうだね。おやすみなさい。」


 シリウスは純白のシーツが敷かれたベッドに皺を残しながら立ち上がると軋む足音と共に部屋から出た。



 次の日から、また一層厳しい特訓の日々が始まる。


 基本的に剣術は朝早く起きてから午前中に行うのが習慣だった。

 そして午後からは魔法の練習だ。


 授業といえば、勉学に関してはこの世界にも学校がある。


 グレイス聖王国には、国立魔法学院が存在する。

 そこでは魔法学を学ぶ事ができるのだが、雷属性の科目は当然設けられていない。


 そのため費用対効果を考え、入学する予定は無かった。

 そもそも異世界に来てまで学校に行くのは勘弁だ。


 毎日、午後から力を入れている魔法の練習はルーナと邂逅を果たした場所で励んでいた。


 ルーナとはあの魔獣の一件から生死を彷徨う体験を分かち合った仲として、親睦を深める。


 ほとんど毎日この場所でお互いの姿を見る。


 風属性魔法を学ぶ事が出来るが、ルーナは家の経済的事情で国立魔法学院に入学する事は難しく、家の手伝いをしている。


 そのため、時間に余裕ができると、練習を見に足を運んでいた。


「ねーえ。アルタイル。こんにちは!」


「やぁ。ルーナ。今、新しい魔法の練習をしてたんだ。見てみる?――あ、耳は塞いだほうがいいかも」


 ルーナが首を縦に振ると、「七色しちしき魔導辞典」を脇に挟み、何もない草原に片手を向けた。 


 そして、心の中で念じる。

 無詠唱魔法だ。


 次の瞬間、上空に亀裂が生じて閃光が煌めくと、大地が轟音と共に振動する。


 ルーナの眼前に未知の属性、


 ――雷属性魔法が展開されようとしていた。


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