第17話 シミ
アカリを無事逃がすことに成功した。あとは俺もこの場を離れれば良い。
「連れってどいつ?」
しかし、ショウはめげずに俺に話しかけてきた。もしかしたらなぜフジとアカリが席を立ったのか理解できていないのかもしれない。もしそうだとしたら相当鈍感と言わざるを得ないだろう。
「えっと、あそこで話してるやつ。ジャケット来てて背の低い方」
先ほどまでのやり取りを振り返っても、ショウに悪気があったようには見えなかった。当事者だからと言って、必ずしも知識があるとは限らない。一口にLGBTQ+と言っても、その在り方は本当に多様だ。ゲイがレズビアンやバイセクシュアルやトランスジェンダーに詳しいとは限らないし、同じゲイでも立場も環境も思考も様々だ。むしろわかったつもりになっていることも多いのかもしれない。
「ふーん、いつから付き合ってんの?」
ショウはコウをジロジロと見ながら聞いてきた。
「えーっと、9月? いや、10月くらいかな」
変なことを聞くやつだと思いながらも答える。何をもって付き合いが始まったと定義するかによるが、初対面でカンカンにコウを怒らせた後、仲直りをした段階と考えるとそれくらいになる。
とその時、当時の出来事がフラッシュバックして俺は頭を抱えたくなった。今だからこそあの時の俺は本当にひどかったと認識できる。そしてそれに気づくと同時に、あの頃の自分がショウと重なった。俺も同じように無知で、同じように初対面のコウを傷つけた。もしかしたら、あの時ミライに導いてもらったように、今度は俺がショウを導く番なのかもしれない。
そんな謎の使命感にかられて、先ほどの発言の何が問題だったのか一緒に考えよう、と口を開こうとした、その時だった。
「ああいうのがタイプなんだ」
ショウはニヤニヤしながらそう言った。
「は?」
ショウの意図がようやく理解できたその瞬間、カッと頭に血が上った。しかしそんな俺には目もくれず、ショウは言葉を続ける。
「うーん、俺の趣味ではないな。むしろ俺はユウの方が好みなんだよね」
そう言って、ショウはジッと俺の瞳をのぞきこんでくる。俺は頭に上っていた血が一気に引いて、代わりに全身に悪寒が走るのを感じた。
「つまり、付き合って半年くらいってところだろ? そろそろ不満とか出てくる頃じゃないか?」
怪しく笑うショウが何だか別の生き物のように感じられて、嫌悪と焦りに冷や汗がでる。恐らく全身の毛は逆立って、鳥肌が出ているに違いない。のどが引きつってうまく声を出せずにいると、ショウはさらに畳みかけてくる。
「実はさ、声をかけたときからいいと思ってたんだよね。ユウもアカリを遠ざけたのはその気があったからなんじゃないの」
何を言っているのかわからない、いや、わかりたくない。
「良ければこの後2人で飲みに行かないか。とりあえず連絡先交換しよう」
そう言いながらショウがポケットからスマホを取り出すために目を逸らした。その瞬間、はじかれるように席を立つ。
「わ、悪いけどちょっとトイレ」
とにかくその場を離れたくて一目散にトイレを目指す。しかし、立ち去ろうとする俺の腕はショウに掴まれてしまう。
「なら一緒に行こうぜ」
そう、同性だとこの手は使えない。頭の中の比較的冷静な部分がそう告げて、絶望的な気分になった。
「あの、ユウさんですよね? ちょっと聞きたいことがあるのでこちらに来てもらえますか?」
その時だった。突然かけられる声。
「見てわからないか? 取り込み中なんだけど」
その声に、少しいらだった様子でショウが応じる。しかしその人は全く動じない。
「すいません、少し急ぎなんです」
強い口調で答えるその人の胸には、虹色のワッペンが輝いていた。
「あ……さっきの件ですよね。すいません、忘れてて。すぐ行きます」
俺はそう言って、バッと掴まれていた腕を振りほどいた。それに一瞬ショウはひるむ。一方、その人はそのわずかなタイミングを見逃さなかった。
「そうです、そうです、その件です。すいませんね、お話し中に」
そう言って、優しく俺の両肩に手を添えると、おそらくはバックヤードがあると思われる方に向かって俺を誘導した。
「どうぞこちらに座ってください」
通されたのは少し手狭な1室だった。もともと倉庫として利用しているのか、半分は段ボールなどの荷物で埋まっている。空いているスペースに丸椅子が2つ置いてあり、俺は勧められたその椅子に力なく腰掛けた。
「大変でしたね」
その人が優しくそう声をかけてくれた瞬間、やっと息が吸えるようになった気がして、無意識のうちに涙が頬を伝った。
「あ、あれ。なんで」
涙を流したのはいつぶりだろう。あまりにもかっこ悪くて慌てて服の袖で拭う。
「すいません、ちょっとびっくりして」
幸いにして涙はすぐに止まった。
「それくらいショックだったということですよ。ごめんなさい、助けに入るのが遅れて」
申し訳なさそうにいうその人のワッペンをもう一度よく見ると、そこにはカナタと書かれていた。
「いえ、本当に助かりました。ありがとうございました」
軽く頭を下げて礼を言う。別にアプローチをかけられて、少し手を掴まれただけ。ただそれだけのことなのに、どうしてこんなにショックを受けているのだろう。自分で自分がわからない。
「ちょっとお茶をとってきますね」
カナタはそう言って席を立った。
一人残された小部屋の中で、俺自身が静かに語り掛けてくる。
『自分に嘘をついても無駄だ。なぜショックだったのか、本当はわかっているだろう。』
その声はひどく冷たかった。
「くそっ!」
俺は悪態をついた。握りしめたこぶしによって爪が手に食い込んでもかまいやしなかった。そう、本当はわかっている。何にショックを受けたのか。
俺はゲイに間違えられたことにショックを受けたのだ。そして、ゲイを気持ち悪いと思ってしまった。
根深い自分自身の差別意識や偏見。気づきたくなかったそのどろどろとしたシミは、俺の意識にじっとりと広がっている。
『ミライを、みんなを理解したいなんて言って、本当はただの偽善者なんじゃないのか。』
俺自身がつきつけてくる言葉に、俺は反論できなかった。
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