お留守番

黒崎さん

第1話

 十歳上の姉がいるんだよ。

 何でかって? 父親の再婚相手の連れ子だよ。当時の僕は八歳だから、初めて会ったのは十八歳だね。今だから言うけど、正直愛想は良くなかった。遊んだとか、勉強見てもらったとか、記憶を遡ったけど、全然ないんだ。

 姉はどちらかと言えば劣等生だったらしい。何か部活動に打ち込んでいる訳でもないのに、帰る時間はいつも不安定だった。夕飯を隣で食べるのだって週に何回あっただろうね。週末は全然なかった。そもそも友達の家に泊まると言って、帰って来ないケースもあった。

 父親はどうしたかっていうと、最初はギャアギャアとお互いに言い合っていたよ。僕は自分の部屋で耳を塞いでいたっけ。これが原因かは知らないけど、最初は良好だった両親の関係は次第に下降の一途じゃないかな。現状を考えると。

 そんな我が家の休日の話さ。うちは貧しくはなかったけど共働きで、この日は土曜日だったけど二人とも朝から家を出た。姉は金曜から帰ってない。いつもの「留守番お願いね」を言い渡されて、僕は午前中から一人だった。日が落ちるまでには、誰か帰ってくるけどね。

 当時の僕に出来たのは、宿題とゲームとライダーのソフビで架空の悪を倒すことくらい。さっさと宿題をやっつけて、お昼になるとチャーハンをレンジで温めて食べた。その後は文字通りの自由時間。外には行けないけど、近所に遊ぶ同級生がいなかったので問題ない。

 時間は三時くらいだったかな。枕を敵に見立てて戦っていた時だった。

 大きな音がしたんだ。

 自分の部屋じゃなくて、隣の姉の部屋。壁に何かが当たるような低い音。

 誰かが帰ってきた気配はなくて、僕の部屋は静かだった。気のせいだと思っていると、また音は聞こえた。やっぱり姉の部屋。さすがに気になって、ライダーを手に玄関を見に行ったよ。靴は自分のだけ。鍵も閉まってた。

 固まっていると、また音がした。

 怖かったけど、どうしても気になった僕は、廊下を慎重に歩いた。フローリングを滑ったと言うべきかもしれない。

 向かったのはもちろん姉の部屋。閉まっていたドアには、ピンクのドアプレートがかかっていた。ドアノブに手を伸ばした時、しつこいけどまた音がした。今回がイチバン大きく聞こえた。地震の時みたいにプレートが少し揺れた。

 人生で最も慎重にドアノブを回した時だった。両手で回り切ったのを確かめてから、砂時計くらいゆっくりドアを開けたんだ。


「あっ」


 声が勝手に喉から飛び出した。この時ドアから手を放したから、一気に部屋の中を見ることになった。

 人だったのかな。手足の異様に長い男の人が一人いた。服装は休日のおじさんっぽい感じで、裸足だった。泥棒じゃないと流石にわかった。だって窓に張り付いていたんだよ。投げつけたスライムみたいにさ。窓は網戸のないタイプだったから、その人は窓二枚分、体を大の字にして張り付いていた。うちはマンションの三階で外はベランダだったけど、足も両方浮いてたよ。足の甲が吸盤みたいにペタッとガラスに吸い付いてた。

 僕は驚きと恐怖で固まった。一応顔は見ないようにしてた。でも見る羽目になったんだ。何度も聞いたあの低い音は、ソイツが窓に頭突きをしていたんだ。その音を特等席で聞いたから、顔を上げちゃったんだ。

 薄毛頭の、酷く血走った眼をした男だった。父親より少し上くらいに見えた。

 バッチリ目が合ってさ。ライダーも手から床に逃げ出すくらいの恐怖だった。

 ソイツは僕を認識しているようで、窓に張り付いた手足をグニュグニュ動かしていた。まるで呼びかけるように。ハッキリと言ったんだ。


『──いるか? いるんだろ?』


 もう手は震えていた。僕は声を詰まらせてから、力を振り絞って答えた。


「い、いまはいません……。留守番中です」


 正直に言うところが子供らしいよね。当のソイツは答えをもらってから、ぴったりと動きを止めた。しばらく見つめ合っていると、僕は顔を玄関のほうへ向けた。鍵を開ける音がしたんだ。覗いてみると、珍しく姉が帰ってきた。部屋の前に立つ僕を見つけると、不機嫌そうな顔で近づいてきた。


「人の部屋で何やってんの?」

「い、今、男の人が」

「は?」

「そこ、窓のところ」


 窓を見ると、誰もいなかった。すぐに姉のほうに向き直して、言い訳のように説明したんだ。


「ほ、ほんとだよ、薄い頭のね、変なおじさんが窓に」


 ここで顎を掴まれて言い訳は中断になった。


「お父さんとお母さんには黙ってろ。いい?」


 無表情でめっちゃ怖かった。あんな冷たい目で睨まれたのは生まれて初めてだった。姉は着替えると、またすぐに出かけた。それ以降は音もなく、夕方になると母親がスーパーの袋を下げて帰ってきた。アイツを見たのはこの一度だけさ。

 でも一つだけ。

 それは八年後。僕が市内にある高校に進学した時の話。入学早々、廊下を走っていた時に注意を受けた。その時の先生の顔を見て、今の話を思い出したんだ。

 その先生ってのは、苛立った様子の教頭先生。顔はアイツより少し老けてたけど、かなり似てると思ったね。目元もそうだけど、髪型が特にね。

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お留守番 黒崎さん @saki-san

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