第7話 つくり手と使い手
コトカは深い考えがあってアルクに魔筆を見せた訳ではない。この灰色の髪をした(どこか屋敷の牧羊犬を彷彿とさせる)少年の願いを叶えてやりたいと思っただけだ。こんな反応がかえってくるとは、予想外だった。
「そういえば、まだ名乗っていなかったね。わたしはヴィーク王国から来たコトカ・タイヴァス。君の名前は?」
「アルク・アールトです。タイヴァスさま」
「コトカでいいよ」
「そういう訳には」
「いいよいいよ、アルク。わたしはカレフ王国の貴族じゃないし。君の雇い主でもないんだから。敬語は使わなくて構わないよ」
コトカは改めてアルクの方を向いて言う。
「それで、魔筆を使わない方がいいって、それはどうして?」
アルクは思わず背筋を伸ばした。自分のような何者でもない若僧の言葉を、真正面から聞いてくれたことに感激したのだ。
「コトカさん、いや、コトカ。俺は一級写本師を相手に、とても偉そうなことを言ってるよね」
「ううん、全然問題ないよ。それよりも、理由を教えてほしいな」
「それは、この魔筆が
「過負荷?」
「魔筆の軸は、掌から受け取った魔力をためて、穂に送る役目があるよね。でも、この魔筆は、魔力がうまく流れていない」
「えっ……」
「コトカの魔力が大きくて、軸の容量が小さいから、目詰まりを起こしている。それが過負荷だよ。このままでは軸が焼けつくか、最悪破損する」
「えっと……」
「これは伝来品だよね。長く保管していて、久しぶりに使ったのかな。だから異変に気づかなかったんじゃないかな」
「ちょっと、ちょっと待って!」
コトカは声をあげる。アルクがよどみなく説明する言葉を押しとどめ、アルクの両肩をつかんだ。
「アルク、君はいったい何者? 魔筆師なの?」
「いいや、ただの工具師だよ」
アルクはうつむいた。
「魔筆師じゃないなら、どうして、そんなことがわかるの?」
「コトカの魔筆が、悲鳴をあげて、いなないていたから」
コトカはハッとして、アルクを見る。冗談や出まかせとは考えられない。
コトカは思う。「本当に、見ただけでそこまで分かるの? もしそうなら、そんなの、マイスター級の魔筆師じゃないか……」
そのとき、離れた所で、別の職人がアルクを呼んだ。
「おぉい、そこの若いの! ちょっとこっちで荷ほどきを手伝ってくれ」
「あ、はい!」
アルクはコトカに筆を返すと、慌しくその場を去った。
コトカは前を向いたままポツリと言う。
「リネア。どう思う?」
コトカの後方にリネアが控えていた。リネアは気配を消していたので、アルクはリネアを意識していなかっただろう。リネアはコトカに近づく者を、常に自分の間合いで捉えている。
リネアは答えた。
「どうでしょうね。彼の言葉、本当かどうかわかりませんね。お嬢さまの気をひきたいだけじゃないですか」
「ふふふ」
リネアはコトカに近づく異性には、常に手厳しいのだ。
リネアはなおも言う。
「そもそも、お嬢さまは誰彼かまわず気さくに接しすぎです。護衛する身にもなってください。まして、大事な魔筆を他人に渡すなんて、信じられないですよ」
それについては、コトカ自身、自分でも驚いた。普段ならそんなことはしない。リネアが他人に刀を渡さないのと同じように。
「信用しても良いかなと、思ったんだよ。それにしても……」
「それにしても、どうしたのですか?」
「アルクは、この魔筆が『いなないている』って言ったんだ。これがユニコーンの毛の筆だって、気づいていたみたいに」
コトカは魔筆をくるくると手で回す。魔筆に向かって「おまえ、そんなに苦しかったのかい?」と聞いた。
この魔筆は、タイヴァス家に代々伝わる品だ。ユニコーンの魔筆は、女性が使うと力がより引き出せるとされる。貴重な品のため、普段は引き出しの奥に仕舞い込んでいる。
コトカは今回、他国に赴くから良いものを携行しようと、深く考えずに腰に差したのだ。アルクの言う通り、久しぶりに使う魔筆を調整もしないで。
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魔筆には、魔獣の獣毛は欠かせない。
魔獣の獣毛は、魔力への耐性があるうえ、さまざまな効果が発揮できるためだ。
例えば、イッカクウサギなら、外敵に衝撃波を放つ成獣の性質を受け継ぎ、攻撃魔法に用いたときに
単一の魔獣の獣毛か、複数の魔獣の
もちろん、筆の大きさ、穂の長さと硬さ、軸の素材や形状など、魔筆には無数のバリエーションがある。
使い手の中には、何十本、何百本もの魔筆を細かく使い分ける者もいる。
魔筆というのは、それほどに、つくり手と使い手のこだわりが詰まった品なのだ。
「魔筆というのは、オーダーメイドであるべきだ」
アルクの祖父、アルマス・アールトはよくそう言っていた。
同じ理由で、「伝来品はダメだ」とも。
もちろん、伝来品であっても、調整すれば問題はない。使い手に合わせた細やかな調整も魔筆師の仕事だ。とはいえ、先祖代々の貴重な伝来品に手を入れたがらない持ち主も多いのだ。
「使い手に魔筆を合わせるんだ。魔筆に使い手を合わせるのは、間違っている」というのが、アルマスの考えだった。
アルマスは名のある魔筆師ではなかったが、腕は確かだった。彼を召し抱えたいという声も多かった。だが、アルマスは貴族や王族との関わりを面倒くさがり、職人街に紛れ込んだ。表には出ない「いわくつき」の魔筆の修復などを手がけながら、職人街でひっそり生涯を終えた。
アルクは、そんな祖父から、魔筆師としての技と心を受け継いだのだ。
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