第20話 相談
夕食の後、ミライと一緒に後片付けをした。作ってもらったからそれくらいは俺が、と言ったのだが、2人でやった方が速いとミライが手を貸してくれた。食後のコーヒーを淹れて、当たり障りのない話をする。内心、いつ本題が出てくるかと静かな焦りを抱えながら。
「じゃあ、そろそろ私は帰ろうかな」
「え、帰るの」
おもむろにミライがそう言ったので驚く。
「うん? 泊ってほしいの?」
すると、いたずらっぽく笑うミライに戸惑いを隠せない。ミライは一体何をしにここへ来たのか。
「いや、何かあるから来たんじゃないのか?」
スルーしようと思えば出来たけれど、ミライに気を使われたままなのは嫌だった。
「え、パートナーの家に行くのに会いたいからじゃダメなの?」
心底驚いたように言うミライに、もしやミライが今日ここへ来たのは偶然だったのかと、一瞬そんな考えがよぎる。
「でも、ユウに何かあるなら残ってもいいよ」
しかしその言葉から先程の驚きの方こそやはり演技だったのだろうと推測した。そしてあくまで選択権を俺に譲ってくれることに気恥ずかしさと嬉しさがこみあげた。かっこ悪くてぐちゃぐちゃでどうしたら良いのかわからない自分をさらけ出すのは勇気のいることだけれど、今はミライに話を聞いてほしいと思った。
「悪いけど、もう少し残ってくれないか」
そういうと、ミライは了解、と短く答えてコーヒーのおかわりを淹れてくれた。
2人分のコーヒーカップから湯気が立ち、香ばしい香りが漂う部屋の中。俺とミライは向かい合わせに座って話を始めた。
「今日、コウと2人でLGBTQ+の交流会に行ったんだ。本当にいろんな人がいて。その中でショウってやつが声をかけてくれて、他にフジとアカリってやつと4人でジェンガをしながら話をした。最初は取り留めのない話をしてたんだけど、俺が『カミングアウトしたことあるか』ってみんなに聞いて。そしたらショウが『自分はオープンリーゲイだ』と言って。それに対してフジとアカリはクローズドみたいで、アカリがクローズドならではの苦労とかを聞かせてくれたんだ。だけど、ショウがちょっとアカリに問題発言をして」
その時のことを思い出して少し胸糞悪くなり、顔をしかめる。
「フジがたぶん、それで気分を害して席を立って。その後アカリが自分はアロマンティックアセクシュアルだと話してくれたんだけど、またしてもショウが『そんなのあり得ない』ってアカリを否定するようなことを言って」
そこで言葉を区切った。ミライの反応が気になって、ちらりと顔色を伺うと、ミライも悲しそうな悔しそうな表情を浮かべていた。マヨのパートナーであるミライは俺よりもさらに憤りを覚えるのかもしれない。
「俺、それがしんどくて。アカリにも席を立つように言ったんだ。アカリはお礼を言ってくれたけど、もっと前に仲裁に入るべきだったってふがいなくて
」
すると、ミライはそっと優しく語りかけてくる。
「ユウは自分のことをふがいないって思ったんだね」
「……うん」
「確かにもっと前に仲裁に入ることはできたかもしれないけど、アカリさんはその場から離れることが出来て、お礼を言ってくれたんでしょ。できなかったことを嘆くよりできたことを糧にしてもいいって私は思うよ」
その言葉に少しだけ救われた気がした。減点方式ではなく加点方式。
「……ありがとう。実はまだ話は終わらなくて、その後ショウと俺の2人だけになったわけだけど……」
そこから先は本当に言いづらくて言葉が詰まった。ショウの言動自体も、それを俺がどう捉えたのかということも、とてもショッキングな出来事だった。話さなければと焦る気持ちと話したくない気持ちが混在して頭がパンクしそうになる。
「ユウ。話したくないことは無理に話さなくていいんだよ。私はユウを困らせたいわけじゃないから」
黙り込んでしまった俺に、ミライはどこまでも寄り添ってくれた。その態度に安心して、俺はゆっくりと深呼吸すると、言葉を続けた。
「話したくないわけじゃないんだ。ただ、本当に混乱していてまだ整理できてない。だから多分うまく話せないと思う」
すると、ミライはゆっくりと頷いてくれた。そんなミライに後押しされて、俺は話を再開した。
「ショウがコウのことを聞いてきて。コウとは会場についてから別行動してたんだけど、どうやらコウのこと、俺のパートナーと勘違いしていたみたいで。その時俺、ゲイと間違えられたんだって思ったら……それがすごいショックで。それからショウがアプローチをかけてきたんだけど、それも気持ち悪く思って。トイレに逃げようとしたら腕を掴まれて、同性だとどこにも逃げ場がないんだって思ったらすごい絶望的な気持ちになって」
話しながら、自分の体が震えていることに気づいた。ミライを信じている一方で、こんな話をしてミライに失望されたら、拒絶されたらどうしようと、それが恐ろしくてたまらなかった。言葉を続けることもミライの顔を見ることもできず、ただうつむいた。
「……ごめん、ユウ」
時間にしたらほんの数秒のことだったと思うけれど、黙ってしまった俺にミライが謝罪の言葉を述べた。なぜミライが謝ったのかわからない。でも、その声が震えているのはわかった。
「私、ユウがそんな思いをしてるって思ったら、すごくつらくて、そのショウって人許せない」
「……幻滅、しないのか」
そう発した俺の声も震えていた。
「するわけないでしょ!!」
ミライの大声に思わず顔をあげると、今にも泣きそうなミライの顔が目に入った。
「あーもう! 本当に辛いのはユウなのに! 私が泣いちゃうじゃない」
そうやって目を抑えて悔しそうにするミライを見ていたら、さっきまでの恐怖はどこかに行ってしまった。
「いや本当に。なんでミライの方が泣いてんだよ」
「う~だからごめんって」
笑いながらそう言う俺にグスグスと鼻をすすりながらミライが答えた。
ミライが落ち着くのを待っていると、ふいにミライはパンパンと軽く両頬を叩いて気合を入れなおした。
「ふぅ。お待たせしました。それで話の続きだけど、ゲイに間違えられたことにショックを受けたのは、なんでだと思う?」
急に話を再開することにやや面食らいながら、ミライの質問に応える。
「う~ん、やっぱり自分にまだ偏見があるからだと思う」
「どんな偏見?」
「……ゲイは恥ずかしい、みたいな。ゲイだと言われることは、侮辱されたってことだと思ってしまうんだと思う」
そこまで話して、自分がこれまで生きてきた中で、ホモやオカマといった言葉が、そういう侮蔑的な文脈で未だに使われている場面に幾度となく遭遇してきたのだということに気づかされた。
「これは私の偏見かもしれないけど、ユウは男子校出身だし、ホモソーシャルな世界に触れることも多かっただろうから余計にそう思いやすいんじゃないかな?」
それを見事に言い当てられて、改めてミライを尊敬した。
「脳は膨大な情報を処理するために、学習して無意識でも色々な情報を処理できるようにしているから、それがアンコンシャス・バイアス、無意識の偏見になるんだよね。ショックを受けたのだって、多分深く考えるより感情が先行したんじゃない?」
確かにあの時、ショウの意図するところがわかった瞬間、カッと頭に血が上った。
「でも、少なくとも今はショックを受けたことを客観視できていて、それに落ち込むってことは、今後はそう思わないようにしたいって思ってるということでしょ?」
俺が黙って頷くと、ミライもそれに合わせて頷いた。
「なら、まずはユウ自身が自分の思考の特性を理解して、ゲイに間違えらえれてもショックを受ける必要はないってことを新しく学習していけばいいんじゃないかな」
「なるほど」
無意識の偏見に気づくのは無意識であるがゆえに難しいのかもしれないけれど、自分の思考の特性を理解するというのは、意識すれば出来るのかもしれない。
「あ、でもね。今回は違ったと思うけど、侮辱の意味で使ってくる人も未だにいるんだから、そういう人には怒っていいと思うよ」
ミライが付けたすかのようにそう言った。
「もちろん、怒るのは侮辱したことに対してね。後、そういう文脈で使うのはよくないってことを指摘できるとなおいいよね」
付けたしにしてはやや要求が多いような気もしたが、俺は黙って頷いた。
「あと、気持ち悪いとか絶望的な気持ちになったってことだけど」
ミライはそう前置きすると深く息を吸い込んだ。
「そんなの当たり前じゃない!」
本日2回目の大声である。
「もう本当に信じられない。私のユウにそんなことをするなんて!」
机をバンバンと叩きながらミライは憤る。あまり音を立てるのはご近所迷惑なので控えていただきたいのだが。
「ミライ、落ち着け。そんなに大したことはされてないぞ」
「されてるよ! 逃げようとするくらい嫌だったのに腕を掴まれたんでしょ⁉ 最低! 最悪!」
自分よりも取り乱している人を見るとむしろ冷静になれるというのは本当らしい。カンカンに怒っているミライに対して、俺は落ち着きを取り戻した。
「まあ、気持ち悪いって思ったのも、さっき言ってた無意識の偏見なんだろうな」
そう言うと、未だに怒りは胸の内にくすぶっているようだったが、少し落ち着きを取り戻しながらミライは言った。
「う~ん、それもあるかもしれないけど、別の理由もあると思う」
「別の理由?」
「自分が全く好意を抱く対象じゃなかった人から急に好意を抱かれているって気づいたら、少なからず戸惑うし、気持ち悪いって思うこともあると思うよ? たとえ異性同士だったとしても」
「う~ん?」
異性だったら誰でもうれしいと思うのだが。というか、どちらかと言えばそのパターンが多かった俺からするとまるでピンとこない。
「そうだなぁ。こういう言い方は別の差別意識につながるから例として出すのははばかられるんだけど、例えばすごく太っているとか年齢が離れているとかそういう人から好意を向けられたらどう?」
やや困った感じでそう尋ねてくるミライに想像を働かせてみる。いわゆるおばちゃんと呼ばれるような人たちからアプローチをされて腕を掴まれたとすれば。
「うん、結構気持ち悪いし絶望的な気持ちになるかもしれない」
「でしょ? ……っていうのも本当に例に出しちゃって申し訳ない気持ちになるけど、とにかく、差別意識や偏見だけじゃないと思うってこと」
そうか。むしろ差別意識や偏見を抱いてはいけないと思いすぎていることで、別の可能性に気づけなかったのかもしれない。
「ただ、強いて言うならこれからは、誰からでも好意を向けられることがありうるってことを頭のどこかに入れておいてほしいかも。好きだって思っていることに気づいてもらえないのって寂しかったりするから」
そう告げるミライの顔に一瞬陰りが生じる。もしかしたらミライも過去にそんな経験があるのかもしれない。勇気を出して告白しても、冗談だと思われたりスルーされたり友情だと思われたり。そうやってなかったことにされた恋が。
ミライたちと関係を続けて半年になるのに、ショウが俺に好意を抱いているかもしれないなんて少しも考えなかった。もちろん『あいつは俺に惚れてる』なんて誰に対しても思うのは逆に自意識過剰にあたるかもしれないが、そもそも意識することすらしないのはまた別の問題だ。
「わかった。今度から気を付ける」
俺がしんみりしながらそう告げると、ミライははっとした様子で早口にまくしたてる。
「あ、でも基本的にユウはこの件については性暴力の被害者だと思うよ! 好意を抱くのは素晴らしいし見る目があるけど嫌がっているのを無理矢理ってのはダメ、絶対!」
ぶっぶーという効果音でも出そうな感じで両手で大きな×印を作るミライ。しかし、俺の意識は別の次元へシフトしていた。性暴力。その単語にカナタの顔が浮かんで、また心が重くなるのを感じた。
「どうかした?」
また様子が変わった俺に、ミライが困ったような顔で尋ねてくる。
「ミライはさ。ALLYってどんな人だと思う?」
神妙に尋ねる俺に、ミライは一瞬きょとんとした顔をして考え込む。ミライの返答を待ちながら、俺も改めてALLYとは何なのか、その問いに対する答えを探して思考の海に漕ぎ出した。
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