第4話 杖と筆
大図書館に到着したコトカは、聖堂魔法師団による状況説明を聞いているうちに、頭が痛くなってきた。事態が想像以上に深刻だったからだ。内心「これは貧乏くじを引いちゃったかなぁ」と感じていた。
タイヴァス家には一級写本師がもう一人いる。コトカの兄だ。だが、「一級写本師を派遣してほしい」という依頼が届いたとき、たまたま兄が不在で、コトカだけが屋敷にいたのだ。
「……説明は以上になります」
聖堂魔法師団の師団長代理であるヴィルホが話し終えた頃には、コトカはすっかりやる気を失っていた。
コトカはかたわらに立つ護衛のリネアに声をかける。
「ねぇ、リネア。馬車を回してきて」
「どうされるおつもりですか」
「わたし、ヴィーク王国に帰る」
リネアとヴィルホが同時に「えっ」と声を上げた。
リネアがコトカを羽交締めにし、ひそひそ声でささやく。
「お嬢さま、いま到着したばかりですよ」
「無理無理、わたしの手には負えませーん」
「ふざけたことを言わないでください」
「だってさぁ、ここまで危ない話だとは、聞いていないよ」
コトカは、もはや上品でおしとやかな淑女を演じる気もなかった。
ヴィルホはコトカの態度に目を白黒させた。それでもコホンと咳払いをすると、言った。
「コトカ殿には申し訳なく思っています。カレフ王国には残念ながら一級写本師がいない。我々だけでは対応が難しいのです」
ヴィルホによると、大図書館で、長年にわたって悪しきものを抑えてきた調伏の魔導書「厄災の書」の消失が判明したのだという。
原因は不明だ。だが、消失と同時に、大図書館周辺の瘴気が高まりつつある。このままでは魔獣や魔物が跋扈するなどの魔障が起きる恐れがある。
大至急、失われた魔導書を探し出すか、再現するか、あるいは代わりの魔導書を手当てしなければならない——。
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コトカはため息をつくと、ヴィルホに向き直って言った。
「じゃあさ、ひとつ聞きたいのだけど。この場にはいま何人の魔法使いがいるの?」
「何人と言われても、三人ですが」
ヴィルホが答える。
コトカは笑った。
「あはは、その認識の甘さが信じられない。もしも何かあったら三人では足りない。いますぐに国中の魔法使いを集めなさい」
「いますぐは、無理です」
「どうして?」
「それぞれに重要な任務がある。すぐに動ける魔法使いは我々だけです。もちろん、騎士団や衛兵は急いで増員しています」
「話にならないわね。当事者がそんな中途半端な対応なのに、外国人のわたしが無理をする必要はないでしょう」
ヴィルホは口ごもる。
コトカの指摘は正論だった。そもそもヴィルホは、もっと手厚い体制をとるべきだと進言したのだ。だが、王宮は事態の深刻さを理解していなかった。
いまカレフ王国は、国の北に広がる大国、ノール帝国と紛争状態にある。魔法使いなど戦力の大半は、王宮を除けば、北部の国境付近に展開していた。だから大図書館に要員を回せないのだ。
コトカもそれを分かったうえで発言している。
「まぁ、あなたたちが何人集まったところで、事態はそう変わらないでしょうけどね」
その言葉に、ヴィルホの後ろにいた魔法使いの一人が、ずいと身を乗り出してきた。ベンヤミンという名の熊のような大男だ。
ベンヤミンがコトカにすごんだ。
「さっきから聞いていたら、ずいぶんな言われようだな」
「あら、気にさわったかしら」
「一級写本師さまだか何だか知らないが。我ら聖堂魔法師団の魔法使いを軽んじているのではないか」
コトカは腰に手をあてて、魔法使いをにらみつける。
「あなたたちこそ、わかっていないようね。事態の深刻さも。魔導書の恐ろしさも」
「どんな風にわかっていないというんだ」
「それなら、わからせてあげましょうか」
「図に乗るなよ」
ベンヤミンが腰から杖を抜く。
コトカも魔筆を抜いた。
コトカが冷ややかに笑う。
「魔法使い風情が偉そうに。あなたの杖とわたしの筆、どちらが強いか試してみる?」
その時、リネアがコトカと魔法使いの間に身体を入れた。鞘から抜いてはいないが、長刀を手にしている。
リネアが魔法使いに告げる。
「我々は国賓だぞ。お嬢さまに手を出して、国際問題になっても良いのか?」
リネアは長身だ。背丈は大男のベンヤミンと変わらない。隻眼で眼帯をしており、魔法使いをにらむ様には凄みがある。
ヴィルホはたじろいだ。
国際問題になっていい訳がない。
それに、魔法使いは三人と人数では上回っているが。この距離で剣士と魔法使いが戦ったら、近接戦が苦手な魔法使いの分が悪い。ましてコトカは一級写本師だ。状況も魔法使いに不利だった。
「ベンヤミン、下がれ」
ヴィルホが命じる。ベンヤミンは不満げだったが、それでも杖を戻すと、後ろに下がった。
ヴィルホはコトカに頭を下げた。
「コトカ殿、誠に失礼しました。王宮にかけあって、魔法使いは急いで増員します。国中全部という訳にはいきませんが」
コトカは天を仰ぐと嘆息をもらした。
「やれやれ、わたしがやるしかない訳ね。仕方ない」
リネアに言われたように、腹をくくるしかないようだ。コトカは思いついて言った。
「ヴィルホ殿、早馬を貸してほしい。タイヴァス家にも写本師の増援を要請するわ」
「承知しました。手配します」
「まぁ、応援が間に合うかどうかは、わからないけどね」
ヴィルホは緊張した面持ちを浮かべる。
「事態はそれほど急を要しているのですか」
「そうね。この瘴気の高まりは異常だわ。何かことが起きるまで、数時間から数十時間ってところじゃないかしら」
コトカはそう答えた。これは脅しではなく、確度の高い推測だ。
「ところで、あそこにいる人たちは、何?」
コトカがヴィルホにたずねる。
大図書館の入り口のそばに、平民らしき集団が数十人、控えていたためだ。
「何か人手が要るかと思いまして、作業出来そうなものを呼びました」
急きょかき集めた職人たちだ。
その中には、アルクも混ざっている。
コトカがつぶやく。
「かわいそうに。あの人たち、人柱かしらね」
「お嬢さま、口がすぎます」
リネアがコトカをたしなめた。
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