第20話 アルクと三年間

 書庫の中は、静かだ。

 時おり通風口から生ぬるい風が吹き込むほかに、何も動きがない。


 ヴィルホの指示で、一行は立坑を降りることに決めた。ムアサドが立坑の下に落とした衛兵の遺体を確認しなければならない。


 移動のための準備をしながら、アルクはコトカに話しかける。

「隷属の魔法には制限があったんだな」

「うん。魔獣を操れたら便利だよね。でも魔獣を操れるってことは、人間も操れるってことだから。禁忌に指定されているのよ」

「難しい魔法なのかな。コトカはその気になれば使える?」

「攻撃本能が強い魔獣を操るのは、かなり難しいと思う。隷属の呪文を記した魔導書があれば、できるかもしれないけど」


 アルクはコトカの話を聞きながら、内心、考えていた。

(俺にもしも魔力があれば、魔獣を操れる気がするんだけどな。魔筆をうまく使いこなせば——)


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 そこまで話したとき、アルクは思い出した。

「そうだ。これ、俺が預かっててもいいかな」

 アルクはそう言って、ユニコーンの魔筆の破片を見せた。


「あっ、いけない。ムアサドと戦った後、そのまま置きっぱなしにしていた」

「穂先は幸い無事だから、時間さえあれば直せるかもしれない。手持ちの工具だと応急処置になるけどね」

「本当? アルクに直してもらえたら、すごく嬉しい」

 アルクもその言葉が嬉しかった。


「それから、移動する前に、これも渡しておくよ」

 今度は工具入れから別の魔筆を取り出す。

「もしかして、アルクがつくった魔筆?」

 コトカが期待のこもった目で見つめた。

「あぁ、俺の魔筆だよ。何かあったとき、ムアサドの魔筆だと、とっさに使いにくいだろうから」

「アルク、ありがとう! すごく助かる」

 コトカは暗闇に光が差したように感じた。

 予備の魔筆を忘れたときはどうしようかと焦ったが、アルクに出逢えたのが奇跡に思える。

 

 魔筆は全く同じ形のものが三本あった。

 コトカは手に取って眺める。

 小筆よりも大きい中筆なかふでだ。穂は白銀色で、毛先が透き通っている。軸はケヤキの木で装飾も銘もない、シンプルな造作だった。


「アルク、これ何の魔獣の毛だろう?」

「当ててみてよ。たぶん、わからないんじゃないかな」

 アルクがいたずらっぽい表情を浮かべた。

「むむ」

「魔力を通していいよ」


 コトカはアルクの前で穂をくわえた。さっきとは違って、恥ずかしさよりも好奇心が勝った。アルクの方が恥ずかしそうに目を伏せている。コトカは封止の糊を舐め終わると、穂を宙にかざした。

「穂先がとても綺麗だね。ユニコーンに似ているけど、まさか違うよね」


 魔力をこめると、穂が輝く。

「わっ」

 コトカは思わず声をあげた。コトカの魔力に即座に反応したからだ。ムアサドの魔筆とは真逆だ。わずかな加減が効果に影響するタイプの、いわゆるピーキーな魔筆だ。


「コトカ、どう?」

「反応速度がすごいね。獣毛の純度が高くて、毛質がそろっているからかな」

「それなら良かった。ねらい通りに仕上がっているみたいだ」


 コトカは首をかしげる。

「いったい何の毛だろう。いちばん似ているのはユニコーンだけど、違う気もする。かなり稀少な魔獣の毛なのかな」

「降参?」

「悔しいけど、降参だわ。教えて」


 アルクが答えた。

「これはね、銀色大狸シルバーラクーンだよ」


「え、なんて言ったの」

 コトカは聞き間違いかと思って、問い直した。

「シルバーラクーン」

「ラクーンって、タヌキ? 冗談だよね?」


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 シルバーラクーンは雪原に住むタヌキの魔獣だ。

 とりたてて珍しい魔獣ではない。獣毛は手袋などの防寒に使われる。絵筆や刷毛に用いることもあるが、魔筆にすることはまずない。毛質が粗くて魔力が通りにくいためだ。


 コトカはもう一度、魔筆を丁寧に観察した。滑らかで流れるような毛並みは、どう見てもシルバーラクーンとは思えない。


 アルクが説明する。

「シルバーラクーンの獣毛には、ごくまれに素晴らしい品質の毛が混ざっているんだよ。一頭から十本か二十本くらいしか採れないけど。それを選り分けて集めたんだ」


 コトカは息を呑む。

 そんな話は、もちろん初めて知った。

「ねぇ、アルク。中筆をつくるのに、必要な毛は何本くらい?」

「中筆一本につき、毛が三千本くらいかな」

「それを全部、アルクが選り分けたの?」

「そうだよ。毛皮の加工を請け負って、その副産物としてね。その魔筆を一本つくるのに一年間かけたから」


 コトカは唖然とした。

「一年間って」

「もちろんこればかりやっていた訳じゃないよ。他の魔筆の合間につくっていた」

「これは三本同時につくったの?」

「いや、一本ずつ。だから全部で三年間かかった」

 アルクは何でもないことのように答えた。


 魔筆というのは一般に、一本つくるのに数日から数週間かかる。大手の工房であれば、一人が百本単位で同時につくることもある。一年がかりで一本、三年間で三本というのは、美術工芸品の魔筆を除けば、あり得ない時間のかけ方だ。


「アルク、こんな洗練された魔筆がシルバーラクーンからできるんだね」

「昔、祖父じいさんがこのやり方で極細の面相筆をつくったんだ。それが素晴らしい出来栄えだったから。俺は中筆でやってみたんだ」

「すごいよ、アルク。君は本当にすごい」


 そこでアルクは顔をしかめた。

「だけど、問題があるんだ。この魔筆の効果は強化で、威力はユニコーンにも劣らないと思う。でも、耐久性が極端に低い」

「そうなの?」

「うん、たぶん数回しか持たない。コトカは魔力が強いから、一回の攻撃で壊れるかもしれない」

「えー」

「だから使い捨てだと思ってほしい」


 コトカは再び唖然とする。

 つくり方といい、使い方といい、こんな魔筆は聞いたことがない。


「でもさ、アルク。三本で三年間もかけた魔筆だよ。それをわたしがパパっと使い捨てていいの?」

「もちろん、いいよ。俺のあの三年間はたぶん、コトカにいまここで、この筆を使ってもらうためにあったんだよ」


 コトカはうつむいて三本の魔筆を握りしめる。さっきから鼓動が鳴りやまない。

「ズルいなぁ、そんなことを言われたら、絶対に失敗できなくなっちゃう」

「ゴメン、変なことを言ったかな」


 コトカは顔を上げた。そしてアルクの首に手をかけて引き寄せると、アルクの頭を胸にかき抱く。

「ふふ、アルク、君ってやつは。まったく」

「ちょっと、何するんだよ」

 アルクが顔を真っ赤にしてもがいたが、コトカは頭を抱く手をゆるめなかった。

 

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