汚れた過去を消すために 6

 瀬那は後ろへ振り向いた。室内へと入る扉から少し離れた場所に詠歌たちが立っていた。肩の傷は聖のハンカチで抑えているが、水色のハンカチが真っ赤に染まっており、もうそのハンカチに吸水能力はない。


 イージスの男は何とか立ち上がろうとするが太ももの痛みで表情をゆがませている。


 いま動けるのは瀬那だけ。男に対し決定打になる力はないが、ヴィジョンを駆使すれば時間稼ぎはできる。イージスが来るまでどれほどかかるかわからないが、瀬那は覚悟を決め一歩を踏み出した。


「やるかい、少年。ゴム弾もボルトも弾くこの能力の前で、少年は何をする?」

「やれるだけのことをやるだけだ。止まってはいられない。俺は戦えるんだからな」

「熱いねぇ~。俺、少年漫画大好きだからそういうのいいと思うぜ。でもな、古い漫画で言ってたろ。勇気と無謀は違うってな」

「無謀かどうか試してみなきゃわからないだろ」

「いいね! そういうの最高だ! 主人公って感じのセリフだ。なら、少年を倒した後に、逃げるか後ろのやつらを倒すか考えるとするぜ!!!」


 男はヴィジョンの力を高めた。陽炎かもしくはオーラが出ているように、周りの空間がゆがんでいるよう見える。ヴィジョンのエネルギーは精神から生み出されるとも言われている。興奮状態ということだろう。


 瀬那は決して広くはない屋上で全力で走った。瀬那が全力で走れば場所にもよるが直線なら車を抜くこともできる。その場合、急な方向転換は難しくなるが、そこまでの速さは人間相手に必要はない。常人が戸惑うレベルの速さなら方向転換は難しくない。


 男へと近づき一気に拳を叩き込む。やはりダメージはないが、その間は相手も身動きは取れない。スタミナを消耗しつつも相手の攻撃には当たらないことが重要だ。

 

「次はそこだろ!」


 男は瀬那の移動するであろう方向へと腕を伸ばした。比喩ではなく実際に腕が伸びたのだ。もう片方の手を手すりに伸ばし瀬那を引っ張る。


「ゴムってのはよぉ。伸びた状態で止まりはしないんだ。絶対に元の場所に戻る。ゴムの強度が強ければ強いほど、戻る力は強くなるんだ」

「こ、このやろう……! このままじゃ引き寄せられてしまう」


 瀬那も手すりにつかまり体を持っていかれないようなんとか耐えようとした。


 その時、手すりから微弱な振動が伝わってくる。細かい震えが手すり全体に伝わろうとしていたのだ。それが何なのかはわからなかったが、なんと瀬那は手すりを離し蹴って男の方へと飛んだ。


「戻る力は使い手であるあんたなら把握してるだろう。だけどな、それよりも早く戻ってきたら対応できないだろ!」


 勢いのままに瀬那は男の顔面へと拳を打つ。拳は飲み込まれるように男の顔面の中に入り込むが、すぐさま反発する。


「無駄なんだよな! 何をしたってよ! 炎でもナイフでも持ってこない限り絶対に勝てるはずがない。ま、今の少年たちじゃ無理だろうけどな」


 近づき殴ったのはむしろ逆効果だった。目の前に来てしまったことで男は手に力を入れて絶対に離さないという意志を示す。そのまま近距離から反動を利用した拳が瀬那を襲う。

 

「あと何発で動かなくなるかなぁ。足を折れば、少年はもう走れないだろう。次は脚を狙ってやるか」


 足に対し強烈な蹴りを放つ男に対し、瀬那も蹴りで威力を落とした。


 しかし、そう何回もこれを続けるわけにはいかない。確実に瀬那の体にはダメージが蓄積し、頭突きをされ意識が飛びそうになる。


 踏ん張らなければ、自分が立っていなきゃ誰が戦うんだ。自身を鼓舞し精神を奮い立たせると、何か金属が落ちる音が聞こえた。直後に、背中が静電気を受けたようにピリッとする感覚を受け取った。


「ふらついてきてるなぁ。そろそろ終わりにするか!」


 瀬那は男の両肩を掴み一気に足に力を入れる。男の肩で倒立をしたのだ。その姿は戦っているとは思えないほど不思議な光景であるが、ゆえにそんなぶっ飛んだ行動をする瀬那に男は釘付けになってしまう。


「こっちを見たな。こっちを見たなら、あんたの負けだ!!!」

「そこから俺に一撃を与えられるっていうのか? 見せてもらいたいねぇ!!」

「ここからじゃない。こうやってようやく見えた。何をしているのかさっぱりわからなかったけど、信じて正解だった。悪事を行わなければ自分を維持できなかった少女が、肩の傷程度で止まるわけがない。たった一人の男を見つける度に、狂気になれるほど行動力のある少女が止まるわけがないんだ」

「少年よ、哲学的な話は別の日にやろうぜ。今は俺と少年が……」


 その時、凄まじい勢いで飛んできた金属の槍が男の太ももへと刺さった。


「何っ!?」


 瀬那は倒立状態から体をおろしつつ、勢いを利用して男の顔面へと蹴りを入れ手すりにぶつけた。そこへ金属の棒がやってきて、手すりと男の体をくっつけた。手で外されないようにさらに金属の棒がやってきた手を手すりへと拘束したのだ。


「くっ、なんだこれは!」

「私たちがやったんだ」


 男の視線の先には痛みに耐えながら立つ詠歌と、カッターのように水で手すりをきる聖の姿があった。


「な、なんなんだよそれは」

「聖は水を操るヴィジョン。水の流れを操り動かすことができるんだ。でも、それではあんたに有効打にならない。私の攻撃もあんたに通用しない。でも、ゴムという性質は針や刃に弱い。なら、貫通できるものを作ればいい」

「だからそれはいったいなんだと言っているんだ!」

「ウォーターカッター。水圧によって物質を切るんだよ。鉄アレイや耐火性の金庫さえも切断できるパワーだってある。手すりを切るなんて造作もない。そして、切られた手すりなら私のヴィジョンでコントロールができる。曲げることもね」


 聖のカッターで表面を鋭利に尖らせ、それを詠歌が投げたのだ。拘束するための手すりの金属は長さを調整するだけで鋭利に尖らせる必要はない。しかし、これらを作り出すためには時間が必要だった。


 水をかき集め切るには時間がかかる。その間相手が何もしないなんてことはない。誰かがひきつける必要があったのだ。瀬那が最後まで戦おうしたおかげで男のターゲットは瀬那になり、視線をくぎ付けにした。


 それにより時間とタイミングの確保が出来のだ。


 瀬那が感じた手すりの振動は聖が手すりを切断する際に発生した振動。瀬那は聖がそんなことをしているとまで理解していたなかったが、何かをするのだろうと思い、男に手すりの振動を悟られないよう飛びかかった。


 三人の行動は言葉を交わさずに男を止めるという意志で共鳴していたのだ。


 イージス車両のサイレンと警察のサイレンが同時にやってきた。


 男はゴムの性質を利用した柔軟さでなんとか抜けようとしたが、最初に刺さった手すりを詠歌がヴィジョンで操作し強引に抜き取り、男の首へと先端を向けた。

 

「動いたら刺す。絶対に」


 詠歌の目は本気だった。

 犯罪に手を染めていた男は詠歌の目に一切の迷いがないことを理解し、軽く手をあげる。


「はぁ……。降参だ。少なくともサイドテールの嬢ちゃんには俺の話術は通用しないみたいだしな」


 直後に詠歌のコミュネクトに電話がかかってきた。


「捕まえたよ」

「ああ、こちらでも確認は取れている」

「近くにいるの? だったら自分たちでやればよかったのに」

「上から観察していただけだ」

「上? まぁいいや。ここからどうすればいいの?」

「あとは我々に任せてくれればいい」

「イージスも警察も来てるけど」

「問題はない。我々の仲間はすでに到着している。それよりも君はもう一人のターゲットを捕まえなくていいのかい?」

「もう一人? 私が言われたのは一人でしょ」

「我々からともう一人電話があったはずだ。そのターゲットは捕まえておいた方がいい。これからの君のためだ。では、切るぞ」

「あ、まって! ……切られた」


 電話を切るとイージスの男が手錠をもっていた。詠歌は一瞬自分にかけられるのかと思ったが、もちろんそんなことはない。


「これ以上なにもしないだろうけど一応ね。詠歌、君の力はすごいね」

「なんで私の名前を?」

「今朝、君に連絡があっただろう。金髪でジャケットを着た男を捕まえろって。俺がその対象だったんだ。でも、まさかこんなことになるとは。今回は残念だったけど、きっとまたチャンスはあるよ。あ、何がっていうのは言えないんだ」


 その時、詠歌の目の色は再び戦う者の目へと変わった。イージスの男はそれを察知したのか一歩後ろへ下がる。しかし、すぐに体を手すりを切断した棒で腕ごと胴体を拘束された。


「これでどう?」

「あっはは……。恐れ入ったなぁ。てっきり終わったと思ってたのに」


 その後、イージスが先に上がってきて男を連れて行った。警察は現場の状況を確認していたが、二次被害といえるものはほとんどなく、強いて言うなら聖が大量に使った水道の水で水道代が跳ね上がった程度だ。

 この件で瀬那たちはこれといったおとがめはなかった。

 

 詠歌は日常に戻り、いつも通りに朝食のパンを食べながら、とりあえずテレビをつけてニュースを見ていると、知らない電話番号からの着信が入った。緊張が走る。再び何かを依頼されるのかと少しだけ警戒した。


「……もしもし」

「あ、これって詠歌さんの電話番号であってますか?」

「その声、イージスの人?」

「そうそう。この前屋上で君に捕まった工藤だよ。ちょっと聞きたいことがあってね」


 イージスから電話がかかるなんて普通はないことだ。もしかして過去のことがばれてしまったのではないかとさらに緊張が高まる。


「この前、銭湯の屋上で捕まえた男がいただろ。あいつがどこかへ消えたんだ」

「消えた? イージスが捕まえたんでしょ」

「そのはずだったんだが、どうやら捕まえた報告もなければ、そんな事実もないらしい。君に聞くのも変な話だが何か小さなことでもいいから知ってることはないかい?」


 男を捕まえた直後のムラクモの電話のことを思い出した。「我々の仲間はすでに到着している」そう言っていたのだ。その後、すぐにイージスが屋上まで上がってきて男を捕え移動した。


 しかし、それとすれ違いでさらにイージスがやって来た。当時、工藤はおかしいとつぶやいていたのだ。それは、イージスは事件の大きさにもよるが、工藤が要請したのは車両一台とヴィジョン所持者の手配だ。応援要請があれば追加でやってくるがあの時工藤は二度目の応援要請はしていない。グングニルが駆けつけてくるならまだしもイージスの車両は二台、それもすれちがいでだ。


 もしかしたら最初のイージスはムラクモが紛争していたのではないかと詠歌は考えた。


「私は何も知らない」


 可能性はあったが確定ではない。それに、詠歌はムラクモに借りがある。どんな組織か知らないが筋は通したかった。


「そうか。まぁ、もし何かあったらイージスに連絡してくれ」

「要件はそれだけ?」

「もう一つある。――おめでとう。君もフロンティア晴天女学園への入学が受理されたよ」

「……えっ?」


 唐突なことで詠歌の思考は追いついていなかった。


「君が僕を捕まえるっていうのは、秘密裏に行われた入学試験なんだ。本当はあの場で伝えることだったんだけどいろいろあって忘れててね」

「じゃあ、私はこれから学校に……」

「ああ、君のことは少し調べた。こっちに来てからなぜか学校に行けなかったみたいだけど、君の才能は可憐ちゃんの言う通り本物だ。今度手続きをするから可憐ちゃんから連絡があるよ」


 イージスはすでに詠歌の過去を調べていた。だが、フロンティアに来てからの行動をまるで知らない雰囲気で話している。たぶん、本当に知らないのだろう。それが良いことなのかどうか、今の詠歌に判断はできない。


 今はただ、可憐と同じ学校に入れる喜びをかみしめた。

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