第16話 コトカと初めての魔筆

 アルクが手にしていたのは、漆黒の魔筆だった。


 コトカは受け取ってじっくりと眺める。

「黒い魔筆って、珍しい」

 穂が墨を含んだように黒い。

 もちろん墨ではない。魔筆の字は魔力によって書かれる。墨はもとより絵の具もインクも不要だ。これは獣毛が黒いのだ。


 穂は太く、短く、刷毛はけのようにも見える。穂と軸の継ぎ目を鉄線で巻いた武骨な造作もコトカには初めて見るものだった。


「アルク。これ、もしかして」

 コトカは魔筆の正体に気づいた。

 アルクがうなずいて言う。

「そう。ムアサドの魔筆だよ」


「なるほど。そう来たかぁ」

 コトカは思わず声を上げた。


 魔獣と戦う場合、その魔獣の毛でつくられた魔筆は使うべきではない——。それがこの世界の定説だからだ。


 理由は二つ。


 第一に、魔獣に刺激を与える懸念があるからだ。魔獣は同族の気配に敏感だ。人間だって、人間の皮膚でつくられた武具で攻撃されたら平静ではいられないだろう。


 第二に、魔筆の効果の問題だ。魔筆の効果は魔獣の能力を受け継ぐ。それゆえに、オリジナルの魔獣に有効とは限らない。例えば、帯電している魔獣、サンダーバードの羽毛を使えば雷撃の効果が得られるが、サンダーバードに雷撃は効かない。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


「アルク、この魔筆の効果は何?」

「魔法の無効化だよ」

「え、すごいね」

「でも、砂漠の民の仕様なので、使いこなすのが難しい。原始的な魔法や呪詛のための魔筆だよ。棺桶に呪文を書いて死者の怨念を抑えたりするのに使うんだ」


「想像できるよ。複雑な呪文は書けないんだよね」

「そうだ。それに燃費が悪い。元々の仕様だと魔力の消費が大きい割に効果が小さい」

「うんうん」

「だから効果を高めるために、特定の出力で効果が増すようにアレンジしている。最適な出力を見極めてほしい」

「わかった。やってみる」


 ムアサドの魔筆でムアサドと戦う。

 確かに禁じ手だが、試す価値はある。上手くいけば、無効化を無効化で抑え込めるかもしれない——。


「俺の魔筆を使ってもらえるなら、本当はもっとちゃんとした魔筆を渡したいんだけど」

 アルクが顔を赤らめながら、そう付け加えた。

「ううん、嬉しいよ。だって、アルクがつくった魔筆の、最初の使い手になれるんだから」


「おい、お前ら。何でもいいから、早くしろ!」

 アイノの叫び声が響いた。

 アイノとリネアは二人がかりでムアサドと戦っている。


「もうちょっと待ってて!」

 コトカが声をかけ、魔筆の穂先を指で確かめた。

「アルク、これ封止シールしているよね」

「している。未使用だから」

「わかった。じゃあ、使わせてもらうね」


 コトカは魔筆を手に持つと、口をあけて穂をくわえた。

 新しい魔筆をおろすときは、独特の作法が要る。未使用の魔筆の穂は、封止といって、封印と品質保持のために糊で固められている。


 使い手は、穂をくわえて唾液で糊を溶かす。そうすることで魔筆が使用可能になり、魔筆と使い手の間にパスがつながるのだ。


 コトカはふと、魔筆を口から離すと、アルクに言った。


「あのさ、アルク。くわえているところを、そんなにじっと見られたら、さすがのわたしも、ちょっと恥ずかしいかな」

「あ、ごめん」


 アルクはあわてて目をそらした。見てはいけないと思いながらも、ついコトカから目を離せなかったのだ。


 しばらくして、コトカが再び魔筆から口を離した。

「よし。準備できた。口の中が重油くさいけど」

 コトカはイタズラっぽく舌を出して笑った。

「コトカ、気をつけて」

「アルクの魔筆、きっと使いこなしてみせるからね」


 コトカは結界を離れ、アイノとリネアの方に駆け出した。

 アルクはコトカの背中を見守るしかない。


 緊張した面持ちのアルクに、オリヴァーが声をかけた。

「可愛いね、あの子。君の彼女?」

「いやまさかそんな。彼女なんかじゃ、ないから」

 アルクはしどろもどろになりながら答えた。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 コトカは右手にムアサドの魔筆を構える。魔力を流すと、魔筆が魔力を飲み込んだ。おそらく、並の使い手であれば、魔筆に魔力を「持っていかれる」に違いない。


「暴れ馬みたい。とんでもない魔筆だわ」

 だが、コトカは並の使い手ではない。魔力の容量も常人より桁違いに大きい。右手で二度三度、握り直して感触を確かめると、魔筆を御す手応えをつかんだ。


「リネア、どう?」

 コトカはリネアに並ぶと声をかける。

「お嬢さま。あいつの魔力と体力を削っていますが、決め切れていません。アルクが言う通り、毛の流れを意識した方が攻撃が決まりやすいですね」


 さて、ここからどうするか。


 コトカの能力は、魔導書を書くことと、魔導書を発動することだ。


 魔導書を使う魔法は、使わない魔法に比べ、より強力で高度で複雑だ。


 魔導書を書くことは、一級写本師でも二級写本師でも出来る。そして、魔導書を発動することは、一級写本師のほかに、魔法使いの中にも出来る者はいる。


 コトカの能力の特異さは、魔導書を書きながら、同時に発動できる点にある。コトカは難なくやってのけているが、実際には極めて難易度の高い超絶技巧だ。巻紙を介さずに、文字を空中に書き出せる強みも大きい。


 コトカはリネアとアイノに言う。

「今からあの厄介な無効化を解除するから。その瞬間に攻撃をお願い」






 

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