第5話 志願と助言

 アルクは、コトカと魔法使いが言い合う様子を恐る恐る眺めていた。声までは聞き取れなかったが、何やら揉めているようだ。


 アルクは普段、聖堂魔法師団のローブを遠目に見ただけで首をすくめてしまう。魔法使いと揉めるなど、正気の沙汰ではない。アルクは「あの子はやっぱり一級写本師なのだ」と確信した。


 この世界において、魔法使いの素質を持つ者は百人に一人と言われる。血脈が影響するため、貴族や王族ら特権階級に多い。

 素質を持つ者が魔法使いとして大成するには、さらに才能の開花や修練を要する。まして一級写本師となると、アルクには想像もつかない領域だった。


 その頃になると、職人らの間にも不穏な空気が伝播し、ざわめきが起きていた。たったいま監督から「今日は通常の改修工事の予定を変更する」と説明があった。


 まもなく、聖堂魔法師団の師団長代理、ヴィルホが職人らの前に立ち、こう呼びかけた。

「お前たちの手を借りたい。誰か、我々の作業を手伝ってくれる者はいないか」


 詳細は分からないが、「探しもの」に関連しているようだ。職人らは顔を見合わせた。平民というのは厄介事には敏感なのだ。誰だってそうだ。巻き込まれたくはない。


 アルクも普段なら、出しゃばらずにやり過ごしただろう。だがこの日は、コトカへの関心が勝り、誰よりも早く手を挙げた。


「俺がやります」

「うむ。じゃぁ、お前はこちらに来い」


 アルクは職人の集団を離れ、コトカや魔法使いらが集まっている方へ移動した。


 そんなアルクに、コトカが気さくに声をかける。

「よろしくね、少年」

「よろしくお願いします」

 アルクは頭を下げる。自分のことを認識してもらえたことが、それだけでも嬉しい。


 アルクは平民なので、問われなければ名乗らない。上目遣いにコトカを見たが、その端正な顔がまぶしすぎて正視できなかった。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 コトカは、真っ先に志願した職人が、まだ若い少年であったことに驚いた。そして、何も聞かされていない少年を、もしかすると過酷な状況に追い込むかもしれないことに、少し胸が痛んだ。


 コトカはそのまま下がろうとしたアルクを呼びとめると、顔を寄せた。

「ねぇ、君」

「はっ」

 突然、顔を寄せられたアルクは驚きと緊張で硬直する。


 コトカはアルクの耳にささやいた。

「もしもこの先、身の危険を感じたら、すぐに逃げてね」

「え?」

「自分の身の安全を第一に。構わないから、何もかも放って逃げていいよ」

「……」


 コトカはそれだけ伝えると、アルクから離れた。

 アルクは立ちつくす。ぼんやりと「あの子、柑橘系の良い匂いがしたな」などと考えながら。コトカの言葉がアルクの頭に入ってきたのは、しばらく経ってからだった。


 当初はアルク以外に職人の志願者はいなかった。ヴィルホが顔をしかめて「報酬を上乗せする」と伝えると、ようやく手がちらほらと上がった。アルクのほかに大人が4人、計5人が参加することになった。


 ヴィルホがコトカに告げる。

「ひとまず、地下の書庫まで移動しましょう。そこに館長と司書が待っています」

「わかった。この後はヴィルホ殿の指揮に従おう」


 一同は準備をして体制を整えた後、列を成して大図書館の中に入った。


 魔法使いは、ヴィルホとベンヤミン、それにアイノという若い女性の3人だ。続いてコトカとリネアが従う。それから、槍を持った衛兵が5人、最後にアルクら職人が入った。


 職人たちは、土木作業に使うツルハシや丸太などの資材をかついでいる。


 大図書館のロビーは厳かな空間だった。

 天井が高く、窓にはステンドグラスがはめこまれている。まるで女神ノルンを祀った教会のようだ。大理石の床にはステンドグラスを通して極彩色の光があふれていた。


「あっ」

 コトカは歩きながら、小さな声をあげた。

 リネアはそれを聞き逃さない。

「お嬢さま、どうかしましたか」

「えっと。ううん、何でもないわ」

 にこやかに微笑むコトカの脇腹を、リネアは手刀で突いた。

「ぐふっ」

 コトカが声をあげて脇腹を抑える。


 少々手荒いが、コトカにはこれくらい鋭い突っ込みが必要だとリネアには分かっていた。

「お嬢さま、何もないことはないですよね。先ほどの声、何かしでかしましたよね」


 リネアはタイヴァス家に仕える剣士だ。コトカの外遊には何度も同行している。この天才だが気まぐれな一級写本師の護衛として、時に肩を並べて戦い、共に死線をくぐりぬけてきた。

 コトカとリネアの間には深い信頼関係があるが、リネアはコトカのことを完全には信用していない。


 コトカは「うーん」とうなっていたが、観念して打ち明けた。

「あのね、リネア。わたし、屋敷を出るとき、装備を詰めたバッグを用意していたんだよね」

「ええ、そうですね」

 リネアは嫌な予感を感じながら相槌をうつ。

「それを忘れてきちゃったかも」

「馬車にですか」

「グリーグの屋敷に」

「何を入れていたのですか」

「予備の魔筆とか……」


 リネアはコトカの脇腹を突いた。二度三度と激しく繰り返して。

「ちょっと、リネア。痛い、痛いって」

「あいた口がふさがりません。魔筆のないお嬢さまなんて、ただの美人で可憐なお嬢さまじゃないですか!」

「痛い、痛い。それって、褒め言葉だよね」

「褒めていません!」


 コトカは「たぶん大丈夫」と弁解した。「いちおう予備と合わせて二本、腰に差しているから」


 コトカの持っている魔筆はタイヴァス家に伝わる国宝級の品だ。たいていはそれで対応できる。


 コトカはつぶやく。

「そう、よほどの事態が起きなければね」








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