第11話 涙のメタモア交流会

「コウと2人でご飯食べるのすっごく久しぶりだよね」


 ミライは明るく笑った。そこは2人が高校生の時分にはよく訪れた焼肉店だった。


「そうだな」


 コウは肯定すると、じっくりと育てたタン塩に舌鼓を打った。上質な脂がのったタン塩を、レモンの酸味がさわやかに包みこむ。


「うまい」


 この店に来ると必ず頼む定番メニューである。


「コウはさぁ、コンパ―ジョンて感じたことある?」


 残っていた突き出しのカクテキに箸を伸ばしながらミライが尋ねた。


「コンパージョン?」


「パートナーが自分以外のパートナーを愛していることを感じたときに生じる幸せな感情のこと。嫉妬の逆って言われているやつ。コウの場合はハルが私のことを愛しているんだろうなって感じたときにハッピーになったことがあるかどうかってこと」


 すると、コウはしばらく考え込んだ後にニヤリと笑った。


「そもそもハルがミライのことを愛しているのを感じることがほぼない」


 そのコウの発言に、ミライはぷくっと頬を膨らませた。


「ひ、ひどい! 真面目に聞いてるんだけど?」


 そんなミライの様子に満足げに笑うコウ。


「悪い悪い。逆にミライはあるのか?」


 すると間髪入れずにミライは答えた。


「もっちろん! ハルがコウを気遣ったり大切にしたりしているのを見ると、胸の中があったかくなって嬉しくなるよ。あぁ、ハルを好きになって良かったなぁって思うもの」


 その柔らかな笑顔は幸せに満ちていた。


「ふ~ん」


 一方で、コウの表情には暗い影が落ちる。ミライはそれに気づくと慌てて取り繕うようにまくしたてた。


「ま、まあ私はポリアモリーだからね。そういう風に感じるのかも。モノガミーの場合は嫉妬の方が多いのかもしれないよね。あ、これはもちろん私の偏見だけど。だからかな、ついユウの前ではハルやマヨちゃんの話はしないようにしなきゃって思っちゃったりね。最近はそう思うことも減ってきたというか、ユウの方からハルやマヨちゃんのこと聞いてくれたりとかね。もちろんコウのこととかも。だから自然に話ができるようになってきたっていうか。なじんできたのかも」


 それを黙って聞いていたコウの表情は変わらず硬いままだったが、会話を続ける意思はあるようだった。


「へぇ、2人で俺の話もするんだ。どんな?」


「え、う~ん、どんなって……」


 そこに突っ込まれるとは思っていなかったミライは言葉に詰まった。しかし、なんとか回答をひねり出す。


「あ、そうそう。これは言っていいのかわからないけど、ユウはね、初めてコウに会ったときドキッとしたらしいよ」


 ニヒヒといたずらっぽく笑うミライに対して、しかしコウの表情はより一層険しいものとなった。


「それ、どういう意味?」


 明らかに気分を害しているコウに戸惑いを隠せないミライ。


「え、どうって、そのままの意味だよ? コウはかっこいいなって、そう思ったんだって」


 先ほどの発言のどこに問題があったのかわからないミライは恐る恐るそう答えた。


「……」


 コウはしばしうつむいたまま黙り込む。そんなコウになんと声をかけるべきか逡巡するミライは、しかし沈黙に耐えかねて、残っていたナムルをそっと口に運んだ。短いような長いような微妙な沈黙が続いた後、はぁっとため息をこぼしたコウがおもむろに口を開いた。


「ハルとミライはさ、俺にどうしてほしいわけ?」


「え、どうって?」


 質問の意図がわかりかねて、ミライは問い返す。


「ユウと俺にどうにかなってほしいわけ?」


 さらに眉間にしわを寄せて尋ねるコウは、しかし卓上に残った肉を見つめていた。


「え、何それ? どういうこと?」


 なぜそんな質問をするのか、と本気で戸惑っている様子を見せるミライに、やっとコウは少し警戒心を下げた。


「いや、何もないならいいんだけど」


 そう言って、残っている肉を焼き始める。


「……ハルが何か言ったの?」


 ミライがそう問いかけると、トングを持つコウの手がピタッと止まった。


「そうなんだね」


「またハルが余計なおせっかいやいてるだけ。いつものことだ」


 そう言って、コウは肉を焼く動作を再開する。何でもないことのように言うコウだったが、付き合いの長いミライには、コウが無理をしているということがわかった。


「ハルに何を言われたの?」


 そう問いかけるミライの目は、些細な変化も見逃すまいとじっとコウの一挙手一投足を見つめていた。


「別に。大したことじゃない」


 コウの口は重く、後に言葉は続かなかった。静かに肉の焼ける音だけが響くなかで、ミライはそっと語り掛ける。


「コウがさ、言いたくないなら無理に聞かないよ。でも、悩んでいるときは視野が狭くなるから。話すだけでも楽になるって本当だよ」


 ミライの真摯な言葉に、やっとコウはミライの目を見つめ返した。そしてまた視線を逸らすと、消えるようなか細い声でポツリと呟いた。


「ハルがさ、今度みんなで旅行に行かないかって」


「え?」


「春休みだからって」


 その意味を理解して、ミライは視線を卓上へと移した。


「えっと、それは……」


 何と答えるべきか、ミライは真剣に考えた。コウのこと、ハルのこと、そしてユウのこと。


「……コウはその時どう思ったの?」


 視線をコウに戻しながら尋ねると、まっすぐミライを見つめるコウの瞳にぶつかった。コウはひしゃげた笑顔を見せながら答える。


「何考えてるんだろうな、こいつって。そう思ったよ」


 コウはそこで一度言葉を切ると、ふぅっと息を吐いた。


「思えばなんだかんだあいつと俺を引きあわせようとするよな、とか。あいつの話もよくするようになったよな、とか。別にその時はなんとも思ってなかったけどさ。全部ハルがわざとやってたのかなって思うと、つじつまが合う気がして」


 焼きすぎた肉がブスブスと音を立て始めていた。コウはそれを皿に上げると、ひとつ口に放り込む。


「厄介払いしたいのかなってちょっと思った」


 その瞬間、ミライが息をのんだ。


「……この肉、焦げてて苦い」


 コウは乾いた笑みを浮かべると、少しおどけたようにそう言った。


「そんなこと、絶対あり得ないから」


 唇をかみしめるミライの目には涙が滲んでいた。


「……でも、確認するの怖くて。……『金がない』って答えた」


 その声は少し震えていて、コウはしばらく天井を見つめていた。




「いや、なんでミライが泣いてるんだよ」


 しばらくしてコウが視線を戻すと、ミライが声もなくハラハラと涙をこぼしていた。


「だって、おかしいもん。絶対違うもん」


 涙をこぼしながらプルプルと震えているミライは、しかしきっぱりとそう言い切った。


「……ま、ハルがそんなやつじゃないっていうのはわかってるけどさ。全部俺のためだってことも。本当、お節介だ」


 そう言って、残っていた烏龍茶を飲み干した。すると、ミライは意を決したように言った。


「旅行はともかく、ユウに話してみてもいいと私も思う」


 それを聞いて、一瞬驚いた顔をしたコウは、すぐに眉間にしわを寄せる。


「別に話す必要ないだろ」


 いつものミライであれば、ここで無理強いはしない。しかし、この時のミライは少し違っていた。


「必要はないかもしれないけど、話してみてもいいと思う。きっと、ユウは大丈夫だよ」


 ミライから返ってきた言葉にさらに驚いて、コウは考え込む。すると、畳みかけるようにミライは言葉を続けた。


「確かにユウはまだまだ発展途上だけど、でもそんなユウにだからこそ言う価値があると思う。だって、私たちももうすぐ3年生で、進路のことも考えないといけない。就活ってなったら、コウが嫌でも話さなくちゃいけない時が来るかも。それに、私もハルもマヨちゃんも、みんなコウの味方だけど、ずっとコウのそばにいられるかわからない。いつでも助けてあげられるわけじゃないと思う」


 考えながら黙って聞いていたコウだったが、最後の言葉に反応した。


「助けてあげられるわけじゃないって何?」


 鋭く突き刺すような言い方に、一瞬ミライはたじろぐ。


「俺は弱い人間で、いつもお前たちが助けてあげなきゃいけない存在って、そういうことかよ?」


「違、そうじゃなくて――」


「そうやってお前たちは俺を見下してるんだよな。感情もコントロールできなくて、中途半端で、どっちつかずだから」


 即座に反論しようとするミライだったが、コウが畳みかける方が速かった。すると、再び涙をこぼし始めるミライ。


「なんでそんな風に言うの? そんなこと、これっぽっちも思ってないよ」


 すると、コウはバンッと思い切り机をたたくと、大声で叫んだ。


「思ってるんだよ! 全然対等に見てくれてない!」


 そうしてコウは店を飛び出したまま帰ってこなかった。

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