第17話 コトカとムアサド
ムアサドは一般には狩りの対象になる魔獣ではない。毛皮も肉も独特の臭気と脂分のせいで使いものにならない。ただ砂漠に住む一部の遊牧民族のみが、毛皮を魔筆に、骨を祭事に用いる。
アルクとコトカのやり取りを眺めていたヴィルホは、感じ入った様子で述べた。
「ムアサドは人間の前には現れないし、こちらからあえて関わりを持つ相手ではない。あの忌まわしい外見の化物が、まさか魔筆の材料になるとはな」
そのムアサドの魔筆を、コトカは右手で握り直した。
さぁ、まずはムアサドの動きをとめてみよう——。そう考え、呪文を放った。
空中に書いた呪文でそのまま相手を拘束する技だ。無効化が効くなら、さっきよりも強く、ムアサドを抑えつけられるはずだ。
だが、魔筆の出力が予想以上に大きい。自分の書いた文字に引っ張られるように、コトカの体勢が大きく崩れた。
「わわっ」
コトカは必死で踏ん張りながら魔筆を振るう。筆先が乱れて思ったように書けない。呪文は完成せずに空中で消えてしまう。
ムアサドが突進してきた。
アイノが火球を放ちながら懸命に槍を突きだす。火球は一瞬で蒸発する。槍はムアサドの頭部に当たったが、獣毛が鋼線のように硬く、槍先が滑ってそれた。
間髪を入れず、リネアが横からムアサドに長刀で突きを入れる。それも角度が悪かったらしく、刃が上手く刺さらない。
「しっかり抑えろよ、一級写本師!」
「まったく、厄介な魔獣だね」
アイノの叱咤を聞き流しながら、コトカはいったん距離をとる。
コトカは今度は出力を控えめにして魔筆を宙に走らせる。だが、やはりうまく書けない。文字が曲がらないうえ、空間への定着も良くないのだ。
それでも何とか最後まで呪文を書き切ったが、出力が弱すぎたようだ。ムアサドをつなぎとめることは出来なかった。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
コトカは、アルクが言う「燃費が悪い」という表現がピッタリだと思った。反応が予測不能で、思うように書けない。
「こんなに言うことを聞かない子、初めてだなぁ」
コトカは苛立ちとともに、ゾクゾクした高揚も感じた。自分に使いこなせない魔筆があるなんて、思ってもみなかったからだ。
「でも、いつまでもこのままでは、マズいよね」
魔筆を構え、ムアサドとの距離をはかる。
そのとき、アルクの声が響いた。
「コトカ、出力を絞っちゃダメだ」
「え、でも」
振り向くとアルクが結界から声を張り上げている。
「コトカ、その魔筆の力は、そんなもんじゃない。砂漠の民はもっと大きな呪文を書くんだ。墳墓や洞窟の中で」
「あっ、そうか」
コトカはアルクの言いたいことを察した。
発想が間違っていた。この魔筆にしかできない呪文の使い方があるはずだ。
コトカは魔法使いに声をかけた。
「アイノ殿、ムアサドを広場に追い込めるかな。それから火球を思いっきり連続で打ち込んでほしい」
「お前、さっきから無茶ばっかり言うな。全然狙い通りにいってないじゃねぇか」
「次で仕留めるから。お願い。リネアもフォローよろしくね」
「お嬢さま、わたしは大丈夫です」
口では文句を言っているが、アイノは炎をまとった槍を手に、ムアサドを巧みに押し返す。さらにリネアがムアサドの口の中を狙い、長刀で突きを入れて、けん制する。
二人の攻めが奏功し、ムアサドはコトカの指示通り、立坑の前の広場に入った。
「今だ。アイノ殿、火球を」
「ちっ」
舌打ちをしながら、アイノが杖を突き出して火球を連発した。
炎が次々と打ち出され、ムアサドに当たる側から消えていく。
「魔法が効かないんだから、こんなの意味ねえだろう」
いや、意味ならある。
効かないとはいえ、火球の執拗さにムアサドがアイノの方を向いてうなり、敵意を剥き出しにした。
その隙をつき、コトカは魔筆をゆっくりと振るう。左手を添え、まるで両手で大筆を使うときのような姿勢で。
「せいやっ」
コトカは広場を覆う大きさで、床全体に巨大な呪文を書いた。
小さくまとめようとするから、うまく書けないのだ。曲線が書きにくいこの魔筆でも、大きな文字なら書ける。
しかも、書きながら魔筆の出力を上げていくうちに、ある出力で効果が跳ね上がる感覚があった。
「うん。アルクのいう最適な出力、わかったよ」
魔力の消費量が激しい。それでもコトカは必死に耐えて、魔力をこめた。床に書いた呪文が赤色に輝くと、魔方陣となって立ち上がり、ムアサドを包み込む。
うまくいった。拘束の魔法が発動した。
ムアサドが魔法陣の中で唸り声をあげる。
「これでどうだ」
ムアサドがいくらもがいても、魔法陣から逃れられない。
アルクも思わず声を上げた。
「無効化が効いている。いや、魔筆の無効化でムアサドの無効化を打ち消しているんだ」
ムアサドを覆っていた対魔法と対物理の無効化、その鎧がこれで外れた。
「ほらよっ。これでも食らえ」
アイノが特大の火球を放った。二発三発と撃ち込むと、ムアサドは全身に火がまわって苦しみもがく。
そこにリネアが走り込み、ムアサドの首を袈裟懸けに斬り落とした。
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