第三章 蕾は膨らみ、花は咲く

第22話 進路

 季節は春。俺たちは無事に進級し、大学3年生になった。麗らかな午後の日差しを浴びながら、カフェでコーヒーブレイクとしゃれこむ。


「春だねぇ」


 のんびりとした口調でそう言いながら、春限定という桜味のクッキーをほおばるのはミライだ。


「ん? 呼んだ?」


 お決まりのセリフでボケるのはもちろんハルである。


「呼んだかもしれないねぇ」


 それに応じるミライはのんびりモードを解除することはなかった。ダメだこりゃといった感じで一つ息をはくと、ハルは俺に向かって話しかける。


「ユウは進路決まってる?」


 大学生最大の関心事の1つ、進路選択の波がじわりじわりと迫っているのだった。




「唐突だな」


 そう言ってコーヒーを一口。進路についてはぼんやりと考えたことはあるが具体的なことは何もしていない。いや、正直に言おう。まだ何も考えたことすらない。


「そうかな? 自分たちも3年生になったわけだし、夏にはインターンも始まるみたいだし? 考えておいて損はないと思うけど」


 春風によって運ばれてきた葉っぱをいじりながらハルは言った。どこかふわふわとしていて掴みどころのないハルだが、将来のことを割と真剣に考えているんだなと意外に思った。


「ミライはねぇ、公認心理師の資格をとりたいから院に行くつもりだよぉ」


 ミライはのんびりした口調は崩さずに、しかし内容はかなりしっかりとしたことを言った。そういえば以前相談に乗ってもらったときも、そのようなことを話していたなと思い出す。


「そういえば前にもそんなこと言ってたけど、院に行かないと取れないものなのか?」


「うん。実務経験を積んでも取れるけど、就職するよりはまだもう少し勉強もしたいなぁって思って」


 既に勉強を始めているということは、もっと前から準備をしていたということになる。実はかなり計画的に将来を見据えて学生生活を過ごしていたのだということに気づいた。


「なんかすごいな。ちゃんと考えてて」


 素直に感心してしまった。


「まあ、公認心理師って、そもそも4年制大学で指定の科目を履修することが条件になってるからね。わざわざ外部受験してここに来たのだって、公認心理師を見据えてだし」


「え⁉ マジ?」


 それは知らなかった。


「うん。私たちのいた学校って大学付属だもん。マヨちゃんはそのまま進学したけど、コウも私も付属の大学だと学びたいことが学べないから外部受験したんだよね」


 さらっと言ったミライだったけれど、つまりは高校生くらいの時から真剣に将来のことを考えていたということになる。俺はというと、正直学びたいこと云々というよりは、偏差値となんとなくのイメージ、憧れみたいなもので大学を決めてしまったから、なんだかそんな自分がちょっと恥ずかしくなった。


「せっかく楽して大学に行ける学校を選んだのに、そうしなかったんだな」


 ついちょっと捻くれた言い方をしてしまう。


「流石に小学生の時にそこまで考えていたわけじゃないし、どちらかというと両親の意向? でも、高校生の時にハルに再会して、色々考えたんだよねぇ」


 しかしミライは素直に答えてくれた。確かに小学生の頃から明確な将来設計を持っている方が珍しいだろう。それにしても、ミライの進路選択にハルが関わっていたとは。改めてハルの存在の大きさを感じてしまう。


「そういえば、前から気になってたんだけど、高校生の時に何があったんだ?」


 すると、俺たちのやり取りを黙って見ていたハルが答えた。


「何がって?」


「んー、小学生の時に仲が良かったとしても、中学の間は疎遠だったんだろ?偶然再会したにしても、仲がそこまで進展するものかな、と」


 そう尋ねると、2人はしばらく考え込んだ。そんなに難しい質問をしてしまっただろうか、と内心焦り始めたころ、言葉を選びながらハルが答えてくれた。


「自分がケーキ屋でバイトしてて、ミライがたまたま客として来た時に再会したんだよね。それでまあ、その、コウは大丈夫かなと思って話を聞いたりしてさ」


 その時、2人が言いにくそうにした理由がわかった。俺はまだコウから正式にカミングアウトを受けていない。だからきっとこれ以上のことは話せないのだ。


「あ、そうなんだ。悪い、なんか話脱線させたな」


 そう言うと、ちょっと2人がほっとしたように見えた。俺がもっとみんなと関係を深めたいと思うなら、この問題は曖昧なままにはできない。コウともっと親密になるにはどうしたら良いのだろうか。そんなことを考えながら、話題をもとに戻す。


「公認心理師がどういう資格なのか具体的にはわからないけど、カウンセラーの資格なんだろ? ミライは向いてると思う」


 すると、飛び切りの笑顔を浮かべるミライ。


「本当!? やったぁ!」


 手を叩いて喜ぶミライに、ハルも優し気な笑顔を浮かべている。


「俺もミライは意外に向いてると思う。自分の感情を抑えないといけないこともあるだろうけど、ミライは人の心に寄り添えるし」


「意外は余計だよ!」


 若干シニカルに笑うハルと頬をぷくっと膨らませるミライ。仲睦まじい二人を見ていても、嫉妬どころか心地よさを感じている。俺は少しだけ自分の成長を実感した。


「そうそう、それでユウは何か考えてるの?」


 すると、ミライが俺に話題を振ってくれる。しかし、俺が返せるものは何もない。


「残念ながらまだ何も考えてないんだよな。院に行くつもりは全くないから就職ってことになると思うんだけど」


 別に研究や勉強がしたくて大学に来たわけではない。進学校で受験するのが当たり前だった。その流れに乗っただけで、目的意識なんてなかった。大学に入ってからも、授業は単位をとること自体が目的になってバイトやサークルに明け暮れる日々。むしろミライたちと出会って自分の無知を知ってからの方が意欲的に勉強していたと言えなくもない。必要に駆られることこそが物事を推進する原動力なのだろう。


「じゃあ、一緒に考えてあげる! そうだなぁ、ユウは先生とか向いてそう!」


 無邪気に笑うミライはとてもかわいいが、俺はそれを否定した。


「いや、俺そもそも教職取ってないし。それに学校の先生って激務だろ? 親とかうるさそうだしなぁ」


 完全にイメージで語っているけれど、そんな話はよく聞く。何よりこんないい加減な先生に教えらえる生徒は可哀相だろう。


「別に学校の先生じゃなくてもインストラクターとか塾の先生とか」


 しかしなおごり押ししてくるミライにどう答えようかと思案していると、なんとハルの援護射撃が飛んできた。


「確かにユウは面倒見いいし、気さくで人当たりもいいから合ってるんじゃない?」


「だよねぇ! ミライはユウが先生だったら学校に行くの楽しくなりそうだもん。先生と生徒の禁断の恋とか、いいよねぇ」


 ミライの頭の中にはコンプライアンスという言葉はないらしい。このままではミライの妄想劇場が始まってしまいそうで、慌てて俺は話題を変えることにした。


「そんなことよりハルはどうなんだよ?」


 そもそも話題を振ってきた張本人なのだから何か考えているだろう。すると、ハルはゆっくりコーヒーを味わってから答えてくれた。


「実は留学しようと思ってる」

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