第13話 弱気と矜持
コトカはアルクの言葉に胸が熱くなる。
魔筆のつくり手が、いたのだ。こんな所に。
「それにしても、アルク。何百本って。いつから魔筆をつくっているの」
「6歳かな。もう10年になる。
「すごいよ、アルク。自分のことを魔筆師じゃないって言うけど。それだけの経験があるなら、魔筆師だって言えると思うよ」
「うん。でも俺は、自分の魔筆を売ったり、誰かに使ってもらったりした経験がないから」
アルクは答えながら、不安を感じていた。
ついさっきまで、コトカに魔筆師だと認めてもらいたいと思っていた。だが、認めてもらったとたん、今度は弱気になっている。
何の実績もないことに変わりはない。自分がつくった魔筆をコトカに見せても、がっかりさせるだけかもしれない。しょせん、井の中の蛙じゃないのか——。
一方で、コトカも考えていた。
コトカがこれまで手にしてきた魔筆は、超一級の逸品ばかりだ。タイヴァス家の伝来品、高名なマイスターの銘付き、原毛から装飾まで指定したフルオーダーメイドなどだ。
コトカから見ると魔法後進国のカレフ王国で、名もなき職人がつくった魔筆を手にすることなどあり得ない。従来であれば。
でも、アルクの魔筆には興味がある。いったいどんな魔筆をつくるのか。自分のためにつくってほしい。もしかしたら、アルクの魔筆の初めての使い手になれるかもしれない。
「アルク、あの、わたし」
コトカは思いを伝えようと、思わずアルクに詰め寄った。だが、勢い込んだものの、言葉にしようとした瞬間にふと思う。アルクの意思はどうなのか、思いつきでアルクを振り回すことにならないか。そんなことを考えだすと、うまく言葉が続かない
アルクとコトカは、たがいに探り合うように、見つめ合う。
「こら、お前ら、何をじゃれているんだ。そろそろ突入するぞ」
アイノがそこへ声をかけてきた。
アルクとコトカは飛び上がる。やましいことは何もないのだが、二人とも何だか恥ずかしい現場を見られたような気になる。
たがいに気まずく、無言で身支度を済ませると、アイノの後を追った。
リネアが影のようにコトカに従う。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
書庫への出入り口の前に、中に入る面々が集まっていた。
ヴィルホがアルクに問う。
「もしも本当にムアサドなら、何か注意することはあるか」
ヴィルホの中で、アルクへの関心と期待が高まりつつある。
アルクはしばらく考えた後に答えた。
「ムアサドの毛には、強力な対魔法、対物理の無効化効果があるんだ。効果は毛先から出るから、毛の流れに反して攻撃するのはやめた方がいいと思う。狙うなら、毛の流れに沿って斬るか、口の中じゃないかな」
アルクから思いのほか核心をついた答えが返ってきたことに、一同が驚く。
アイノは目を見開き、ヴィルホは「なるほど」と頷いた。
リネアがコトカにそっとささやく。
「アルクが魔筆師というのも、伊達ではなさそうですね」
「でしょ?」
「お嬢さまがどうして自慢げなんですか」
「ふふふ」
それからアルクは付け加えた。「ハンターの受け売りだけど、ムアサドは必ずつがいで行動する。一匹いたら、もう一匹いると思った方がいい」
「わかった。それも覚えておこう」
ヴィルホがうなずいた。
一同がアイノを先頭に書庫に入る。
最後尾がコトカとリネアで、コトカのすぐ前にアルクがいた。
緊張感を高めていたアルクに、もう一人の職人が話しかけてきた。
「よろしくな」
最後に志願した長髪を束ねた長身の男だ。年恰好は三十代くらいで、無精髭を伸ばしている。
オリヴァーと名乗った。
アルクは、タリアの職人であれば、たいてい顔くらいは知っている。だが、オリヴァーはこれまで見たことがない。
「俺の本職は金細工師だから。土木建築の現場に来ることはあまりないんだ」
オリヴァーはそんなことを言った。
アルクは思わず本音を漏らした。
「オリヴァー、あんたは、変わっているな」
「そうかな。そりゃ、どうして」
「だって、そうだろう。書庫の探索に入る危険な任務にわざわざ手を挙げるんだから」
アルクがそう言うと、オリヴァーは笑みを浮かべた。
「俺はこう見えて鼻がきくんだ。アルク、君についていく方が、留まるよりも生き残る確率が高いと感じたんだ」
どこまで本気なのかわからない。だが、妙な落ち着きと人懐っこさを兼ね備えている。
アルクは「何だか職人らしくない、不思議なやつだな」と思った。
一方、最後尾を歩くリネアはコトカにささやいた。
「お嬢さま、強制離脱の魔導書は持っていますよね」
「まぁ、一応ね」
空間転移の魔導書のことだ。それを使えば、この閉ざされた地下空間からもおそらく脱出は可能だ。いざという時のために持参していた。
「お嬢さま、迷わず使ってください。正直、今すぐに使ってもよい局面だと思います」
「うーん、そうなんだけどねぇ」
コトカは顔をしかめる。そして言った。「いま思えば、わたし、完全に引き際を誤ったよね。事情を聞いたとき、すぐに引き返すべきだったよね」
コトカにも矜持はある。
ここまできたら、目の前の事態に立ち向かわなければ、ヴィーク王国のタイヴァス家、その一級写本師の名がすたる。
それに、ここにきたおかげで、アルクという興味深い少年にも出会えたのだ。
コトカはもはや逃げるつもりはなかった。
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