第27話 チープな青春ドラマ
「コウ!」
俺は再びその手を掴む。
「離せ!」
前と違うのは、コウが激しく抵抗することだ。
「嫌なら離すけど、お前が諦めるまで追いかけるからな!」
俺がそう叫び返すと、コウはピタリと抵抗をやめた。
「……なんだよそれ、脅迫だろ」
その声はどちらかというと呆れているニュアンスの方が強かった。
「ごめんなさい。許してください」
バカ真面目にそう伝えると、コウは盛大にため息をついた。
「バカに何言っても無駄か」
なんとなく、コウはもう抵抗も逃亡もしないだろうと察して、俺はそっと手を離した。するとコウが黙って歩き出したので、俺もそれに倣う。しばらく進むと公園があり、その中のベンチに腰掛けた。俺が横に並んでも、コウは文句を言わなかった。
着の身着のまま飛び出してしまったので、俺たちは無一文だ。スマホすら手元にない。しかし、幸いにしてしばらく外にいたからといって風邪をひくような季節でもない。俺たちは以前と同じように公園のベンチに座っていた。
「……ユウは、いつの間にハルと仲良くなった?」
ふいにコウがそう問いかけた。
「別に? むしろ一番仲は良くないと思うけど」
俺は嘘偽りのない答えを返す。実際のところ、俺はハルに少し苦手意識があった。コウとは信頼を得ようとなんだかんだ絡もうとしていたし、マヨとは関わるうちに馬が合うことに気づいた。ミライは言わずもがなである。
「そうだよなぁ」
コウは独り言ともとれるようにそう言った。初夏の風が公園の中を抜きぬける。青々と生い茂る木々は、しかし夜に見ると少し不気味だ。伸び放題になっている枝葉が、俺たちを外界と切り離しているかのように感じる。この場には、俺とコウの2人しかいない。
「本当は、ユウにはちゃんと俺の話を聞いてほしいと思ってた」
コウがポツリと呟くようにいった。実を言うと、何度かそんなタイミングはあったのだ。俺はその度に、今日は話してくれるのではないかと期待して、落胆することを繰り返していた。俺は黙って続きを待った。
「でも……。実は、ハルたち以外にカミングアウトしたことが、一度だけあって……。その時に失敗、というか、うまくいかなくて……」
そこまで話すと、コウは言葉を詰まらせる。
「ユウ、あの、さ」
「ん?」
「あ…………いや、悪い。何でも、ない」
俺は繰り返されたそのやり取りを思い出していた。
「……話そうとすると、体が震えて……言葉がでなくなるんだ」
コウの声は確かに震えていた。あの繰り返されたやり取りの裏側で、コウはずっと苦しんでいた。俺は自分のことで頭がいっぱいで、ちっとも気づいていなかった。コウにきちんと向き合えていなかった。それではいつまで経っても信頼なんて得られるはずがないのに。
「一時期は女自体が駄目になって、そんな時、ずっとハルが支えてくれた。ミライもマヨもわかってくれてて、リハビリに付き合ってくれた」
コウは言葉を続ける。俺はそれを黙って見守ることしかできなかった。
「甘えてるってわかってるんだ。でも、辛いことがあると、ハルに聞いてほしくなって、そばにいてほしくなる。ずるずるハルに依存する」
そこからは堰を切ったように言葉があふれてくるようだった。
「ハルも、ミライもマヨも、俺のこと知ってて、優しいから……どこか一線引かれているように感じるんだ。俺は見守らなきゃいけない存在、対等じゃない存在、みたいな」
その気持ちは、俺には痛いほどよくわかった。例えミライたちが気にしていないのだとしても、自分がマジョリティであることを後ろめたく思う。永遠に対等には慣れない気がして怖くなる。みんなで囲んでいるキャンプファイヤーの輪の中に、俺一人入ることができない。世の中ではマジョリティでも、5人の中ではマイノリティなのだ。
「ユウは、唯一俺たちの中にいて、俺と対等でいてくれる存在で。最初は関わるのが怖かったしムカつきもしたけど、一緒にいるのは居心地が良かった」
その言葉を聞いて、コウがあの日、あの公園で言いたかったことが、やっとわかった気がした。
「進路のことを考えたら、俺はカミングアウトと向き合わないといけない。今更戸籍に合わせて女の格好して就活なんて耐えられないし、でも、男の格好で就活したら、どうしたってどこかのタイミングでカミングアウトしないといけない」
俺は、やりたいこともなく、働くのは面倒で、でも働かなくてはいけないから何をしようかと、そんな風に考えていた。だけど、コウはもっとたくさんのことを考えないといけない。俺が当たり前に思うこと、できることが、コウにはとてもつらい選択を迫るもので、たくさんの努力が必要になる。
もしかしたら、ミライやハルが先のことを考えているのは、その必要性があるからなのかもしれない。俺には知る由もない選択を迫られて、俺よりもたくさんの準備が必要で、しっかりしているかどうかではなく、そうでないと生きていけない。マイノリティであることの生きづらさはあらゆるところに存在している。
「ハルはずっとどうにかしようとしてくれていたのに、俺はそんなハルに甘えてた。ハルがこんな強引な手段を使うまで、ずっと目を背けてきた。ハルだって、本当は相談したいことがあったかもしれないのに」
その言葉がぐさりと胸に刺さった。その可能性には俺だって気づいていたのに。ようやく気づけたのに。結局何もできなかった。それでは気づいていないのと変わらない。改めて悔しさがこみあげて、握りこぶしを硬くした。
「……悪い、色々一気に話し過ぎた」
コウは最後にそう言った。俺はコウに何と返してやればいいのだろう。コウの言う通り、あまりにたくさんの情報が溢れすぎていて、気の利いた事なんて何一つ言葉にできない。
「いいよ、今度はちゃんと覚えてるから」
受け止める。ただその事実だけを伝えた。あたりは静寂に包まれて、夜の闇に自分が溶けていくような不思議な感覚を覚えた。俺にできるのは全部受け止めて、一つ一つ考え続けることだと思った。
「ハハ」
ふいにコウから乾いた笑い声が聞こえた。その時、コウがどんな表情をしていたのか、俺にはわからない。
「実は俺、トランスジェンダーなんだ」
続いてコウがそう言った瞬間。ドッと胸の中を何かが駆け抜けた。熱い感情が込み上げて、胸が詰まる。
「うっ……」
コウの方から呻くような声が聞こえた。体調を崩したのかと慌ててそちらを見れば、コウは唇をきつくかみしめながら、大粒の涙をこぼしていた。たまらず俺もグッと唇をかみしめて、空を見上げた。そこには丸い月が浮かんでいたのに、見つめていたら、ゆらゆら動いて歪んでいく。月の満ち欠けはこんなに早く、無様なものだっただろうか。
「……へぇ、そうなんだ」
言えたのはそれだけだ。声は小さく震えていた。
「……こんな、簡単なことなのにな」
コウは涙声でそう言うと、声を上げて泣き始めた。だって、ここにいるのは俺とコウの2人だけだ。何を取り繕う必要があるだろう。俺も自分の気持ちに正直になることにした。
『男2人、夜の公園で泣き叫ぶなんて、チープな青春ドラマみたいだな。』
頭の隅で小さくわらう声がした。
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