第2話 商都と大図書館

 翌朝、アルクは工具を持つと夜明け前に職人街の家を出た。家は首都タリアの外れにあるので、大図書館までは早足でも二時間はかかる。


(遅れないようにしなきゃな)

 引き受けた以上は手を抜かないのがアルクの信条だった。


 大図書館は王宮の一角に建っている。職人ギルドの仕事が回ってくるまで縁はなかったが、大陸でも有数の蔵書量だという。


 タリアは歴史ある商都だ。

 商人らは中世の時代から街の周囲を城壁で囲み、近隣都市と同盟を結ぶなどして、自治と自立を確保してきた。


「大図書館はその頃の名残なんだ」

 職人街に住む老人が、かつて訳知り顔でそう言っていたことを、アルクは覚えている。


 中世の商人らは富を誇るため、当時大陸で最大規模の八階建ての塔を建てた。そこに金にあかせて古今東西の書物を集めたのだ。


 その後、タリアの勢いは周辺国の台頭で陰り、商人の多くは没落した。それでも小国に似つかわしくない大図書館はそのまま残った。


 アルクはろくに学校にも通っていない。書物の中身には興味がないし、読んでもよくわからない。しかし、書物の「外身」には並々ならぬ興味があった。


 まず、書かれた紙は何か。葦紙なのか、羊皮紙なのか、仔牛皮紙ヴェラムなのか。そして書きつけた筆記具は、葦筆なのか、銀筆なのか、それとも魔筆なのか——。


 大図書館であれば、魔導書も収蔵しているはずだ。中世の魔筆も保管しているかもしれない。できることなら、それらを思うさま手にとって眺めてみたい。


 いや、手にとるのは無理としても、少しだけ覗き込むだけでもよい。

 魔筆師を目指しているとはいえ、一般人が魔導書を見る機会などなかなかない。魔導書に魔筆でどんな風に記しているのか、筆致や筆跡を見てみたかった。


(まぁ、期待するだけ無駄だろうけど)

 アルクは道を急ぐ。


 前に大図書館の工事に参加したとき、アルクはそうした期待で胸を熱くした。

 だが、貴重な書物に一介の日雇い職人が近づける訳もない。ホコリくさい控えの間で、工具を準備したり、足場を作ったりさせられただけだ。だから今回は何も期待していなかった。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


(それにしても、何だか妙だ)

 王宮が近づくに連れて、アルクは胸騒ぎを感じていた。

 何やら界隈が慌ただしいのだ。

 いつもより衛兵も多い気がする。


 アルクは、王宮の周囲に立っていた衛兵の一人に声をかけた。

「ねぇ、大図書館の入り口に行きたいんだけど」

 入り口は知っていたが、話しかけるきっかけにしたのだ。

「職人か? そこの道を右に曲がるといい」

「ありがとう。それにしても、何だか今朝は騒がしいな」

「そうなんだよ。急な召集がかかったんだ。いい迷惑だぜ」

 衛兵は思わず本心をのぞかせ、アルクにぼやいた。


「それは大変だな。王宮で事件でもあったのかね」

「さぁね、お偉方のやっていることはわからん」

「大図書館は大丈夫かい?」

 アルクが聞くと、相手は答えに詰まった。

「どうだかな。魔法使いが集まっているのを見たな」

「ふぅん、面倒ごとに巻き込まれるのは勘弁してほしいな」

 そこまで会話すると、衛兵は「もう行け」という風にアルクに手を振った。


 「面倒ごと巻き込まれるのは勘弁」という言葉は、アルクの偽らざる本心だ。


 カレフ王国は近年、王室の後継者争いや隣国との紛争などで、何かときな臭い。騒ぎが起きるたびに、痛い目をみるのはアルクのような庶民だった。


 大図書館の入り口に着いたアルクは立ち止まり、思わず背筋を伸ばした。

(何だこれは。何があったんだ)


 衛兵が言った通り、入り口には魔法使いがいた。それも王宮に所属する「聖堂魔法師団」の魔法使いだ。黒と白の縦縞模様が入った派手なローブを着ているので、離れていても一目で分かる。


 街中で怪しげな薬を売っているような名ばかりの魔法使いではない。国でいちばん位の高い魔法使いだ。それが三人もいる。


 呆然と突っ立っていたアルクに、工事の監督が声をかけた。

「お前は職人か」

「ギルドから派遣されたんだ。工具師のアルク・アールトだ」

「あぁ、聞いている。じゃあ、こっちへ来てくれ」


 入り口のそばに、アルクと同じような職人が数十人集まっていた。年配者が多いようだ。それなりの腕利きが集められたのだろう。見たところアルクが一番若い。


 気になったのは、魔法使いがこちらを監視していることだ。不審者が混じっていないか確認しているのだろうか。


「アルク」

 ふいに肩を叩かれ、振り向く。

 顔見知りの家具師だ。でっぷりと太った四十過ぎの気のいい男だ。「アルクも呼ばれたのか。朝からご苦労だな」

「エミルじいさんに昨日の夜遅くに声をかけられてね。それにしても、何でこんなにものものしいんだ?」


 家具師はアルクに顔を寄せ、ささやいた。

「何かよく知らねえが、王宮の連中が大図書館で探しものをしているらしいぜ」

「ふぅん、探しものって、何を?」

「それは聞いていないが。まぁ、にらまれたくなきゃ、知らん顔をすることだ」


 その時だった。


 黒塗り二頭立ての馬車が音をたてて走り込んできた。そして、そのまま図書館の入り口に横付けで止まった。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 衛兵が馬車に駆け寄る。魔法使いも集まってきた。何事だろうとアルクも注目する。


 馬車の扉が開いた。


 降りて来たのはマントを被った旅装姿の人物だ。衛兵に囲まれながら、マントのフードを下ろす。


 少女だった。

 まだ若い。アルクと年齢も背丈も同じくらいに見える。


 琥珀色の髪を肩でそろえ、前髪の一部は編んで顔の横に垂らしている。肌が透き通るほど白く、髪と同じ琥珀色の瞳が朝陽に輝いていた。


 アルクは少女から目が離せない。数秒間、食いいるように見入ってしまい、そんな自分に気づいて頬が熱くなる。アルクはこんなに綺麗な子を見たのは初めてだと思った。


 運命というものがあるなら、この時、この場所にアルクが訪れたことがそうなのだろう。


 これがアルクとコトカの最初の出会いだった。



 




 











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