第16話:ノーブレスオブリージュ02


「はぁ」


 溜息。


「幸せが逃げますよ」


「既に逃げてるから追っかけるだけだな」


 アイスの助言も効かなかった。


 場所は王立ポエム学院の特別棟。


 その学院長室の扉の前。


 ノックをするには幾ばくかの気力を必要とした。


「頑張ってくださいカオス兄様」


 そんな妹の後押しもあり、カオスは学院長室の扉をノックする。


「はい」


 と声が聞こえた。


「カオスおよびアイスが参りました」


 言葉を言いきると同時に扉が開かれた。


 学院長の使用人によるものだ。


「…………」


 使用人は扉を開けて慇懃に一礼。


「ども」


 と応えて、それから入室。


 カオスが室内に入ると、


「げ」


 とカエルの死に際のような声が聞こえた。


 声の主は緑色だった。


 深く鮮やかな緑の髪にエメラルドグリーンの瞳。


 白い肌はアイスにも劣らず。


 瞳に映る矜持には貴族の誇りが垣間見える。


 女性的特徴が制服の胸部を大きく押し上げており、それは男子にとっての劣情の対象でさえあったが当人には煩わしい事柄である。


 カナリヤが……そこにいた。


 正確にはソファに座って振る舞われている紅茶を飲んでいた。


「ノンワード……」


「ご挨拶だな」


「コールドブラッド……」


「畏れ入ります」


 ノンワードはカオスの蔑称。


 コールドブラッドはアイスの敬称。


 詩を紡がない詩人。


 詠わない詩人。


 言葉無き詩人。


 言葉が無いが故にカオスに付いた二つ名が、


「ノンワード」


 である。


 対するは氷の使い手。


 凍結の詩人。


 その血さえ冷めているのでは。


 白く長い髪が新雪のような寒々しさを与えるが故にアイスに付いた二つ名が、


「コールドブラッド」


 である。


 極端な劣等生と優等生の二つ名をカナリヤは呼んだことになる。


 多少アイスが不機嫌に眉を震わせたが、


「…………」


 それ以上のことはしなかった。


 兄を、


「ノンワード」


 と呼んだカナリヤには憎しみを抱いたが、ヴァイザー家の淑女としての矜持がソレに勝ったのだ。


 使用人が扉を閉める。


「これで役者は揃いましたね」


 学院長の第一声がソレだった。


 使用人がカオスとアイスの分の紅茶を用意して差し出す。


 カオスが紅茶を一口飲んで、それから会話を促す。


「それで? 用とは?」


「ワシュタ山道にて山賊が発生。経済が滞っています。山賊の排除を単位とします」


「質問」


「どうぞ」


「何を以て俺たちに白羽の矢が立った?」


「王立ポエム学院は教育機関であると同時に軍事機関でもあります。武の帝国との戦争然り。国内の治安維持然り。である以上ポエム学院の生徒は軍属であり国民の財産と自由とを保障するために動かねばなりません」


「んなことは聞いてねえよ。山賊野盗の類によって市場の流動性が損なわれるのが致命的なのは重々承知だ。アイスはわかる。カナリヤもわかる。で、なんで俺? 俺の二つ名は知ってるだろ?」


「ノンワード」


 躊躇いなく学院長はこぼした。


 ピクリとアイスが震える。


 それ以上のことは起こらなかったが。


「アイスとカナリヤだけでよくね? 俺が行っても足を引っ張るだけだぞ?」


「あの……カオス様?」


 眉をひそめて学院長は問うた。


「本当に詩能は使えるんですよね?」


「使えるぞ?」


「なら結構」


「よくねえよ。面倒事は嫌いなんだ。アイスとカナリヤだけで充分だろ」


「学院生が軍属である以上、たとえ公爵の出であっても私には従ってもらいます」


「わざわざ何で?」


「これはオフレコでお願いしたいのですが……」


「何だ?」


「カオス様の詩能教養の単位の誤魔化しが少しだけ足りないのです」


「…………」


「ですから詩能教養の単位を稼ぐためにもカオス様には山賊狩りに従事していただき単位を稼いでもらわないと色々と面倒なことに……」


「別に留年しても退学しても問題は無いんだが……」


「カオス兄様。アイスが問題にします」


「愛い奴め」


 よしよしとカオスがアイスの頭を撫でると心地良さそうにアイスは微笑した。


 頬がほんのりと朱に染まる。


「そしてカオス様には万事首尾よく単位を獲得してもらうためにもカナリヤ様とアイス様を同行させるというわけです」


「詩能教養学年一位が二人もいれば戦力としては申し分ないが……」


「つまりわたくしはノンワードの尻拭いですの?」


 カナリヤの目つきが鋭くなる。


「そらまぁ不機嫌にもなるわな」


 他人事のように思うカオス。


 紅茶を一口。


「提案」


 これはアイス。


「何でしょう?」


「山賊狩りにリリン様も同行させてください」


「たしかにリリン様は優秀ですが……その心は?」


「防御障壁の相対維持を得意とするリリン様がいればカオス兄様の安全率は飛躍的に高まります。カオス兄様に傷の一つでも付けば首が刎ねられるのは学院長の方でしょう?」


「…………」


 自身の命と状況とを天秤にかけて、


「わかりました。ではその様に」


 学院長は自身の命をとった。


「となれば遠出の準備が必要ですね」


 アイスが閑話休題。


「ちなみに出発は?」


「明日にでも」


「ずいぶん急ですね」


「それだけ深刻ということです」


 山賊が出るというだけで商人はその地域を避けて通る。


 である以上流通が滞る。


 すると物価が高くなる。


 となれば不景気となる。


 どこまでもわかりやすい負のスパイラルだ。


「おそらく此度の山賊には魔術師がついています」


 ソレは犯罪に奔った詩人を指す。


「でなければお鉢がポエム学院に回ってくるはずがない……か」


 納得とカオスが頷いた。

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