第19話 魔獣と知性

 アルクは声は小さいがきっぱりとした口調で説明した。

「魔獣の中には獲物をすぐに食べずに、巣穴などに貯めこむ奴もいる。でもムアサドにそんな習性があるとは聞いたことがないし。そもそも胃に何もないなんて、さすがに変じゃないかな」


 アイノがあざけるように応じる。

「ふん、相手は魔獣だぞ。別に空腹じゃなくたって、理由もなく襲いかかってくることだってあるだろうよ」


「いや、魔獣だからこそ、理由は明確なはずだ。空腹ではないなら、何で襲ってきたんだろう。縄張りに入ったからか。でも書庫が縄張りだなんて、それこそあり得ない」


 まだ少年のようなあどけなさが残るアルクが口をとがらせて考え込むさまを、コトカは微笑ましく思った。


 コトカは、アルクという人間の在り方を理解しつつある。

 アルクは嗅覚などが鋭敏だが、感性が優先する人間かというと、そうではない。アルクの思考は極めて論理的だ。物事を筋道や因果関係で捉えようとする。だからこそ、魔獣が理由もなく人を襲う状況が看過できない。


 幼少の頃から、技術と経験がものを言う職人の世界で生きてきた。そして、魔筆師の祖父から薫陶を受けた。それらの積み重ねがアルクの特性を磨きあげたのだ。


 コトカはアルクとは真逆だ。何もかも。有力貴族の家柄であることを強みに、感性と直感で駆け抜けてきた。性格も能力も、アルクとは重なるものがほとんどない。


 それでも、コトカは感じていた。

 「アルクと自分は、根っこのところで、通じるものがある」と。それが何なのか、コトカにはうまく言葉にできなかったが。


 アイノがため息まじりにぼやく。

「この小僧はいつも思わせぶりだな。扉が閉まった時もそうだ。閉まった理由は何だとか、ぶつくさ言いやがって」


 その発言に、アルクが顔を上げた。


 コトカがアルクの顔をのぞきこむ。

「どうしたの」

「いや、何でもない」

「何でもないって顔じゃないわ」

 アルクの顔色は青ざめている。

 コトカはアルクの背中にそっと手をあてた。


 アルクはコトカを見て、それから言った。

「全てがつながっていたら、嫌だな、と思ったんだ」

「つながるって、何が?」

「厄災の書が消失したこと。俺たちが大図書館に集まったこと。扉がしまったこと。それから、魔獣に襲われたこと」


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 コトカにも、ザワザワとした胸騒ぎが生まれていた。

「アルク、つながっていたら、どうなる?」

「魔獣が俺たちを襲ったことは必然だってことになる。襲われるべくして襲われた。扉を閉めたのは、そのために逃げ道をふさいだとすら思える」


 そこまで話すと、アルクは首を振った。

「ごめん、最後の方は口が滑った。根拠は何もない」


 嫌な沈黙が流れた。


 アルクは否定したが、コトカはアルクの発言は聞き流せないと思った。ヴィルホも、それからアイノまでも、考えこんでいる。


 そのとき、ふいにリネアが口を開いた。

「ちょっといいか?」

 リネアはこれまで気配を消して黙っていたので、みんなはその場に彼女がいたことを改めて認識した。


「アルク、わたしは魔獣のことをよく知らない。だから教えてほしいのだが」

「俺でわかることなら」

 アルクは応えながら、思わず半歩下がった。リネアに気圧されたのだ。


 リネアはアルクよりもかなり背が高い。均整のとれた体に長い手足。金髪の下の端正な顔に眼帯をつけていることで、美しさと精悍さがむしろ際立っていた。


 リネアがたずねる。

「魔獣というのは、知性があるのか?」

「知性?」


「そうだ。ムアサドの知性は、人間や他の動物と比べて、どうなのだろう」

 アルクは最初、突拍子もない質問だと思った。だが、すぐに重要な示唆が含まれていることに気付いた。

「えっと、ムアサドの知性は、普通の肉食獣と同じくらいだと思う。例えるなら狼とか」


「だろうな。戦ってみて手強い相手だとは思ったが、知性は感じなかった」

「人間並みに知性を持つ魔獣もいるけど、めったにいない。俺は遭遇したことがないし、少なくともムアサドはそうじゃない」


 魔獣の多くは、通常の肉食獣や草食獣と同程度の知性しかない。例外は、ヒト型の魔獣や、竜のようなごく一部の稀少種だ。それらは人前に現れることは殆どない。


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 リネアはうなずいた。

「つまり、ムアサドが我々を意図的に陥れたり、弄んだりすることはない。そんな知性はない、ということだな」

「あいつらはただの獣なんだ。本能で動いているだけだ」


「だとしたら、やはり妙だな。いまこの状況で、なぜ、わざわざ向こうから襲い掛かってきたのか」

「俺もそう思う」


 アルクはリネアに賛同しながら、ふと思いついて言った。

「あぁ、そうか。ムアサドが魔法であやつられていたとしたら、話は別だ。その可能性はないのかな」


 その言葉に、またも微妙な空気が流れる。

 アイノが薄笑いを浮かべた。

「まったく。これだから素人は」


 アルクはアイノに問い返す。

「俺はいま、何か変なことを言ったかな?」

「魔獣をあやつる魔法なんて、ない」

「え」

「いいか。そんな魔法はないんだ。魔獣をあやつる『魔獣使い』が活躍するのは、おとぎ話の中だけだ」


 コトカが口をはさむ。

「アルクは知らなくても仕方がないわ。魔法使いではないのだから」


「コトカ、どういうこと?」

「あのね、魔獣を使役する魔法は、隷属の術と呼ばれる禁忌の魔法なの。だから、魔法がないというよりも、魔法使いは使うことができないのよ」


 アルクもようやく自分の失言に気付く。

 そして思い出した。

 このことは、以前に聞いたことがあった。だが、自分には関わりのない魔法の制限の話なので、アイノに指摘されるまで忘れていたのだ。

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