第23話 留学

「へぇ、ハルは留学か」


 そんな話は一度も聞いたことがなかったけれど、確かにマイペースなところやおおらかだけど言うときは言うところなどは海外の気質にあっているのかもしれない。


「いつから?」


 そう尋ねると、ハルは淡々と答えた。


「今年の秋から最低1年は行こうと思ってる。北欧で福祉の勉強がしたくて」


 やはりハルもしっかり将来のことを見据えていたのだと知った。しかし北欧とはまた遠いところを選んだものだ。俺も詳しくはないが、確かに北欧は福祉大国とも呼ばれているし、そっちの方向に進みたくて勉強するなら留学というのは悪くない選択肢なのかもしれない。


「バイトでお金も貯めて、現地語もずっと勉強してた。後は行くだけ」


 さらに話を続けるハル。こちらもかなり前々から準備していたということがわかる。本当に俺とは意識が違う。


「……それ、いつから考えてたの」


 そう問いかけるミライの声は震えていた。驚いてミライの方を見れば、明らかに動揺し、戸惑っている。


「高校生の時かな。本当は大学から向こうに行きたかったけど、コウのこともあったし、親を説得するのも骨が折れそうだったからさ」


 その答えにミライは絶句する。2人の様子を見ていて、直観的に理解した。ハルはミライにこのことを相談すらしていなかった。最低1年は離れ離れになるというのに。




「ミ、ミライ」


 見ていられなくて思わず声をかける。しかしミライは俺には目もくれず、ハルに質問を投げかける。


「コウはこのこと知ってるの?」


 自分より先にコウには話していたのかと、そういうことを問いただしているようにも聞こえる。だけど、多分そうじゃない。ミライはコウを心配しているのだと思う。ミライたちと関係を深めていく中でなんとなく見えてきた関係性。コウは、ハルに依存している。そしてハルもなんだかんだコウを優先しているように見えるのだ。現に大学選択の理由の一つにコウをあげている。3人の間に存在する微妙なバランス。その理由を知るときがいつか来るのだろうか。


「コウにはまだ言ってない」


 ハルの態度は一貫していた。妙に落ち着いていて、うっすら笑みすら浮かべている。きっとこういう反応が返ってくることはわかっていたのだろう。


「なんで?」


 そんな、大事なことを。言外にそう言っているのがわかった。


「コウがまだ、ユウに話してないから」


 すると突然俺の名前が出てきて動揺してしまう。その一言は、俺を攻めているようにも感じられて、ぐさりと俺の心に突き刺さった。


「ユウは関係ないでしょ? これは私たちの問題じゃない」


 ハルの言葉に納得できないのか、ミライが語気を荒げてそう言った。対してハルは全く動じていない様子で応戦する。


「関係大有り。コウはそろそろ自立すべき。せっかくミライがマジョリティを連れてきたんだからさ、そのチャンスを生かさないと」


 やれやれと言った様子でそう語るハル。


「な、なに――」


「ふざけんな!」


 ミライが何か言いかけた気がするけれど、黙って聞いていられなかった。


 ずっと、頑張ってきた。ミライとハルが、そう望んだから。期待に応えたいと思って、必死にコウとの距離を縮めようと、信頼してもらおうと努力した。


 善意とエゴの狭間で苦しんで、それでも相手のためを思って憎まれ役を買って出る。3人の関係が少し妬ましくて、でもそれ以上に憧れた。


 人が人を想う素晴らしさを肌で感じられていたのに。


 全部、ハルの身勝手な理由だったのか。依存されているコウから解放されたい。そんな理由だったのか。俺がマジョリティであることに苦しんでることも知らないで。


 そう思うとはらわたが煮えくり返って、自分を抑えることができなかった。


「お前勝手すぎるよ。そんなに前から計画してたなら一言伝えるべきだったんじゃないのか。ミライとコウの気持ち考えろよ!」


 そう叫んだ瞬間。視界に入ったハルの顔は悲しげに笑っていた。それで気づいた。ハルはきっと、いや絶対に、身勝手な理由でこんなことをしたわけではない。


「あー、悪いけど、俺この後バイトだから。とりあえず、まだコウには言わないでね」


 そう一方的に言うと、後ろ手にヒラヒラと手を振りながらハルはカフェを後にした。




「ユウ、大丈夫?」


 ミライが俺に声をかける。俺は黙って頷いた。

「あの、ごめんね。なんか巻き込んじゃって」


 申し訳なさそうにするミライ。


「巻き込まれてない。俺はもう関係者だから」


 そんなミライに、少しぶっきらぼうだったかもしれないけれどそう言った。


「うん」


 その時ミライがどんな表情をしていたのか、俺は見ることができなかった。

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