第4話:それから十七年後03


 それからまた二人がカオスの背景の話題をねだった。


「じゃあ重力について話すか」


「じゅうりょく?」


「月が地球に落ちてこないことは話したって言ったな」


「はい」


「そもそも質量と質量は互いに引き寄せる力を持つんだ」


「?」


「?」


「だろうよ」


 そこまでカオスは二人に期待してはいない。


「じゃあ聞くが熟れきったイチジクは放置されて時が経てばどうなると思う?」


「落ちますね」


「はい。落下します」


 ニュートン力学ではリンゴで表現されるのだが。


「つまりイチジクと地球とが惹かれあったということだな」


「ははぁ」


「なるほど」


「質量が大なればなるほど重力もまた大となる。地球と云う巨大な質量があるからこそ人は大地を歩いて生きていけるんだな」


「では空に浮かぶ星々は?」


「宇宙の全てはスピンしている。重力を発生させているし、自転公転もしている。が、こと空……正確には星と星の隙間を指して宇宙と呼ぶんだが、宇宙は無重力だ」


「無重力」


「何もかもがふわふわと浮かぶ不思議な空間ってこと」


「ほわ~」


 どこまでわかったかわかりがたいリリンの感心だった。


「さて、じゃあこの重力をちょっと極端にしてみよう」


「と、言いますと?」


「ブラックホール……というものがある。これは……」


 そうしてカオスは自身の前世である(皮肉にも同名の)カオスの教養をリリンとアイスに講釈するのだった。


 時は経ち。


 日は暮れ。


 ポエム学院のビッグベンがウェストミンスターチャイムを鳴らす。


「……でホーキング放射で蒸発してめでたしめでたしってことだな」


「難しいです」


「同じく」


「ま、元より理解してどうなるものでもないしな」


 シビライズドリミッターは突破できるが、とは言わないカオス。


「さて」


 じゃあ帰るか、とカオスが言おうとしたところに、


「おーっほっほ!」


 馬鹿げたほどに甲高い笑い声が響いた。


 既に学院に入って数年。


 今更カオスもリリンもアイスも新鮮さを感じいることは出来なかった。


 視線だけをちらりとやる。


 そこには取り巻きを連れたカナリヤがいた。


 深く鮮やかな緑の髪が目に入る。


 それからエメラルドグリーンの瞳がカオスたち三人を映す。


 顔のパーツが奇跡的に配置されてカリスマ性を感じさせる美少女のソレとなっている。


 美貌だけを言うのならリリンやアイスにも負けてはいない。


 紺色のブレザーは胸部の部分が盛り上がり、女性の魅力と圧倒感を表現している。


 ちなみにことそこに関してはアイスは完敗でリリンも僅差で負けている。


 尤も、だからといってカオスはゴマ擂る必要も遠慮する必然性も覚えはしないのだが。


「おーっほっほ!」


 甲高く笑うカナリヤ。


「こんなところでサボりですのノンワード? 劣等生のあなたらしいですわね」


「ソウデスネー」


 脱力しながら(というよりカオスは何時でも何処でも無気力かつ自堕落かつ事なかれ主義なのだが)相槌をうつ。


「ヴァイザー公の名も地に落ちましたわね! 自身の妹御に負けて恥じ入る部分は無いんですの?」


「自慢の妹です」


「いやん。カオス兄様ったら」


 やんやんと紅潮して照れるアイスだった。


 ちなみに公爵の地位を得ているヴァイザー家の人間に対してカナリヤがここまで無遠慮にこき下ろせるのは、カナリヤ自身もまた公爵の家の出であるからだ。


 ヴァイザー家に比する縁の王国の大貴族の血統である。


「そもそも詩能も使えない人間が何故ポエム学院にいますの? わたくしなら割腹して恥を清算するところですわね」


 そんなカナリヤのこき下ろしに、カナリヤの取り巻きたちが同調してクスクスと笑う。


 侮蔑と嘲りの態度だった。


 公爵の威を借る狐。


「さいですか」


 やはり興味無しとばかりに相槌をうつカオス。


 面倒事はカオスの最も忌み嫌うものだ。


 であるため張り合うということをカオスはしない。


「聞いてますのノンワード?」


「はあ」


 ほけっと。


『ノンワード』


 それがポエム学院におけるカオスの二つ名である。


 というよりも蔑称なのだが。


 詩人は詩を紡いで詩能を行使する。


 そしてカオスは詩能教養……つまるところ詩能の実践講義において平気の平左でサボりまくるということを行なっている。


 講義をサボっているのは知識教養についても同じだが、知識教養がペーパーテストで単位を出すのに対し、詩能教養は詩能の実践において単位が出る。


 それ故サボりと云うよりもはや拒絶にも近いカオスの詩能単位は散々とのことは既に先述した。


 そしてついた蔑称がノンワード。


 言葉無き者。


 詩を紡がない詩人。


 無能の代名詞である。


 少なくとも詩能を絶対視するポエム学院においてカオスの言動は価値を持たない。


 それでも退学や留年にならないのは公爵の長男としての矜持に関わるからだ。


「別にやめてもいいけど」


 とカオスは言うが、


「一緒に居てくださいカオス様」


「ともに居てくださいなカオス兄様」


 と許嫁と実妹に後ろ髪を引っ張られてしぶしぶ学院に在籍している次第であった。


 最初の内こそ、


「ノンワード」


 とカオスが呼ばれることに目くじらを立てていた二人ではあったが、数年も経てばそんな思いも風化する。


 形骸化した憤怒と抗議は意味を為さず、


「まぁカオス様のことを知っているのはリリンとアイスちゃんだけで十分だよね」


「カオス兄様を理解しているのはリリン様とアイスだけで十分です」


 という形に落ち着いている。


 閑話休題。


「あなたに貴族としての誇りは無いんですのノンワード?」


「性格上ね」


「さぞご当主も頭を痛めているでしょうね」


「今度うちに来ることがあったら慰めの一つでもくれてやれ」


 柳に腕押し。


 暖簾に風。


 どこまで飄々として挑発を受け流すカオス。


 当然カナリヤが面白かろうはずもない。


「リリン? アイス?」


「何だよ?」


「何でしょうか?」


「このようなノンワードは見限ってわたくしにつきませんこと? 学院の麒麟児アイスの成績は申し分ありませんしリリンとて高位成績者でしょう。そんな男と一緒に居ても得るものはありませんよ」


「そうかなぁ……」


「ですかね……」


 消極的な否定。


 未来の知識を披露するカオスの言葉ほどリリンとアイスの娯楽になるモノはまだ見つかっていない。


 何よりリリンとアイスはカオスの本当を知っている。


 であるためカオスを見限るなぞ以ての外だった。


「ふん。まぁいいですわ。そこで堕落してなさい」


 そう言って取り巻きを連れてカナリヤは寮へと消えていった。


 それを見送った後、


「じゃあ俺たちも寮に帰るか」


 カオスは立ち上がると制服についた葉っぱをパンパンとはらい落として格好を整える。


「そうですね」


「はい。カオス兄様」


 リリンとアイスも立ち上がる。


 結局今日一日のカオスは(今日だけに限らないのだが)原っぱで寝転がって惰眠を貪ることに終始していた。

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