汚れた過去を消すために 5
詠歌たちは銭湯の屋上へと連れて行かれた。一瞬のことで何が起きたかと戸惑ったが、男が跳躍しそのまま屋上へと着地しただけというなんともシンプルなことだ。
「サイドテールの君が俺を狙っている学生だろう? 依頼は誰から受けた? どこまで知っている?」
「それを答えたら見逃してくれるわけ?」
「断腸の思いで楽にしてあげるさ」
「生きて返さないわけだ」
「でも、君の目は恐れを抱いていない。どうやら自分のヴィジョンに自身があるようだ。試しに発動して見なよ。君のヴィジョンをね」
ここで捕まえればいい。殺す必要は一切ない。戦闘不能にすれば依頼は完了する。むしろ、探す手間が省けたと詠歌は考えていた。
「あんたもヴィジョンに自身があるんだろうけど、私の特別。これをくらって立っていられるなら褒めてあげる!」
けたたましい音を立てながら手に電気を溜め、それを一気に男へと放った。躊躇はしていない。それが隙を生むとしているからだ。とは言え殺すつもりもない。殺人の犯罪歴はあまりにも重すぎるからだ。ただ、もし必要なら、目的のためにやらなければならないのなら、詠歌は人を殺すことだってやってのけると言えるほどの覚悟を持っている。
油断も慢心もない電撃は男へと直撃した。苦しむ様子にこんなものかと思った次の瞬間、うつむいていた顔を上げ、はっきりと表情見せた。
その表情に苦痛の色は一切なかった。
「自然系か。それなりにパワーもある。優秀なのにこんなことしてるなんて意外だが、何かのっぴきならない理由があるってわけだよなぁ。それを探ったら君は困るよなぁ」
「何をいいたいの」
「もしだ。もしもの話だ。俺がいま逃げたとしよう。そしたら組織の連中に君のことを伝える。そうなったら君は追う側から追われる側へと変わるんだ。君は今選択を迫られている。俺を殺すか生かすかのな」
避けるわけでもどこかに電気を移すわけでもなく、男は体全身で電撃を受けて平然としている。なぜ立っていられるかわからない。詠歌は確実に倒れる程度には力を強くし電撃を放った。当たれば瀬那であろうと動きを止められる。当たるなら可憐でさえもだ。
しかし、ヴィジョンで発動したエネルギーはヴィジョンのエネルギーで防御することができる。詠歌が電撃を放ち、可憐が炎を噴射し、お互いの力がぶつかったとしたなら、本来は交わることのないものでもエネルギー同士が干渉し相殺、もしくは威力を弱めることができる。
この現象はエネルギーを飛ばしたりエネルギーを操ったり、エネルギーを生み出すタイプのヴィジョンに見られる。
そのため、瀬那のような肉体強化系は純粋に肉体が強くなっているため相殺することはできず、耐えることに使う。聖のような操るタイプは操っている対象を相手のヴィジョンにぶつけることで威力を抑えることができる。
それ以外にもヴィジョン所持者はヴィジョン発動中は、ヴィジョンを持たない人間よりも身体能力などが上であるという研究結果も出ているが、それを加味したとしても男に一切のダメージを与えられていないのはおかしいことだった。
「肉体強化系……。でも、だとしてもダメージは入るはず」
「さぁ、どうするよ。君と俺では相性が悪いらしいな。どちらに分があるかはいまのでわかっただろ」
「だったらこれはどう!!」
詠歌は金属を操る力で近くにあるボルトを外して男へと飛ばした。直撃し男の体にめり込むが、やはり男にダメージは入っていない。
「やめとけやめとけ。君じゃあ無理なんだ」
その時、男の足元に大量の水が溜まりまとわりついていた。
「水? いったどこから」
「私のヴィジョンです。あなたが立っている場所の下側にはトイレがあったから、そこから水を操ってここまで持ってきました。流れる水はそう簡単に抜けられない。そして、この状態で電撃を当てればさらに体を駆け巡る」
直後に詠歌が電撃を放った。
バチバチと音を発しながら男の全身を覆うように電撃が走る。
「だからさぁ、効かないんだって!」
男は詠歌が飛ばしたボルトをすでに掴んでおり、それを左手の親指と人指で持つと、右手をデコピンと同じようにして指を弾いて飛ばした。飛ばされたボルトは想像を超えるスピードで聖へと迫る。
聖にはこのボルトを避ける手段も受け止める手段もなかった。操っている水を自身のほうに向かわせても間に合うはずもない。直撃する恐怖で目を瞑った聖。すると、体が横から突き飛ばされた。
詠歌が聖に飛びかかりボルトを代わりに受けたのだ。
「え、詠歌さん!!」
詠歌の肩は服が破れ痛々しく血が流れ落ちる。
「直撃は回避したけど結構やばいかも……」
詠歌の金属操作は高速で動く物体に対して効果が薄い。射出する力こそあれど受け止める力そのものは決して高くないのだ。そのため、想像を超える速さで飛んできたボルトに対し、少し威力を抑える程度しか能力を使えていない。
直撃を回避できたのも操作したおかげで軌道が逸れたのだ。
「次は直撃させるぞ。電気を放つその手を吹き飛ばそう。そうすれば戦意もそがれる。ヴィジョンは精神が大きく影響しているからな、そうなれば例え立てても歯向かう力は出せないはずだ」
もう一個のボルトを掴み再び同じように飛ばした。
倒れている状態ではさっきのように回避することはできない。スピードが速く正面から来るため、電撃を当てて落とすにしても狙いが定まらない。
聖だけでも守ろうと覆いかぶさり必死に抱いた。その時、ボルトが床へと落ちる音が聞こえる。
「間に合ったみたいだな」
ボルトを弾き落としたのは瀬那だった。
「瀬那、どこに行ってたの」
「連れ去られたと思ってその辺走ってたんだ。そしたら一瞬雷みたいな音が聞こえて、二度目の音を聞いてここだってわかった。離れてなければすぐに駆け付けられたのにな」
「難を逃れたからいいってことにしてあげる」
詠歌の肩から流れる血を見て瀬那は拳を握った。
「聖、そっちは頼む。俺がこいつを倒す!」
聖はヴィジョンを解除し屋上から室内に移動するため扉の方へと向かった。
その間に瀬那は男のほうへと走り一気に拳を叩き込む。
「肉体強化系ってのは単純でいいな」
「まったく効いていない!?」
男は瀬那のラッシュを受けても平然としていた。
「次は~こっちの番だよなぁ!」
そういうと男は大きく腕を振りかぶった。格闘技や喧嘩慣れしているような動きではなく、まるで鞭を振る時のように大きくだ。体ごと腕を振ると、男の拳は異常な速さで瀬那へと迫る。
避けようとしたがギリギリ間に合いそうにないと判断した瀬那は、ヴィジョンを発動した状態で両手を重ね受け止めようとした。高速移動ができるということはそれだけ動きに対応できるということもである。流れていく景色をしっかりと捉えるため、ヴィジョン発動中は瀬那の動体視力は常人を凌駕する。
重ねた手のひらで拳を受け止めると、衝撃が背中の方へと突き抜け体ごと後ろへと飛ばされた。
「な、なんだこいつのパワーは!? 肉体強化系なのか!」
転ぶことはなくなんとか踏ん張り耐えるが、男の力が想像超えていたことで直線的な攻撃ではむしろこっちがダメージを受けてしまう。
瀬那は後ろを向き詠歌たちのほうをみた。詠歌が負傷しているのは戦ったからだ。詠歌の力は電気と金属操作。それを試したのは明白だ。電気も通らず飛ばしたボルトは受け止められた。水で拘束して動きを止めたとしてもダメージが入らないのなら意味がない。
二人とこの男では相性が悪かったのだ。そして、瀬那も相性が悪い。物理的にダメージを与えられないのなら瀬那の攻撃はすべて意味がなくなる。自分が消耗するばかり。
「あいつの力は電気もボルトも拳も通用しない。物理的な攻撃はまるで跳ね返されるようだ。……跳ね返される?」
殴った時の感覚は人体を殴っているというのとは少し違う。強烈に反発してくるような感覚だ。
その時、瀬那は風呂場での出来事を思い出した。
老人が床で足を滑らせ倒れた時、音が聞こえた。床にぶつかる音ではない。音自体はとても小さかったが少し鈍く低い音。そして、老人はバウンドするようして頭があがった。そこへすかさず近づいたのがこの男だ。
「……もしかしてそうか。そういうことなら理解できる。すべてのことに説明がつく!」
「どうした少年。もう打ってこないのか?」
「お前のヴィジョンはゴムだ! 対象の性質をゴムに変化させる能力! 老人が倒れた時、お前は床の一部をゴムの性質に変えた。今は自分自身に。俺を道路に弾き飛ばしたのも、ゴムの性質から反動を利用して小さな動きで大きな力を生み出したんだ。さっき、鞭を振るようなオーバーアクションも反動を利用したんだろう」
「ほぉ、俺のヴィジョンを理解したか。しかしな、だからといってこの状況をどうする? 俺はお前らを逃がすつもりはないぞ」
男の言う通り瀬那たちに男の能力を打破する能力はない。
能力だけでは勝てないのだ。
ゆっくりと男が近づき瀬那は後退った。詠歌たちが逃げるまで時間を稼ぐほかなく、もう一度ラッシュを打ち込もうと思った時、屋上の扉が開いた。
「おい、大丈夫か? その怪我どうしたんだ!」
やってきたのは男とよくにたもう一人の金髪の男。慌てていたのかわからないが上着は来ておらず髪の後ろ部分は寝ぐせのようにはねていた。よく見るとベルトにバッジをつけている。
「あれはイージスのバッジ。そうか、あの人はイージスの人間だったのか」
男はフロンティアの都市防衛組織イージスに所属してたのだ。ということは戦いに関して少なからず知識がある。
近くにいた聖が事情を説明すると、男はヴィジョンを発動し何かを引き寄せた。バラバラになっていた黒いパーツらしきものが組み合わさっていくと、それは銃へと変化する。
「そこのお前たち動くなよ!」
「瀬那さんは悪い人じゃないです! 悪いのは向こうの人です!」
「あっちだな。金髪のお前、動くな!」
男は手をあげて撃つなというポーズをとるが表情に焦りはない。
それもそのはず。男には物理的な攻撃は通用しない。銃の弾丸など意味がないのだ。
「撃つのはやめてくれよ。そんなもんぶっぱなしたら怪我しちまうぞ」
「ならその場から動くな。今から手錠をかける。絶対に動くなよ」
ゆっくりと近づく中、瀬那たちは緊張の面持ちでそれを見守った。あの男が素直に捕まるはずがない。これからどうするのかと疑問だった。
すでに聖たちから男がシールのバイヤーであることを知ったイージスの男は、何かあれば発砲する気でいる。ただの悪人ではない。シールを売るということはフロンティアの人間を堕落させ機能を停止することにもつながる。それは都市防衛組織であるイージスが排除しなければならない存在だ。
容赦しないという気迫が伝わってくる。
「あ、そうだぁ。お前、一人だよなぁ。俺を拘束してそのあとはどうするんだ」
「すぐに別のエリアにいる仲間が来る。逃げようとしても無駄だぞ」
「そうかぁ。それはまずい。非常にまずいぞ。四人もヴィジョン所持者がいたんじゃあ手も足も出ない」
「そういいながら随分と余裕そうじゃないか」
「そりゃあそうさ、なにせ全然ピンチじゃないんだからな!!!」
プレッシャーで相手を威圧し、静かにポケットへと手を運んだ。しかし、その瞬間を見逃してはいなかった。イージスの男は即座に引き金を引いた。相手が犯罪者とは言えその情報は詠歌たちから、すなわち学生からの情報。戯言かもしれない可能性もあった。
なのに、イージスの男は躊躇をしない。
「イージスにいるといろいろわかってくるんだよ。被害者の必死な姿。犯罪者の何か企んでる姿。異常な現場。そんなのをいくつも体験してたら、相手が犯罪者かどうか見分けがつくってもんだ!」
放たれた弾丸はゴム弾だった。
かつてのゴム弾は大型で内出血させる程度のものだったが、このゴム弾は違う。拳銃サイズに搭載でき、その威力は骨も折ることができる。しかし、絶対に貫通はしない。体の中で止まることもない。あくまでダメージを与えて相手を止める物。当たればそれ相応の痛みがある。足に当たれば逃げることなどまずできない。
男の体へとゴム弾がめり込む。
その直後、ゴム弾はイージスの男へと勢いよく反射され太ももへ抉るようにめりこむ。
「うがっ!!」
「問題はない。本物の弾丸だろうと、そうじゃなかろうと、俺には一切通用しない」
イージスが駆けつける待つか。瀬那は判断を迫られた。
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