第5話:それから十七年後04
王立ポエム学院は、平民の入学も許可しているし人数的には平民の方が多いくらいなのだが、基本的には貴族のための学院である。
ノーブレスオブリージュの思想が縁の王国の根底にある以上、貴族は領地を治め領地を守ることを義務付けられる。
カオスにしてみれば、
「面倒くさい」
の一言だが、ともあれ武力は必要だ。
そしてこの時代の戦争は歩兵と騎馬と詩人とによって戦局を左右される。
後者になるほどその依存性は高くなる。
即ち詩人の行使する詩能は強力な武器となるのだ。
貴族の嗜みである。
であるから貴族を優遇するのも当然の帰結で、貴族と平民とでは寮の質に差が出る。
平民の寮は二人部屋で寝室と少しのスペースしかなく、食事は大食堂、風呂は大浴場、と決まっている。
対する貴族の寮はLDK完備で風呂も個々に設置されており、使用人が生活を支えてくれる。
そしてカオスとリリンとアイスは相部屋をしているのだった。
寝室にはキングサイズのベッドがあり三人仲良く並んで眠るのが日課だ。
ただしいかがわしいことはしていない。
念のため。
リリンは幼馴染兼許嫁で幼い頃から超然としているカオスを憧れて今の立場を夢のように思っている。
アイスは貴族としての矜持と義務感を持っていながら、ソレを持ち合わせていない兄であるカオスを何かと立てようとし、カオスの前でだけ『甘えん坊の妹』を見せる。
さて、今日の夕食はパスタであった。
使用人が用意したものだ。
さすがにプロであるため一分の隙もない完成された味である。
和風パスタではあるが、醤油とバターの香りが引きたち舌と鼻とを楽しませる。
夕食の最中に出た話題はカナリヤについてだった。
「なんなんだよあの人たち」
たち、は「あの人」の取り巻きのことだ。
そして「あの人」はカナリヤである。
「毎度毎度絡んでは嫌味を言って去っていくし」
リリンは不満を口にする。
既に怒りについては燃え尽きて灰になった感情ではあるが鬱陶しさだけは如何ともしがたい。
ノンワード。
カオスの蔑称。
わかっているし呼ばれることへの自然さも認識している。
ただ、
「わかってるからいちいち言葉にするな」
とリリンは言っているのだ。
「…………」
カオスは淡々とパスタを食べている。
無言だ。
代わりにアイスが口を開いた。
「消しますか?」
絶対零度の炎という二律背反の感情が赤い瞳に燃えていた。
アイスにとってカオスは自慢の兄である。
学院での立ち位置には目を瞑るとしても、兄を直接こき下ろす輩に憎悪を覚えずにはいられなかった。
「…………」
カオスは淡々とパスタを食べている。
「勝てる?」
リリンが聞く。
「勝てますとも」
アイスが絶約する。
「何を根拠に」
ここで漸くカオスが口を開いた。
「カナリヤの切り札は五節詠唱です。対してアイスの切り札は四節詠唱です。一節詠唱の詩能の撃ち合いなら互角に持っていけるでしょう。ならば必然こちらに勝利が転がりこんできます」
ちなみに強力な詩能ほど長い詠唱を必要とするというのが一般的な見解である。
「ふーん」
パスタをアグリ。
咀嚼。
嚥下。
今でこそシビライズドリミッターの群集心理に迎合しているカオスだが、転生した当初はこの世界の詩能について困惑……というより憂慮……というより強烈な危機感を覚えたものだ。
「最初にこっちの世界での詩能を見せてもらった時、太陽系ごと吹っ飛ばす気かって憂慮したからなぁ」
少なくとも転生前の世界では有り得ないことだ。
一節詠唱で星一つを破壊していた時代だ。
事実転生する前のカオスは一説詠唱の「バスターレーザー」という言葉だけで星すら切り裂く熱線を具現化したものだ。
当然貴族の必須技能である詩能を実の父親から見せられた時には五節詠唱を耳にしており、先述通り、
「太陽系を吹っ飛ばす気か」
と焦ったのもいい思い出だ。
実際には歩兵小隊を焼き尽くす程度の炎を具現化しただけだったのだが。
まだまだこの世界は常識の檻に囚われていることを自覚した切っ掛けでもあった。
この世界にて人類と共にあり、未来の人類とも共にあった技術……『詩能』。
それは詩を紡ぐことで世界を詩の通りに変質させ超常現象を引き起こす異能。
詩能を行使する存在を詩人と呼び、詩人は時に御伽噺の中の魔術師にも例えられる。
歩兵小隊を五節の詩の詠唱によって焼き払う。
剣の届かぬ遠い距離から一方的に風の刃を飛ばして切り裂く。
詩能は複雑怪奇で、詩能を扱えない人間にとっては凶悪かつ理解不能な死神の鎌に相違ない。
それ故詩人は重宝されるし王立ポエム学院と云う研究教育機関も存在するのだから。
話を戻して、
「カオス兄様らしいです」
アイスが苦笑した。
「カオス様ならそうでしょうね」
リリンも苦笑した。
「いやぁ……だってさぁ……」
五節も詠唱すれば前世の世界では太陽系を丸ごと滅却できるのは一般的な認識だ。
シビライズドリミッターの存在があるとはいえ、そうそう精神に根付いた危機感は拭い難い。
もっともカオスは常識から幽離した存在ではあるのだが。
「明日の詩能講義も見学ですか?」
「まぁ面倒くさいしねぇ」
心底腐った言葉をカオスは吐いた。
欠片もやる気を見せないやる気なしの詩人。
無論カオスとて詩能を使うことは出来る。
使いたくないだけで。
面倒事を何より嫌うカオスらしかった。
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