第16話 悪夢の交流会

 会場に入るとすぐに受付があった。受付担当と思われる人物は、知り合いなのか、誰かと談笑している。そして見るからに、そう、恐らくはトランスジェンダーだと思われた。というのも、体つきは男性だが女性の身なりをしているからだ。長い髪にはカールがかかり、化粧が施された顔。フリルのたっぷりついた服が包む身体は、しかして男性の骨格である。


 それにちょっと面食らってしまったし、会話が盛り上がっているのでなかなか声をかけづらい。どうしようかと戸惑っていると、コウが平然とした様子で横から2人の会話に割って入る。


「あの、受付をしてほしいのですが」


 すると、こちらに気づいた受付係と思われる人物が、はっとした様子で答える。


「あぁ、ごめんなさい。気づかなかった。ちょっと話に夢中になっちゃって。事前登録はしていますか?」


 野太い声になるべく反応しないように気を付けながら、俺たちは登録情報を伝え、会費を支払う。


「ありがとうございます。ようこそ。ご利用は初めてですか?」


 その問いに2人して頷く。すると簡単にこの交流会のシステムを教えてくれた。会場自体は入退室自由で置いてあるドリンクや菓子類は飲み食べ放題とのこと。ゲームをするもよし、談笑するもよし、置いてある本を読むもよし。好きに過ごしてくれということだった。


「虹色のワッペンをつけているのがスタッフです。困ったことがあったら相談してね。トイレはあっち。喫煙所はないので吸いたかったらビルの外の喫煙所へどうぞ」


 流れるような説明を聞いた後に、裏面がシールになっている名札用の紙を受け取った。当日呼ばれたい名前を記入するのだという。ちらりとコウの名札を盗み見れば、『コウ』と記入していたので、俺も『ユウ』と記入した。


「では行ってらっしゃい」


 そう告げると、受付係の人は先ほどの人物との会話を再開した。よく見ると、その人も虹色のワッペンをしているので恐らくスタッフだろう。スタッフ同士がこんなところで談笑していて良いのか、と思わなくもなかったが、ゆるい運営スタイルなのだろう。俺たちはそのまま奥の方へと歩を進めた。


 会場は異様な熱気に包まれていた。何人かのグループ毎に、それこそゲームをしていたり語り合っていたりする。コウはまっすぐ、これまたトランスジェンダーと思われる人物へと近づいていった。恐らくは当事者同士で話がしたいのだろう。俺はなんとなくついていくべきではないだろうと察して、ひとまず飲み物でも飲もうとドリンク置き場へ向かった。


「一人?」


 ジンジャエールをコップに注いでいると、見知らぬ人物に声をかけられた。振り向くと、俺よりも背が高く引き締まった体をした見た目は男性の人物が立っていた。


「いや、連れがいる。でもそいつは別の人と話してて暇してるんだ」


 そう答えると、これからジェンガをやろうと思うが一緒にどうかと誘われた。断る理由もないので参加することにした。


「1人連れてきた」


 待っていたと思われる人物にそう声をかけて、誘ってくれたその人が席に座った。俺も手近な空いている席に腰掛ける。


「これで4人だね、ちょうどいいかな。初めまして、フジです」


 そう言ったのは、ちょうど俺の目の前に座っている人物。中世的な雰囲気だ。


「初めまして、アカリです」


 こちらは俺の左隣に座っている人物。見た目は女性。


「ショウです、よろしく」


 俺を誘ってくれた人物がそう言った。


「よろしくお願いします、ユウです」


 最後に俺も名乗って、ジェンガが始まった。




 たまたまではあるが、俺から見て左から順に見た目は女性、中世、男性が並んでいる。でも、見た目なんて本当にその人のほんの一部、氷山の一角でしかない。コウのように完全に男と見分けがつかない人もいるし、この会場の受付係のような人もいる。本人が自分をどう認識しているかと、見た目、身体的特徴は必ずしも一致しない。


 アカリと名乗ったこの人だって、もしかしたら自身のことを男性だと思っているかもしれないし、女性だと思っているかもしれないし、あるいはそれ以外と思っているかもしれない。性自認は目に見えない。


 また、誰を好きになるかならないかという性的指向のことに言及すれば、このショウと名乗った人も、女性を好きなるかもしれないし、男性を好きになるかもしれないし、それ以外を好きなるかもしれないし、女性も男性もそれ以外も好きになるかもしれないし、誰のことも好きにならないかもしれない。


 知識をつける前の俺だったら、このアカリって子は彼氏がいるんだろうかとか、フジってやつは男か女かどっちなんだとか、そういうことを考えて、もしかしたら何の遠慮もなく本人に問うていたかもしれない。ショウは俺と同じ男なのだから、俺の話に共感するはずだとか、そういう勝手な期待をしていたかもしれない。


 そう思うと、知識がないというのは本当に恐ろしいことだ。ハルが以前言っていた、『叩いたら痛いんだってことを知らないと、悪意なく叩いちゃうでしょ。』というセリフ。まさにそれだ。


 自分が投げているのはボールだと思い込んでいて、でもそれはもしかしたら手榴弾かもしれない。それに対して相手が反撃してきたとき、こっちはボールを投げたのになぜ攻撃してくるのだ、非常識な奴だ、と思ってしまうかもしれない。でもたいていの場合、むしろずっと手榴弾を投げていても、相手はボールを返してくれるから手榴弾を投げていることに気づけないのだ。どんどん相手はボロボロになっていくというのに。


 その相手がミライになるかもしれないと思ったら、やっぱり勉強しなければならないと思えた。相手が誰であっても勉強しなくてはと思えたら、それは美しいことなのだろうけれど、俺はそこまでできた人間じゃない。とても利己的な理由で、今、俺はここにいる。




 何度かジェンガを繰り返しつつ、取り留めのない話をする。しかし、俺の目的はジェンガでも世間話でもない。知識と経験を得るための参加。場も何となく打ち解けてきたところで、俺は勇気を出して問いかけた。


「あの、もし話したくなかったらいいんだけど、カミングアウトってしたことあるか?」


 すると、ショウが即答する。


「あるよ。というかむしろ俺はオープンリーゲイだから」


 オープンリーゲイ。ようはゲイであることを全く隠さずに生きているということ。これもある意味カミングアウトだと思うが、全員動じていない。流石ここに来ているだけのことはある。俺はというと、自分でもびっくりするほど心に波風が立たなかった。驚かなかったのはもちろんのこと、別にそうだろうなと確信を得ていたわけでもなく、ただ、まあそういうこともあるだろうと思えた。本当にすごい進歩だと思う。


「へぇ、そう。自分は積極的にオープンにはしていない。というか、オープンにしないといけない場面に遭遇することがあまりないかな」


 そう答えたのはフジだ。


「本当に? トイレ使う時とか恋愛の話になった時とかどうしてるの?」


 と、アカリが多少驚いた様子で尋ねた。


「トイレは別に。そもそも誰でもトイレは誰でも使っていいんだから堂々と使えば見咎められることなんてないよ。恋愛の話だっていくらでも切り抜けようはある。別に自分の性自認や性的指向を明かさなくてもさ」


 そうさらっと答えるフジ。実際、コウからは正式にカミングアウトを受けていないけれど付き合いを続けられている。そもそも、あの駅の事件が起きるまでは何の疑いも持っていなかった。


 そこでふと気づく。そういえば、ミライにしてもハルにしてもマヨにしても、性自認については聞いたことがなかった。ミライとマヨはなんとなくだが性自認は女性なのではないかと思うが、ハルはどうなのだろう。


 そんなことを考えていたら、アカリがため息交じりにこぼす。


「まあ濁すとか誤魔化すとかはできるけど。でも、私はそういうのに罪悪感を覚えちゃうし、人によってはすごいぐいぐい問い詰めてくるから本当にしんどい」


「ぐいぐい?」


「ぐいぐい。『彼氏いないの?』から始まって、『それはやばい』とか『でも本当は欲しいんでしょ?』っていう自分本位な価値観の押し付け。そして『紹介するよ、どういう人がタイプ?』という善意の押し売り」


 ほとほとげんなりとした様子で答えるアカリが痛々しい。


「まあ、自分はそういうタイプとはそもそも付き合わないし、そんなことされたら縁を切る」


 それに淡々と答えるフジは、初めて会った頃のコウにどこか似ていた。壁を作って人の出入りを完全にショットアウトしている人間のそれだ。


「もちろんそうできればいいけどね」


 アカリは力なく笑った。ショウのようにオープンにすることは難しくて、かといってフジのようにドライにも生きられない。より生きやすい世界を目指して歩く終わりなき旅。


「俺はオープンにしてから生きやすくなったけどな。多様性の時代だからさ。面と向かって気持ち悪いとか差別発言する度胸のあるやつはそうそういないぜ? むしろどうしたらいいかわからない感じでおどおどするのを見るのは笑える」


 あっけらかんとそうのたまうショウだが、アカリもフジも微妙な顔をしている。


 『多様性の時代』。つい使ってしまいがちだけれど、そもそも人権に時代は関係ない。何時代だろうと人権は尊重されるべきで、時代を免罪符に思考停止するのではなく、人権のために何をするべきかという本質を考える必要がある、とミライとハルが話しているのを聞いたことがある。


 そんな知識はないのかもしれないから、その言葉自体を使うのは仕方ない。けれど、少なくともアカリの苦しみの背景を無視して自分のやり方を押し付けるのは、まさにアカリの話に出てくる人物と何ら変わらない。


 それを指摘するべきかと考えていると、ショウは更に追い打ちをかけるように言った。


「アカリも彼女の写真の一つでも見せつけてやればいいんだよ。きっと相手は黙り込んで、二度と同じ話はしないって」


 その瞬間、フジは明らかに不機嫌になり、アカリは苦笑いを浮かべた。すると、ショウは申し訳なさそうに、しかし火に油を注ぐことを言ってしまう。


「あ、悪い。まだ彼女いたことない?」


「あの、ごめんなさい。私レズビアンじゃないの」


 申し訳なさそうに答えるアカリだが、もちろんアカリには全くもって悪いところなどない。


「え、レズじゃない? じゃあアカリのセクシュアリティって何?」


 一億歩ゆずってアカリがレズビアンだと勘違いしたことに目をつぶったとしても、『レズ』という差別用語に加えてまさかのカミングアウトの強要。一昔前の自分を見せつけられているようで、俺は頭が痛くなった。


「ちょっと飲み物とってくる」


 フジはそう言って席を立った。その時俺はフジが戻ってくることはないだろうと直感した。俺たちを置いていくのはちょっと薄情じゃないかと思わなくもなかったが、俺たちは初対面で助ける義理もない。あくまで悪いのはショウで、フジが責任をとることでもない。自分の身を守ることは決して悪いことでも間違っていることでもないのだ。


「えっと、私は実はアロマンティックアセクシュアルなの」


 アカリはそう答えた。きっとアカリはこうやって、自分のことより他人のことを優先してしまうタイプなのだろう。そんな人物が、相手を困らせるためにカミングアウトするなんて真似は絶対にできないだろうと思った。


「それってなんだっけ」


 用語がわかっていないショウに、アカリは懇切丁寧に説明する。俺はアカリがこれ以上傷つけられることがないようにと見守ることしかできない。


「恋愛的にも性的にも誰にも惹かれない? そんなことないだろ」


 ショウが一笑に付す横で、アカリも静かに笑った。でも俺は知っている。その一言が、アカリをどれだけ傷つけているか。




「『まだ出会ってないだけ』って、一番よく言われる私たちを否定する言葉なの」


「『ない』ってことを証明するのは『ある』ってことを証明するより難しい」


「物語のハッピーエンドではよく男女が結ばれている。恋は素晴らしいとあまりにも言われすぎている。いつか自分も恋に落ちるのだと信じて疑わなかった。でも年を重ねてたくさんの人に出会って、それでも世間で言われるような恋に落ちることはなかった。ただの1人に対しても。それがどれほどの確立だと思う?むしろ『あなたには恋心がありません』って言われた方がしっくりくる」


「私はアロマンティックアセクシュアルという言葉に出会って、自分を肯定的にとらえることが出来るようになった。ずっと自分は異常なのだと思っていたけど、そういう特徴の人という、だたそれだけだと気づけた」


「なのに、『そんなはずない』って否定することを言われたら、そうじゃない自分は可哀相で異常な人だと突きつけられているように感じる」




「アカリ、あっちに置いてあったお菓子が美味しかったから取ってきたら? 数が少なかったから早く行った方がいいよ」


 いつかマヨが話していたことを思い出して、気付いたらそう言っていた。こっちの意図は丸わかりだろうし、まったくスマートではないだろうけれど、もう黙って見ていることはできなかった。


「……ありがとう」


 アカリはそう言って席を立った。その瞳がうるんでいたのが、せめて傷つけられた悲しみではなくこの場から解放される喜びであることを祈らずにはいられなかった。

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