第3話 一級写本師と魔法使い

 アルクは少女のことが気になって仕方がない。騒然としたこの場にあって、少女だけが何だか浮いている。


 少女は魔法使いと話していた。

 アルクは横目で眺めながら、いぶかしんだ。

(何だか魔法使いの方が気を使っているように見える。あの子、そんなに偉いのか?)


 理由はまもなく分かった。

 少女が旅装のマントを脱いだ。

 マントの下には、ケープと呼ばれる袖のない短い上着をまとっている。


 ローブは魔法使いの証。

 ケープは準魔法使いの証。

 

 少女は準魔法使いらしい。

 準魔法使いとは、魔力を特定の用途で行使できる者を指す。よく知られているのが回復術師や付与術師だ。


 そして準魔法使いは能力によって一級と二級にランク分けされる。ややこしいことに、二級は魔法使いよりも格下だが、一級は稀少職で魔法使いよりも格上だった。


 少女の水色のケープには、裾に白色の一本線が入っている。


(あれは一級のしるしだ! 俺と同じ位の年齢なのに、一級だなんて。王宮の魔法使いらが気を使うはずだ)


 アルクは少女と自分自身をつい比べてしまう。何だか、やるせない気持ちにもなった。


 それでも、少女への興味から、目で追っていたアルクは、気づいてしまった。


 少女はケープの下に、動きやすそうな上衣とスパッツを着ている。その腰のベルトに、魔筆入れの筒と巻物が差してあったのだ。


 アルクは今度こそ衝撃で全身が震えた。

(間違いない。あれは魔筆だ。巻物も持っている。あの子、まさか、一級写本師なのか?)


「ことのはの魔法使い」

 一級写本師は、畏怖と尊敬をこめてそう呼ばれている、極めて特別な存在だ。


 写本師とは、単なる文字の写し手ではない。魔筆を使って魔導書をつくる力を持つ能力者だ。しかも一級写本師は、魔導書をつくるだけでなく、発動する力も持っている。


(信じられない。こんなところに一級写本師がいるなんて)

 アルクの驚きは、的外れでも大げさでもない。カレフ王国には一級写本師はただの一人も存在しないのだから。


 この少女、コトカ・タイヴァスは、この国の人間ではなかった。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 コトカは聖堂魔法師団の魔法使いから説明を受けていた。澄ました顔で耳を傾けるその姿には、気品が漂う。


 ただし、馬車に乗っていたときのコトカの態度は全く違っていた。コトカは文句と愚痴をこぼし続けていたのだ。


 さかのぼること数時間——。


「ねぇ、わたし、やっぱり行かなきゃだめ? 何でわざわざ時間をかけて、よその国に向かっているのかしら」


 馬車の中で、コトカは護衛の女性リネアにそうぼやいた。


「お嬢さま、極めて真っ当な正論だと思いますが。さっきから同じ発言を何十回も繰り返しています。そろそろ腹をくくりませんか」


 向かいに座ったリネアは淡々と応じる。リネアの本職は剣士であり、コトカの侍女や召使ではない。


 コトカは、カレフ王国の西方に位置するヴィーク王国の中心都市グリーグから来た。タリアとグリーグが都市同盟を結んでいる関係で、大図書館から要請が入ったのだ。


「わたし、タリアの大図書館になんて、まったく興味ないんだけどなぁ」


 コトカはふんぞり返るように座って、座席に足を上げた。貴族のレディーとは思えない態度だが、リネアは目をつむる。


 何しろ昨晩から十時間近く馬車に乗っている。そろそろ疲れもピークだ。それに、どんな格好をしても、なぜか上品に見えてしまうのがコトカの不思議なところだった。


 リネアは言う。

「お言葉ですが、お嬢さま。タリアの大図書館は、わたしでも知っている知の集積地です。一級写本師であれば、一度は行ってみたい場所ではないのですか」


「あー。そういうのは、ないかな」

 コトカはあっさりと答えた。さらに、「そもそも、わたし、書物なんて読まないから」とのたまう。


 リネアは嘆息をもらす。


 ヴィークの貴族にして、写本師を多数輩出している名家、タイヴァス家。その中でも、コトカの能力は十六歳にして抜きん出ている。可憐な容姿も相まって、ヴィーク国民の期待と憧憬を一身に集める、そのコトカの正体がこれだ。


 リネアはふと疑問に思う。

「では、お嬢さまは、なぜ一級写本師になったのですか。書物が好きでないのなら」

 少しいじわるな質問だと思いながら、そう聞いてみた。


 するとコトカは「うーん」としばらく首をひねってから、こう答えた。

「やっぱり、文字を書くことが好き、だからかなぁ。わたし、読むことは嫌いだけど、書くことは大好きだから」


 コトカは腰に差した魔筆を抜くと右手でクルクルと回す。そして、向かいあうリネアとの間の空間に、筆を滑らせた。


 魔筆から光がほとばしる。その光が軌跡となり、空間に文字が浮かんだ。見事な筆さばきだ。


 リネアはその文字の字形の美しさに見とれてしまった。ヴィークには写本師が何人もいるが、紙も使わず、空間にそのまま書くことができるのは、コトカだけだ。


 リネアは、「お嬢さまはやはり天才だ」と再認識した。


 ただし、宙に浮かんだ文字が、例えば女神ノルンの聖句であれば、リネアはもっと感動したに違いない。


 コトカが書いた文字は「バカヤロウ」だった。



 






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