第6話 封印と解錠

 カレフ王国の大図書館は、地上八階建て、地下四階建てだ。これほど大規模な図書館はコトカの母国ヴィーク王国にもない。


「この建物、中は封印だらけね。巨大な金庫みたい」

 コトカが感想を漏らす。


「そうですね。区域ごとに厳格に管理しています。例え王族でも自由に出入りできません」

 ヴィルホがそう説明した。


 フロアは円形だ。地下一階は南側の半円がホール、北側の半円が書庫だった。


 その地下一階ホールはまるで博物館ミュージアムだ。稀少本がガラスケースに入って陳列されている。円の中央には台座が据えられ、そこに問題の魔導書「厄災の書」が安置されていたという。


 ホールには三人の人物が待っていた。

 館長のウルマスは初老の男性で魔法使い。

 司書のサナは二十代の女性で二級写本師。

 そして役人のマティアスは四十代の男性で、王宮で大図書館を統括していた。


 ウルマスがコトカに深々と頭を下げた。

「名高いタイヴァス家の一級写本師にご足労を頂けるとは、誠に恐縮です」

 ウルマスは思慮深げで、コトカは「ようやく話が通じそうな相手に会えた」と思った。


 サナもウルマスの隣で頭を下げた。彼女はカレフで唯一の写本師だが、心労がたまっているのか、心ここにあらずという感じだ。そして、マティアスはまるで愛想のない、冷ややかな表情だった。


 そもそも、こんなに大きな図書館に、司書兼写本師がたった一人という状況がコトカには信じられない。


 カレフは近年、軍拡路線を推し進めている。

「軍備に回す金があるなら、写本師を増やせばいいのに」とコトカは思う。この国には写本師への基本的な理解や敬意が欠落しているようだ。


 コトカが中央の台座に向かう。


 台座は円卓のような形だ。厄災の書は天板の中心に置かれていたという。魔法の鎖が縦横斜めに計四本、封印として台座を覆っていた。鎖は残っているが、厄災の書は消失している。


 コトカが手を近づけると、鎖が威嚇するかのように稲光を発した。封印の効果だ。

「不思議よね。封印は今も効いている。魔導書だけ抜き取るなんて、そんなことできるのかな……」


 コトカは魔法使いらに確認する。

「ヴィルホ殿、この封印の力を魔法で抑えることはできますか」


「やってみましょう」

 ヴィルホは台座を仔細に検分する。手を出すと稲光が発生するし、並大抵の魔力では抑えられそうにない。

 そこでヴィルホは杖を出すと、雷撃の魔法を放った。同じ雷系統の魔法で相殺する考えだ。ホールに轟音が響き、台座に雷が降り注ぐ。だが、台座にも鎖にも、そして封印にも変化はなかった。


「うまくいきませんね」

 ヴィルホが自嘲ぎみに苦笑した。


 コトカが「なるほど」とうなずいた。

「それなら、鎖を外してみよう」

 魔筆と巻物を腰から抜くと、コトカは唱えた。


呪文スペルによる魔法を発動する」


 巻物が解かれ、長尺の葦紙が台座を覆う。コトカの魔筆から閃光がほとばしり、紙に古代文字で解錠の呪文が記された。


 巻物が燃え、文字が光の粒子となって宙に舞い上がる。

 ばらりと四本の鎖が外れて垂れ下がり、台座が剥き出しになった。封印が外れたのだ。


 コトカの鮮やかな手並みに、ヴィルホやベンヤミンら魔法使いの面々は言葉を失った。


 そして、アルクも、コトカの技を初めて目の当たりにして息をのんだ。

「すごい……」


 コトカの魔筆さばきには一切の無駄がない。その所作も、その文字も、その効果も、すべてが端正で、完璧に見えた。


 アルクは心が震えた。

 これまでも魔筆から魔法が発せられる場面は目にしたことがあったが、コトカのそれは完全に別物だった。

(魔筆から生み出される魔法とは、こんなにも美しいものだったのか)


 ただし、それだけでは終わらなかった。


 感動が通り過ぎた後、アルクはコトカの技を繰り返し思い返しながら、ある違和感を感じていた。


 それは、大きな水盤に薄墨を一滴垂らしたようなわずかなもので、アルクでなければ気にも留めなかっただろう——。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 コトカは、台座と鎖を念入りに調べてみた。厄災の書の痕跡はない。


「ウルマス館長、原本がなくなったとしても、通常は写本があるはずでは?」

 コトカの問いにウルマスは顔をしかめた。

「それが、何もないのです。厄災の書は、長年ここに安置されて機能してきたので、写本をつくる機会がなかったのです」

「代替になりそうな魔導書はありますか」

「ふぅむ、すぐには思い浮かびませんが。もう一度、確認してみましょう」

 ウルマスが書庫へと向かい、サナも慌ててウルマスを追った。


 一同はホールで待機することにした。

 めいめいが装備を確認したり、休憩したりしている。


 コトカはふと、アルクを見た。

 アルクが物言いたげな視線をコトカに向けているのに気づいたのだ。


「どうかしたの?」

 コトカはアルクに声をかけた。


 アルクはコトカに向き直る。コトカの口ぶりには、貴族特有の高慢さがない。まるで昔からの知り合いと市場の店先で世間話をするような親しみがにじむ。その口ぶりに背中を押され、アルクは思い切って話した。


「あなたは、一級写本師なのですよね」

「うん、そうだよ」

不躾ぶしつけなお願いなのですが、気になることがあるのです」

「うん、うん」

「あのですね……」

「何かな?」

 コトカが促すと、アルクが緊張した面持ちで切り出した。

「あの、魔筆を、見せてもらえませんか」

「魔筆を?」


 コトカは、アルクの申し出があまりにも意外だったので、あっけにとられた。

 それでも、灰色の巻毛の下からコトカを上目遣いに見るアルクの様子は、なんだか可笑しく、少し愛らしくも感じた。

 コトカは「まるで屋敷にいる牧羊犬を叱ったときみたい」などと考えながら、魔筆を腰から抜くと、アルクに差し出した。

「はい」


 アルクは驚いた。こんな不躾な願いがあっさり受け入れられるとは、思ってもみなかったからだ。

「手に取ってもいいのですか」

「いいよ、どうぞ」

 コトカが微笑む。アルクはおしいただくようにして、両手で魔筆を受け取った。


 コトカの魔筆は素晴らしい品だった。

 大きさは汎用性の高い「中筆なかふで」だ。

 穂は純白で、穂先が通常よりも長い「長鋒ちょうほう」と呼ばれる仕様だ。軸は細く、象嵌で装飾が施されていた。


 アルクがこれまでに見た中で、間違いなく最高の魔筆だ。

(わずかな筆さばきがそのまま効果に反映される、繊細でピーキーな仕上がりだ。並みの使い手には、扱えないだろうな……)


 さて、アルクはずっと眺めていたかったが、愛でるために見せてもらった訳ではない。注意深く観察した後、アルクは自分の直感が正しかったことを確信した。


「あの……」

「うん、どうしたの」

「この魔筆は、もう使わない方がいい。と、思います」

 アルクはコトカにそう告げた。

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