第25話 小さな進歩
「つ、つまり、お前と付き合ってるミライちゃんはマヨってやつとハルってやつとも付き合ってて、ハルってやつはコウってやつとも付き合ってるのか?」
ヤマトが頭を抱えながら聞いてきた。
「そうそう」
ざっと説明しただけでもそれなりの時間を要した。話過ぎてカラカラになったのどを潤すべくジョッキに手を付ける。2人は話を理解しようと必死になっているようだった。
「ごめん、誰が男で誰が女何だっけ?」
さしものタケルでも理解が追い付かないのか、同じく頭を抱えながら質問する。
「んー、そもそも性別にはいろんな要素があるから何を聞いているのかによるな」
しれっとそんな風に返すと、ますます眉間のしわを深めながらタケルが答える。
「んっと、一般的に『こいつは女か? 男か?』って聞かれたときにどう答えるかってことというか……?」
何をどう質問すればよいのかすらわからないようだ。昔の自分を見ているようだが、教える側というのは存外楽しいものである。
「そうだなぁ。例えば性自認、性的指向、性表現、身体的性なんてのがあるな。性自認は自分の性をどう捉えているか、性的指向はどの性別を好きになるかならないか、性表現は服装とか髪型とか性をどう表現しているか、身体的性は外性器とか性染色体とか身体的特徴の性。聞きたいのはどれ?」
ぺらぺらといってのけた俺に、タケルは感心したようだ。
「なんかすごいな。そんなこと考えたこともなかった」
それに対して、ヤマトはややいらだったように切り返す。
「いや知らねーし。ぱっと見でわかるだろそんなもの。写真ねーの?」
あまり引っ張りすぎてもよくないと判断して、俺は2人に写真を見せた。
「この真ん中の子がミライちゃんなんだよな?」
タケルがそう聞いてきたので、俺は頷く。
「はー。しかしこの子がレズでビッチとは。人は見た目に寄らねぇな」
ヤマトが聞き捨てならないことを言うので俺は慌てて反論する。
「おい、ミライはレズビアンでもビッチでもないぞ。ちなみにレズってのは差別用語だからレズビアンもしくはビアンって言え」
するとやや訝し気にヤマトは答える。
「あ? だって、この左の子と付き合ってんだろ?レズ……ビアンてことになるだろうが。3人同時に付き合ってるってのも、それはもうビッチだろう」
「いや、レズビアンっていうのは自分のことを女性だと思っていて女性のことだけを好きなる人のことだから。ミライは俺のこともハルのことも好きだからレズビアンではないぞ。あとビッチじゃなくてポリアモリー」
断固たる意志をもって解説する。それに対してヤマトは反論をやめたが、恐らくは理解するのを諦めたのだろう。再び写真に目を落とす。
「あーしかし、このマヨって子はすげー美人なのにもったいねーな。胸はないけど。こっちはレズビアンってことだろ?」
そう聞いてくるので、俺は慎重に言葉を選びながら答える。
「いや、マヨはレズビアンじゃない。詳しくはアウティングになるから言えないけど」
すると今度はタケルが食いつく。
「アウティング?」
「本人の同意を得ずにジェンダーとかセクシュアリティとか秘密を暴露すること」
そう解説すると、タケルはふむふむと頷いていた。ヤマトはというと、そんなことはどうでもいいといった感じで盛大にため息をつくと、俺に語り掛ける。
「あのさぁ。よくわかんないけど、なんでこんな面倒なことに首突っ込んでんの?」
「面倒なこと?」
俺がそう聞き返すと、ヤマトは諭すように言う。
「いやだからさ。ポリ……何とか? ジェンダー? セクシュアリティ? こいつらには重要なことなのかもしれないけど、お前は普通なんだからさ。世の中の半分は女なんだぞ? もっと楽に付き合えるやつ探せよ」
世の中の半分は女なんてことはない、と反論すべきなのだが。それよりも何よりも、そんなことは考えたこともなかったことに驚いた。うまく付き合っていけるのか不安だったけれど、とにかく環境に慣れるのに必死で、勉強するのに必死で、やめるという選択肢が浮かぶことがなかった。今更ながらにそんなことに気づいた。
「男か女か? そんな簡単な質問にすら答えられないのだるくね? レズじゃなくてレズビアンとかそういう言葉狩り? いちいち気にしてたら疲れるだけだろ」
俺が黙っているのをいいことに、ヤマトはさらに畳みかける。
「お前、顔は悪くないし、今までも割と選びたい放題だっただろ。俺はお前のためを思って言ってるんだぜ?」
『俺のため』。その言葉を聞いたとき、妙に納得した。
「おい、ヤマト」
タケルが見かねてたしなめてくれるが、俺はにっこりと笑いながら答えた。
「ありがとうヤマト。お前が俺のことを心配してくれてるんだったら嬉しい。だけど、俺は今の俺を気に入ってる。そりゃあTVとか友達との会話とか、そういう日常の中にまぎれてる表現にいちいちモヤっとするのは大変だし正直疲れる。でも、これがミライたちが抱えている痛みなんだとしたら、やっぱりそれを分かち合いたい。一度気付いてしまったら無視なんてできない。傷つけるより傷つくことを選びたい。無知なまま誰かを傷つけるよりも、ちゃんと勉強して、一緒に傷ついたり慰め合ったり現状を変える努力をしたい。そう思うよ」
目を見てはっきりとそう告げる俺に、ヤマトは言葉を詰まらせるとうつむいた。俺は知ってる。ヤマトは悪い奴じゃない。それは中高ずっとつるんできた俺がよくわかっている。ヤマトは無知なだけなんだ。ミライたちと出会う前の俺と同じように。さっきの言葉だって、きっと俺のことを本当に心配して言ってくれたことだ。それがとても嬉しいから、これは善意だと思う。コウも、きっと同じように思ってるんじゃないか。そう思わずにはいられなかった。
「はぁ。ま、お前がいいならいいけど」
ヤマトは軽くため息をついた後にそう言って、またジョッキをあおった。
その後もたわいのない話をして、本日はお開きとなった。ヤマトは相変わらずだったけれど、ほんの少しだけ、発言をした後に俺の反応を伺うような時があった。俺はその時、問題ない表現なら頷くし、気になる表現の場合はそっと諭すようにした。全部は無理でも、ちょっとでも気にしてくれたらという俺の目論見はうまくいったと言えるのではないだろうか。
「……俺もちょっと勉強してみようかな」
駅へと向かう道の途中、タケルが俺にだけ聞こえるように言った。
「……いい本紹介するよ。」
俺もタケルにだけ聞こえるようにそう言うと、タケルは黙って頷いた。
来週のハルの誕生日パーティーは荒れるような気がする。そんな予感を覚えつつも、今日だけは、小さな進歩に祝杯をあげたい。
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