悪の残り香 1

 最悪の目覚めだ。

 全身を包む滝のような汗と泥のように重い暑さが部屋中を支配していた。

 エアコンをつけていたはずなのに異常なことだった。

 あまりの暑さに体を起こしエアコンのリモコンを確認してみるとスイッチが入っているのは確認出来る。しかし、エアコン本体は動いていなかった。何度かスイッチを押してみるがうんともすんとも言わない。

 気になることはあるが今はこの暑さをなんとかするのが先決だ。こんなサウナ状態の部屋では何もやる気が起きるはずもない。

 窓を開けてベランダに出ると、ゆるやかな風が吹いてはいるが太陽の日差しが肌を焦がす。部屋よりはましなだけで外も決して涼しくはない。

 夏なのだから当たり前であるがそれにしても異常だった。

 

 外の風を部屋に入れつつ、瀬那は部屋に戻ってテレビのリモコンで電源をつけようとしたが、テレビさえも動かない。


「まじかよ……。停電か?」

「――あっつぃぃぃぃ!!!!」


 ベランダのほうから聞きなれた声が聞こえる。源氏もたまらず外に飛び出して外の空気を吸っていたのだ。


「外も暑いんかい!!!」


 一人で突っ込みを入れる声はエネルギッシュでどうやら心配はいらないようだ。

 この暑さの中寝ていれば脱水症状で救急車に運ばれてもおかしくはない。

 冷房さえ機能していればなんら問題はないのだが、コミュネクトの通知を確認してみるとなぜか男子寮のマンションだけが一時的に停電状態となっていた。


「こんな暑い日はゲーセンじゃ!!!」


 源氏のエネルギーを少し分けてもらいたいなと思いつつ、暑さの中やかましい源氏関わるのは勘弁願いたいとも思ってしまう。

 昼過ぎには復旧する予定らしくそれまでは各自涼める場所で待機しろと学校側からメッセージが送られてきた。学校の図書館やパソコンルームに行く手もあったがわざわざ制服を着て行かなければいけないのがどうも面倒だった。

 腹も空いていたことだし瀬那はファミレスで宿題でもやりながら涼むのを選んだ。


 ファミレスに到着して二人掛けの席へ座り、コミュネクトでネットニュースを見ていると、今年の異常気象についての記事がたくさん出てきた。40℃近くまで上がる気温は久しぶりで、あまりの暑さに全国で救急搬送の件数もすでに去年を越えているという。


「停電と重ならなければよかったのに……」


 運がないなとぼやきつつも、頼んだポテトフライを食べつつ宿題を解き始めた。

 しばらくすると少しずつ客も増えてきてゆっくりと宿題をするにはどうもいづらい雰囲気になって来た。そろそろ出ようかと考えているころに、店員がやってきて言った。


「あの、店内が込み合ってきましたので相席でもよろしいですか?」

「俺、そろそろ帰るんで大丈夫ですよ」

「ありがとうございます」


 店員は営業スマイルでお辞儀し待たせていた客を瀬那のいる席まで案内した。

 瀬那は筆箱や宿題を鞄に入れていると、小さく「げっ……」という声が聞こえた。

 明らかに好意的ではないその声色の主を見てみると、見慣れた赤髪の少女が立っていた。


「なんであんたがいんのよ」

「それはこっちのセリフだ」


 立っていたのは恋時可憐。学生治安維持組織グングニルのメンバーだ。

 制服姿でグングニルの腕章がスカートのポケットから少しだけ漏れていた。どうやら今日は巡回の当番らしい。

 可憐はため息をつきつつも瀬那の前に座り、メニューを開いた。


「そういえばあんた、あの後早くに退院できたってね」


 あの後とはコピーシールの販売集団サティスファクションのボス、佐田洋二を倒した一件だ。


「手の怪我も治ってるみたいだし、一体何をしたわけ?」

「知り合いに医者顔負けレベルに腕のいいやつがいるってだけだ」

「あんたもちゃんと他者と交流してるのね。感心なこと」


 完全に皮肉である。

 可憐と瀬那はフロンティアで出会った仲だが、犬猿の仲とまで言わないが可憐の誘いを何度も断る瀬那に対し、可憐は気にわなかった。瀬那のヴィジョン所持者としての才能はグングニルや都市防衛組織イージスで通用する。知識をしっかり身に着けて規範を守れば警察でも重宝するだろう。バイクや車より速く走り現場に駆け付ける能力はどの組織だって欲しがる。

 なのに瀬那と言えば、手の届く範囲で基本は第三エリアでちまちまと人助け。その上、サティスファクションの一件は瀬那の行動でグングニルは後手に回る形でサティスファクションを追う形となった。

 グングニルとして瀬那の行動は放っておけないのだ。


「あんたさ、ちゃんと反省してるわけ?」

「話は聞いた。俺が倉庫で倒したあいつがそのサティスファクションとやらを一気に捕まえるために重要だったんだろ」

「そうよ。しかも、あんたが倒したことを隠したんだから私も共犯みたいなものよ」


 紗江の頼みで沙菜の動向を伺うために向かった海岸沿いの倉庫で倒した男は、鍵音の情報によれば行動が雑でグングニルが情報を掴むにはうってつけだった。しかし、捕まえてしまったことによりアジトを探ることが出来なくなったのだ。

 

「少しは裏で手をまわしてあげてんだからグングニルに入る気になってほしいものよね」

「ずっと気になってたんだけど、なんで可憐は俺をグングニルに入れたいんだ? グングニルにはBクラスやAクラスの優秀なヴィジョン所持者がいて、Cクラスのヴィジョン所持者もそれぞれ役割がある。俺一人入ったところで変わらない」

「私はね、悪を許したくないの。自ら道を外れておいて、捕まったりやられそうになったら社会が悪いだの周りが悪いだのと自分勝手なこと言うのが嫌い。しかも、グングニルに入っている学生を才能とコネだけでこの立場になったと勘違いしてる。そんな悪人は放っておくだけ社会の敵よ」

「まぁ、言いたいことはわかるよ。ヴィジョンそのものは偶発的な発現で意図したものじゃないにしても、クラスそのものは決まった方法のない雲を掴むような行為ででしか上げることができない。クラスの高い人間ってのは常人の努力を常に凌駕してる」

「私のお姉ちゃんを除けばね」


 可憐の姉である梨花は最高位のヴィジョン所持者のSクラス。一人で特殊部隊を一掃できるほどの力を持つグングニルのリーサルウェポンとさえ呼ばれていた過去がある。しかし、梨花は高校生の時、都市機能の半分をダウンさせようとした相手と戦い、その結果頭部に強いダメージを受けて現在はヴィジョンを使用することができない。

 梨花は努力というよりも才能でヴィジョンを扱うタイプで、そんな姉のことを可憐は憧れでありながらも超えたいライバルとしても見ていた。


「努力をするのはあたりまえよ。特に、目的があるんだったらね。血のにじむ努力と、辛い経験の先にようやくつかみ取った力を、悪に手を染めたやつらにどうこう言われる筋合いはない。ヴィジョンは人類の希望になれる力がある。決して犯罪の道具にしちゃいけないんだから」


 可憐のグングニルに対する思いと悪を許さない強い意志を見て、瀬那はやはり自分ではグングニルにはふさわしくないと思えてしまった。

 人助けをしているとまるで正義のヒーローのように言われることもあるが、瀬那の中にはそんな崇高な精神はない。あくまで、過去の後悔に対する足掻き。過去はどうにもならないとわかっているからこそ、今を足掻いている。

 この気持ちが晴れてくれるなら、どんな相手だって倒してやるとさえ思える。


 可憐の頼んだパフェがやってきた。

 ストロベリーソースのかかったコンパクトなパフェだがコーンフレークで底上げせずにしっかりと最後まで楽しめる作りをしている。

 可憐はさっきの表情と打って変わって目の前のパフェを見て目を輝かせていた。


「あんまこっち見ないでよ」

「見てないっつーの。俺、行くからな」

「ちょっと待ちなさい」

「なんだよ。げっ、て言ったり止めたりさ」

「義務ではないけど一応あんたに報告しておくことがあるの」


 立ち上がろうとしていた瀬那は仕方なく鞄を置いて可憐のほうへと向き直った。

 可憐は周囲を見渡し確認すると、少しだけ前のめりになって小声で言った。


「佐田洋二が逃げた」

「えっ!? 逃げたってあの状況でか!」

「声が大きい! そうよ、イージスの護送車の中で、銃を突きつけられてヴィジョンを使ったらわかるようにしていたのに、一瞬にしてイージスの隊員がやられた」

「どうやって逃げたんだ?」

「ヴィジョンで護送車に穴を開けて道路上のマンホールから出て行った。イージスの手錠は鍵穴じゃなくてセンサーで開ける仕組みだけど、あの能力なら手錠も壊されてるでしょうね」

「なんでそんな重要なことを俺に教えるんだ?」

「あんたは顔がばれてる。佐田洋二はあんたのせいで捕まったと思うかもしれない。そうなれば報復される可能性もある。可能性の話で証拠も何もないから現状護衛をつけてあげることもできないのよ。だから、自分の身は自分で守りなさい」


 佐田洋二の逃亡は護送車に乗せた段階から可能性としてあの場で戦っていた誰もが考えていた。見えない拳の攻撃範囲はわからず、見えない壁さえ出してくる。瀬那の最後の動きと早苗らの挟み撃ち、瀬那の頭部を殴った直後のゴム弾を避けられなかったことから、見えない何かしらの力は位置が存在している。ゆえに、瀬那が数々のヴィジョンを利用して仕掛けた攻撃が通じ、瀬那に気を取られていたからこそ佐田洋二はゴム弾の回避ができなかった。


 しかし、見えないそれは実際に戦い思考と体が慣れていかなければ緊張感を保つことは難しい。可憐はイージスに対し何度も見えない攻撃に気を付けるように伝えたが、護送中のちょっとした隙が奴にとって大きな付け入る隙となったのだ。


「話してたらソフトクリームが溶け始めたじゃないの」

「俺のせいかよ」


 ソフトクリームの上に乗っていたイチゴがテーブルに落ち、可憐は小さくため息をついた直後、ファミレスの扉が大きな音を立てて開いた。


「あ、あのお客様。そういった乱暴な開け方は……」


 女性店員が怖がりつつも注意を促そうと近づいた。

 瀬那は入口の方へ背を向けていたため状況がよくわかっていたなかったが、可憐は入口の状況を見て即座に立ち上がった。可憐の目がごく一般的な女子高生からグングニルの目へと変わる。


「誰も動くんじゃあねぇぞ!! 少しでも動けばこの女の命はない!」


 可憐は遅かったかと苦い表情を浮かべる。ようやく瀬那も後ろを向き見てみると、女性店員が男性に捕まり、ナイフの先端が首に浅く刺さり血が流れていた。 

 夏休みのファミレスの和やかなムードから一転し緊張が店内全体を支配した。


 


 

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