第26話 氷の奥
あれから少し考えてみた。なぜハルは俺とミライに留学の話をしたのか。パートナーであるコウとミライだったらわかる。だけど、ハルはコウではなく俺を選んだ。それはなぜなのか。
ハルの真意はいつも読めない。ふわふわしていてどこまで本気なのかわからない。俺のことを認めないと言った一方で、頑張ってほしいとも言っていた。いつも落ち着いていて、ずっと先の方を見ている。それでいて人の内面や本質を見抜くのに長けているのだと思う。
でももし。ハルが本当はとても不器用で、必死にもがいているのだとしたら。どうしたらいいのかわからないのに、そんな自分を隠すために余裕のあるふりをしているのだとしたら。
ハルの物言いは遠慮がないから、つい攻撃されているように感じる。でもあの時の、悲しそうな笑顔こそハルの本当の姿なのだとしたら。もしかしたらハルは、自分が悪役になることでコウを助けたいのかもしれない。
だけど、俺はそういうやり方は嫌いだ。誰かが泥をかぶって別の誰かが幸せになるようなストーリーは好きじゃない。だからもしハルがそんなことを企んでいるのだとしたら、全力で止めないといけない。
しかしそうは問屋が卸さなかった。ハルの誕生日パーティーは5人が一堂に会する絶好の機会だ。留学の話をしたタイミングから見て、ハルがパーティーで何かを実行に移す可能性は十分にある。しかし、対策をするにはあまりにパーティーまでの時間がなさ過ぎた。結局、これといった対策もとれぬまま、俺たちは当日を迎えることとなった。
「ハル、誕生日おめでとう!!」
ミライがそう号令をかけて、4人分のクラッカーが鳴り響く。会場はミライの家。5人の成人が集まるには多少窮屈ではあるが、外よりは気楽だろうと採用された。
「みんなありがとう」
ハルはいつもの余裕の笑みを浮かべている。とにかくハルが何かしでかそうとしたらその時は全力でインターセプトすると決めていた。バスケ部現役自体、『ぬりかべ』と称されたディフェンスを思い出しながら、俺は改めて気合を入れた。
恐らく半分以上はマヨが準備したであろう料理に舌鼓を打ちつつ、パーティーは滞りなく進行した。ミライが用意した恐怖のロシアンルーレットを乗り越えながら、なるべくコウとハルが接触しないように目を光らせた。ついでにミライが飲みすぎて暴走しないようにもだ。パーティー内での俺の業務量がやや多すぎないかと嘆きたくもなったが、そこはグッとこらえた。
「ではでは、お待ちかねのケーキだよ!」
そう言って、ミライがフルーツタルトのホールケーキを持ってきた。デコレーションされたフルーツが宝石のようにキラキラと輝いている。
「おおー! フルーツタルト!」
それを見て、ハルの瞳も同じように輝いた。やはりハルは自他ともに認める甘党なのだ。
「流石ミライ、わかってるねぇ」
見るからにウキウキしてますという感じのハルがそう言うと、ミライは自慢げに言葉を返す。
「違うよ。これを準備したのはコウだから」
いやだからなぜお前が自慢げなのだ、と言いたくなるのをぐっとこらえると、コウがちょっと照れくさそうに軽く会釈をした。
「そっか。コウがね」
ハルがそう言って、優しげな瞳でコウを見た。その瞬間、まずいと思った俺は、慌てて間に入る。
「いやぁ、本当においしそうだな! 早速食べよう!」
かなり強引だったからだろう、突然の俺の介入に、みんなはきょとんとした。
「何言ってるの、ユウ。まずはろうそくに火をつけてフーってしなきゃ」
ミライがそう諭してくる。
「あ、あぁそうだな。いやでもそれを言ったらキッチンから持ってくる時点で火をつけてくるべきじゃないか?」
「ろうそくをさす前の状態を写真に収めたいかと思ったの!」
えへんとミライは偉そうにそう言った。
「あはは、じゃあお言葉に甘えて写真撮るわ」
するとハルはミライの言葉に便乗してケーキを写真に収めた。俺は何も起きなかったことにほっとした。
その後はお約束の流れを一通りこなした。ろうそくに火をつけて、バースデーソングを歌い、ハルが火を吹き消すと拍手をする。
「これはみんなからのプレゼントです」
そう言って、ミライがプレゼントの箱を渡した。
「おおーなんだか悪いな。ありがとう」
プレゼント用に丁寧にラッピングされた箱をハルはゆっくりと開封する。
「ハルが欲しがってた時計」
コウがややぶっきらぼうにそう言うと、ハルは本当にうれしそうに笑った。
「本当だ。欲しかったやつだ」
そんなやり取りを見ていたら、何だかしんみりしてしまって、俺は眉尻を下げる。今日はお祝いなのだから、このまま何事もなく終わってほしい。そう願わずにはいられなかった。
「ちょっと聞いてほしいことがあるんだよね」
しかし、俺のそんな小さな願いを聞き届けてくれる神様はいないらしい。ハルがいつになく真剣にそう言った。コウとマヨはどうしたのかと聞く姿勢をとる。俺は横目でちらりとミライの方を伺うと、同じくこちらを伺うミライと目が合った。そしてお互いに考えていることは一緒だと気づく。
「あ、あのさ。今日はハルの誕生日だし、楽しい感じで今日のところは解散した方がよくないか?」
俺はとっさにそう言った。すると、ハルがじっと俺の顔を見つめてきたので、俺も負けじと見返した。ハルの瞳をのぞき込んでも、その真意はやはり見抜けなかった。
「何? どういうこと?」
すると、訝し気にコウが聞く。
「えっと、いや、だから」
それになんと答えて良いのかわからずしどろもどろになっていると、マヨが同意する。
「よくわからないけど、私もユウに一票。お祝いの席で揉め事はなしよ」
留学のことは知らないにしても、俺の態度から何か感じ取ったのかもしれない。
「ハルが話したがってるのに、それを止める権利は誰にもないだろ。俺は聞きたい」
しかし、コウは不機嫌に反論する。話を聞きたいというコウの気持ちは痛いほどよく分かる。俺だって、ミライが何か大切な話をしようとするのを他のやつに止められたら憤るに決まっている。
「いや、だけど――」
「ミライはどうなんだよ」
それでもなお食い下がろうとすると、それにかぶせるようにコウが言った。
「わ、私?」
ミライが動揺しながらそう返す。
「ミライは聞きたくないのか?」
すると、コウがさらに問い詰める。
「わ、私、私は……」
ミライは視線を泳がせながら、どう答えようかと思案しているようだった。その様子があまりに可哀相で、何か言わなければと口を開きかけた、その時。
「自分、秋から留学します。1年は帰ってくるつもりはありません。話は以上」
ハルがさらっとそう告げた。
「……は?」
反応は三者三様だ。驚きを隠せないコウ、辛そうに顔をゆがめるミライ、凛とした態度を崩さないマヨ。
「なに、それ……本気?」
コウは驚愕に目を見開いたままそう尋ねた。
「ちょー本気」
それにちょっとふざけているかのようにもとれる態度でハルが言った。言葉を失うコウの横で、マヨが深くため息をつく。
「ハル、あなたね。留学すること自体はいいけど、ちょっと誠意に欠けるんじゃない」
ピシャリとマヨが言い放って、しかしハルは全く動じない。
「そう?」
にこにこしながらそう返すハルが、どうしてか俺には痛々しく見えた。ちょっと前の俺だったらこんな風には思わなかったかもしれない。ハルはいいやつだけど、どこかいい加減な奴だと思っていたから。でも、それが全部見せかけだったとしたら。厚い氷のずっと奥に、もがき苦しんでるハルがいるのだとしたら。俺はそんなハルに手を差し伸べなければならないと思った。
「……2人は知ってたの」
黙ってうつむいていたコウがそう言った。俺とミライは顔を見合わせる。なんと答えて良いかわからず返答することができない。
「そ、2人には先に伝えてた」
すると、またハルがのほほんとした口調でそう言った。
「……なんで?」
そう問いかけるコウの声は少し震えていた。
「2人には、先に知っておいてほしかったんだ」
そう答えるハルは、口調こそ変わらなかったけれど、悲しそうに笑った。あの時と、同じ表情だ。
「ハル……」
どんな言葉をかければいいのか、俺にはわからない。ミライは声もなく泣いていた。マヨも、キュッと唇をかみしめている。
「なんだよそれ」
コウは小さくそうつぶやくと、部屋を飛び出した。
「コウ!」
俺はそう叫んで走り出す。前にも同じことがあった。あの時は、マヨに背中を押されるまで動けなかった。だけど今は違う。俺は今度は自分の意思で、コウの背中を追いかけた。
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