第6話:それから十七年後05


 詩能が武力であり詩人が兵力である以上、攻性詩能の実践は当然で、そのためのスペースもポエム学院は確保してある。


 そこで詩人の卵たちは詩を紡いで詩能を行使していた。


 カオスは、


「今日は調子が悪いです」


 と言って見学にまわっている。


「今日『も』だろう」


 と教師から皮肉を言われたが今更である。


 ノンワード。


 言葉無き詩人。


 無能の代名詞。


 カナリヤが嫌味を言う以外に目立った悪意は無い。


 ほとんどの人間が、


「毎度のこと」


 と見逃している。


 むしろ飽きずに嫌味を言ってくるカナリヤのような者が少数派……と云うか特例だ。


 その根底にあるモノを両者ともに認識していない。


 と詩能に終始していた学院の生徒たちがどよめいた。


 生徒たちの視線を一身に集めているのは繊細かつ白く長い髪にルビーの瞳を持つ錬金術でもこうはいかないとばかりに完成された美貌を持つ少女。


 二つ名は『コールドブラッド』。


 その正体はカオスの実妹……アイスである。


 高等部一年生の知識教養および詩能教養そろって学年一位の登場である。


 誰しもがその存在感に圧倒され、一挙手一投足から目を離せない。


 アイスはそんなことにプレッシャーを感じず、鋭利な双眸を目標に向けた。


 案山子だ。


 さすがに詩能を(戦争や諍いや威力交渉以外で)人に向けるわけにはいかない。


 というわけで攻性詩能は案山子に向かって放つことがこの講義の大前提である。


「…………」


 カオスは座り込んでいる状態のまま片膝を立てて頬杖をつき、自身の妹の詩能を舞台の端から覗いていた。


 アイスが気品さえ感じられるような動作でゆらりと腕を伸ばして案山子に向ける。


 焦点を合わせるための動作だ。


 四節詠唱。


「肥大なる者よ。氷の女王の名において命ず。零へと回帰せよ。アブソリュートゼロ」


 アイスの紡いだ詩が世界を変質せしめ超常現象を引き起こす。


 詩能だ。


 絶対零度まで冷やされた案山子が体積を零へと圧縮されてこの宇宙から消失した。


 カオスとアイス……後は例外としてリリン以外には何が起こったのかわかっていない。


 ただアイスに手を向けられれば脈絡なく消え去ってしまうという恐怖のみが生徒たちの心を縛った。


「くあ……」


 カオスは欠伸をする。


 先述したがカオスには何が起こったのかわかっている。


 物質の体積は摂氏零度を起点として一度下がるごとに二百七十三分の一ずつ圧縮される。


 アブソリュートゼロ。


 即ち絶対零度において万物は体積を無くし消え失せる。


 現実的な絶対零度ではまた話も違ってくるが、詩能の絶対零度でアイスは、


「零へと回帰せよ」


 と詩を紡いでいる。


 そして詩能は詩人の紡ぐ詩の通りに作用する。


 そのため何物もアイスのアブソリュートゼロの前では体積を零とされ消えてしまうのだった。


 アイスは、


「ふ」


 と誰にも聞こえない吐息をついて優雅に白い髪をかきあげると、カオスと目が合ってパッと表情を華やかせた。


 二つ名のコールドブラッドとは程遠い笑みだが、アイスにとっては兄のカオスはお日様であり、氷を溶かす暖かみを持つ存在なのだった。


 パタパタと小走りで見学しているカオスのもとへ。


「カオス兄様。どうでした? アイスの詩能は……」


「上出来だよ。自慢の妹だ」


 ちなみに絶対零度において体積が零になることをまだこの世界の住人は知らない。


 故にカオスに教えてもらった熱力学の知識でアイスが独自に作り上げた詩能がアブソリュートゼロなのだった。


 無論、対象を問答無用で消し去る詩能だ。


 高得点(というより学年一位の点数)を叩きだしたのは言うまでもない。


「カオス兄様も講義に参加しませんか?」


「いやぁ畑違いだろ」


 カオスは苦笑する他ない。


 アイスと同じ新雪のような髪が皮肉に揺れて、ルビーの瞳が喜色に歪む。


「ではアイスに何か講義をしてください」


 そう言ってアイスはカオスの隣に寄り添うように座った。


「そうだなぁ」


 しばし思案して、


「じゃあ詩能は何故どうやって発動するのか、とかどうだ?」


「根本的な議論ですね」


「お前はどう思ってるんだ?」


「講義で習った限りだと神様が人間にだけ世界を律するために特別に与えた能力……と聞いていますが」


「ん」


 コクリとカオスは頷く。


「極めて近い」


「正解ではないんですね」


「ほとんど正解みたいなものだけどな」


「カオス兄様の解釈を聞きたいです」


「ん。北は霧の皇国にこんな言葉がある」


 そこでカオスはスッと息を吸って、


「初めに言ありき。言は神とともにあり。言は神なりき」


 そんな言葉を諳んじてみせた。


「神が言葉……ですか?」


「そうだ。宇宙の創生は言葉と共にあった。これは論理的かつ数学的に証明されている。そして言語思考……あるいは理論思考を持つ人間だけが言葉を操り世界を操る。即ち創造主の能力の片鱗を扱うことが出来る。本能や反射ではなく『考える』ということの出来る人間だけがな」


「ふむ……」


「これを指して俺の前世の世界では『スペースガイア論』と呼んでいる」


「スペースガイア論ですか……」


「ガイア論って……知るわけないか」


「はい。聞いたことがありません」


「この地球が一つの生命だと考える理論のことだ」


「地球そのものが生命?」


「正確には地球の運営が有機的だという考え方だな。そしてこれを宇宙規模にしたのがスペースガイア論だ」


「?」


「わかってるよ」


 首を傾げる妹に苦笑してカオスは一つ一つ知識の欠陥を埋めていく。


「大地が丸いことは説明したな?」


「はい」


「宇宙が広がっていることも説明したな?」


「はい」


「では問おうか。宇宙に果てはあると思うか?」


「……それは……どうでしょう?」


 アイスは困惑することしきりだった。


「結論を先に言えば果てがあるかという問いに対する答えは肯定であれ否定であれ正解でもあり誤解でもある」


「?」


「大地が実は丸く閉じて惑星となっている様に……宇宙もまた丸く閉じて完結しているんだよ」


「はあ……」


「宇宙は丸く閉じている。亜空間を内包した球状の表面を指して宇宙と呼ぶんだな」


「スペースガイア論……!」


「そ。宇宙も運営に意図があり、言葉があり、創造を以て現界した。神様とは少し違うが宇宙そのものが宇宙を定義づけているという意味では宇宙全体を指して創造主と呼ぶことが出来るかもしれん。というかそれが遥か未来の結論だ」


「では詩能とは?」


「宇宙全体のモノと同じ言語を使って球状の内部……亜空間に圧縮されたエネルギーを用いて発動させる異能を指す。原子の中核……陽子と中性子が強力な力を持つように。太陽の中核が強烈な熱を持つように。宇宙の内部である亜空間も強力なエネルギーを内包してるんだな。結局ミクロとマクロは繋がっているってわけだ。もしかしたらこの宇宙も何かもっと大きな存在の一部かもしれんな。はっはっは」


 カオスは笑った。


「ちっちゃな悩みなんて吹っ飛んじゃいそうですね」


 クスクスとアイスも笑った。


「何かな何かな。カオス様、アイスちゃん、何の話ですか?」


 講義を終えたリリンが会話に混ざってきた。


 カオスが苦笑して言う。


「さてアイスに宿題だ。スペースガイア論をリリンにわかりやすく説明してみせろ」


「了解しました。カオス兄様」


 そんな感じで世界は回っている。

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