第14話 書庫と立坑
書庫に入るのは総勢九人だ。
先陣を切る魔法使いのアイノに続いて、衛兵二人、ウルマス館長、ヴィルホ、オリヴァー。その後に、アルク、コトカ、リネアが入った。
アルクは「こんな大勢で入ったら、身動きが取れないのではないか」と心配した。
だが、書庫の中は想像以上に広大だった。
魔力で発光するランプに照らし出された内観は、まるで地下迷宮のようだ。天井の高さは四メートル位あり、床面積は地上部分よりも大きそうだ。
「すごい」
アルクは思わず声を漏らす。
ウルマス館長が、皆に説明した。
「書庫はかつての地下施設を生かした空間です。ここは岩盤が強固で、古代から坑道が掘られて教会や
書架には革張りの書籍や羊皮紙の束が無造作に並ぶ。
ところどころに置かれた古びた長椅子や、聖句を読み上げるための書見台は、教会の名残なのだろう。
一同は、書架の陰に魔獣がひそんでいないかを確認しながら、ゆっくりと進む。
時おり立ち止まって周囲を警戒したり、書架に沿って左や右に曲がったりした。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
「ねぇ、アルク」
歩きながらコトカがアルクに話しかける。「アルクはさっき、ムアサドの毛を使ったことがあるって言ってたよね。わたし、ムアサドの魔筆なんて、見たことないわ」
「あぁ、ムアサドの魔筆は特殊な品なんだ。砂漠の民が呪符を書いたり、まじないに使ったりするんだ。最も原初的な魔筆のひとつと言われているよ」
「へぇ。知らなかった」
「コトカの魔筆とは真逆の造りだよ。毛質も太くて固いから。魔導書の繊細な文字を書くには適さない」
コトカは、魔筆のこととなると饒舌になるアルクを微笑ましく思った。
「あ、アルク。わたしの魔筆、あれは何の毛かわかる?」
「あれは、ほぼユニコーンだ」
「やっぱり、わかっていたのね。ていうか、ほぼって、どういうこと?」
「ほんの少し、
「えっ、うそ。全てユニコーンだって聞いていたのに」
「たぶんコトカのご先祖さまに、男性の使い手がいたんだ。男性がユニコーンの魔筆を使うときに、ブースターとして少量のバイコーンを混ぜるのは昔からある裏技だよ」
「なにそれ、初耳なんだけど」
コトカはアルクに腕を絡めて引き寄せ、顔をまじまじとのぞきこむ。
「ちょっと。何だよ、コトカ」
急に体を寄せられたアルクがうろたえた。
「あ、ごめん。アルクって、わたしと同じくらいの年齢だよね。若く見えるけど実はすごく歳をとっていたりしないよね」
「しないよ。十六歳だよ」
「じゃあ、わたしと同じだ。ねぇ、どうして、そんなに詳しいの? ユニコーンの魔筆って、こう言っては失礼だけど、貴族でもなかなか手に入らない貴重品なのに」
アルクはコトカの疑問に答えた。
「俺の
「いわくつきって?」
「表には出まわらない品だよ。例えば、貴族が密かに手放した銘品とかね。金策のためだったり、縁起が悪かったりして。あるいは、銘品の贋作、発掘された埋蔵品、中には盗品もあったな」
「ふうん。何だか面白そうね」
「面白いよ」
アルクは笑った。アルクの笑顔は、コトカには無邪気な子どものように見えた。
「タイヴァス家のお抱えの魔筆師からは、そんな話は聞いたことがなかったわ」
「祖父さんは仕事を選ばなかったから。扱う魔筆の種類もレベルも様々だった」
「わたしにとっては身近なはずの魔筆に、そんな世界があったのね」
コトカは、アルクと一緒にどこかでゆっくり魔筆の話がしたいと思った。こんな殺伐とした状況ではなくて。屋敷のサンルームでお茶でも飲みながら話したら、きっと楽しいだろう——。
そんな他愛のないコトカの夢想を、先頭を歩いていたアイノの声が破った。
「とまれ」
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
一同が歩みをとめた。
「とりあえず
アイノがヴィルホにたずねた。
書庫は地下一階から地下四階まで広がっている。そして各階をつなぐのが、階段室と空気孔を兼ねた巨大な立坑だ。この例を見ない大掛かりな階層構造も、古代の遺構によるものだった。
立坑は直径が三十メートル程もある。穴の内壁に階段が螺旋状に刻まれて下層に続いていた。
「一番下まで降りるか?」
アイノの問いに、ヴィルホが首を振った。
「いや、一層ずつしらみ潰しに調べながら降りていこう。魔獣がホールに行かないよう、確実に仕留める必要がある」
「わかった」
立坑の周囲は、書架もなく、広場のように開かれた空間になっていた。
ここから一つ下の地下二階に降りるのだ。
各自が一息ついていた、その瞬間だった。
「あっ」
アルクが声を上げる。
立坑から黒い影が風のように舞い上がり、襲いかかってきた。
アイノが身をかがめる。背後から襲われたにもかかわらず、とっさにかわしたアイノの反射神経は褒められるべきだろう。
黒い影はアイノを飛び越え、一同の前に降りた。
即座に反応したリネアが長刀を抜いて突き出す。黒い影はその切っ先をかわすと、衛兵の一人を頭からくわえ込み、そのまま立坑のそばまで軽々と跳躍した。
ムアサドだ。
実物を見たことがあるのはアルクだけだ。
アルク以外の全員が、その魔獣を初めて目にし、まがまがしさに驚いた。
大物だ。体長は五メートル近くある。全身が黒い毛で覆われ、鋭い目だけが青白く光っている。
コトカは「
驚くべきは、牛よりも巨躯でありながら、襲いかかって飛びすさる一連の身のこなしが羽のように軽く、着地の音すらしないことだ。
ムアサドは顔を振り、くわえていた衛兵を立坑に放った。衛兵は噛み砕かれ、身体が二つに分断されていた。残念ながら命は尽きている。衛兵の身体が立坑の底に落ちる乾いた音が響く。
「ヴィルホ殿、結界を張ってください」
コトカが冷静に言い放つと、アルクをヴィルホのそばに突き飛ばす。
ヴィルホが直ちに魔力を発動して結界を立ち上げた。
「わたしとリネアとアイノ殿のほかは結界から出ないように」
コトカはそう命じると、ムアサドと向き合った。
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