第10話 ミライの家では
「2人とも来てくれてありがとう」
玄関で迎えてくれたミライは、顔こそ涙でぐちゅぐちゅ、声もぐずぐずだが、俺たちが到着するまでにある程度落ち着いたのか、思いのほか取り乱してはいなかった。
「うん。ひとまずミライの好きなロイヤルミルクティーを淹れてあげるから。ちょっと台所借りるよ」
マヨはそう声をかけると、勝手知ったる様子でキッチンに立った。俺はというと、ぼーっと立っているわけにもいかないので、とりあえずミライと一緒に奥の部屋へと移動する。
「……」
すると、ミライはすみっこの方で体育座りをしたまま黙り込んでしまった。こんな時なんと声をかければいいのかわからず、俺もしばらくは所在なさげに座っていたが、あまりにも居たたまれなくなって、キッチンにいるマヨに助けを求めた。
「なんか手伝うことある?」
そういいながらキッチンへと赴く。すると、マヨは呆れた顔をこちらに向けた。
「ないけど」
なぜここにいるのだ、と目が語っていた。
「そ、そうか」
「……」
こちらはこちらで気まずい空気が流れ、この家の中に俺の居場所はないのではないかと嘆きたくなった。
「……別に何も言わなくてもいいからミライのそばにいてあげてよ」
マヨがため息交じりにそう言った。
「い、いや、何も言えないんだったらそばにいる意味なくないか?」
俺が困ったように反論すると、マヨは優しく微笑んだ。
「別にいいのよ。一人で部屋にいたら色々考えちゃうでしょ。ユウがいればちょっとは気がまぎれるじゃない」
「いや、でも、一人で考えをまとめたいかもしれないし……」
弱気になってしまう俺の肩に、マヨがポンと手を置いた。
「そもそも一人でいたかったら電話しないし家に入れないでしょ。ユウは横にいてあげて頂戴。それだけでいいのよ」
マヨはすごく頼りになるけれど、その手は女性らしいとても小さな手だった。そこまで言われてしまっては戻らざるを得ない。俺はすごすごとミライのいる部屋へと戻った。
部屋に戻ると、ミライは先ほどの状態のままうつむいていた。俺はミライの隣に腰掛ける。しばらくはその状態が続いて、本当に座っているだけでいいのか、と内心焦りを覚えたが、ふいにミライが俺の服の裾を掴んだ。
「……」
ちらりと横目で様子をうかがうが、相変わらず顔はうつむいたままで表情は読み取れない。しかし、なんとなく、このままでいいのだろうと思った。
手狭な一人部屋のはずなのに、すみっこに身を寄せ合っていると、なんだか部屋が広くなったように感じた。ここに一人で座っていたら、もっと広く感じるのかもしれない。先ほどのマヨの言葉を思い出しながら、マヨに感心すると同時に少し悔しさを覚えた。
マヨがお盆にカップを3つ並べて戻ってきた。てっきりすべてロイヤルミルクティーなのかと思ったが、後の2つはストレートティーのようだった。流石マヨ、気遣いのできる女である。
「熱いから気を付けて」
そう言ってカップを渡すマヨ。ミライはカップを受け取った後、しばらく中をぼんやりと見つめていたが、ふーっと息を吹きかけると、ゆっくりと口に運んだ。
「……おいしい」
ここにきて初めて笑顔を見せたミライに、俺はほっと胸をなでおろした。
「それは良かった」
ポツリとそう呟いて、マヨも安心したような笑顔を浮かべた。
「2人とも本当にありがとう。こんな夜遅くにここまで来てくれて」
改めてお礼をいうミライは完全に落ち着きを取り戻しているようだった。
「別に。明日の予定は午後からだし、ペットの世話は飼い主の務めだからね」
そう言ってカップを口に運ぶマヨ。
「うん。俺もたまたま明日は予定がないし、ミライのお守は俺の役目だからな」
マヨの作った流れを壊さぬようそう言って、俺もカップを口に運ぶ。
「あはは、そうだね。ミライは手のかかる子だからね」
いつものような明るい声で笑うミライに来てよかった、と思いつつ。しかし俺はここでどうしても言っておきたいことができた。
「この紅茶、うますぎる!」
そもそも紅茶を飲む習慣がないので詳しいことはわからないが、本当に美味しかった。俺が今まで飲んでいた紅茶は何だったのかと思うほどうまい。口に広がる香りが全然違う。
「それはどうも」
涼しい顔で応えるマヨだったが、お世辞抜きで本当に美味しい。これは高い茶葉を使っているとかそういうことなのだろうか。
「言っておくけどね。これはその辺のスーパーの特売で買ったごく一般的な紅茶だからね。マヨちゃんが淹れたからこの味が出てるんだからね!」
と、鼻高々なミライ。なぜミライが得意げなのかはさておき、マヨにはこんな才能もあったのかとまた感心してしまう。
「なんたってマヨちゃんの家は由緒正しき茶道のお家だからね」
しかし続いたミライの言葉に驚く。言われて見れば、マヨはいつも礼儀正しいし所作も美しい。ちょっと古風というか礼節を重んじる傾向にあるのもうなずける。マヨという名前も万葉集からとったという話だったが、なるほど、茶道の家というなら納得だ。
「ミライ、それアウティングだから」
すると、マヨがよく突っ込みの時に浮かべる能面のような顔で冷静に諭した。
「え、そっか。ごめん!」
そこであわてて謝るミライ。アウティングというのはいわゆる暴露のことである。主にはLGBTQ+であるという秘密を本人の同意なしに第三者にもらすことを指すことが多いが、それに限らず暴露全般のことでも使える。
「まあ言ってしまったことは仕方ないけど気を付けて」
「う~ごめんなさい」
しょぼんと肩を落として謝るミライ。別に秘密にするようなことでもないような気はするが、人には人の事情がある。俺もこの事実はそっと胸の内に秘めておくことにしようと誓った。
「そんなことより、ミライは私たちに話があるんじゃないの?」
ここで話を軌道修正するのはやはりマヨだ。
「あ、そうだよね」
そう言って、ミライは居住まいを正した。
「今日って、ユウとマヨとハルは3人でメタモア交流会をしてたでしょ?」
確認をしてくるミライに、黙って頷く俺とマヨ。
「だからずるいよね、私たちもしようよってコウを誘ったの」
ミライを通じて俺とマヨとハルがメタモア関係であるように、ハルを通じてミライとコウはメタモア関係にある。俺たちの交流会の裏で、ミライとコウも交流会をやっていたということだろう。
「それでコウと2人でご飯を食べに行ったんだけど、そこでケンカしちゃったっていうか、私がコウを怒らせちゃったっていうか……」
しょげた様子でそう語るミライは、まさに青菜に塩といったところか。
「それ、怪我とか器物破損とかはなかったのよね?」
マヨがじろじろとミライの全身を確認しながらそう尋ねる。マヨも『怪獣コウちゃん』のことは知っているわけか。そういえば、中高と同じ学校だったと言っていたな、と思い出す。
「それはなかったけど……。どっちかというと怒りよりも悲しみの方が強かったのかもしれない。コウはあの時、すごく……」
そう言って、ミライはキュッと唇をかみしめた。その時の様子を思い出しているのか、もしかしたらコウも今のミライと同じような表情をしていたのかもしれない。
「……どうしてそうなったわけ?」
マヨが問いかけると、ミライはゆっくりと事の顛末を語りだした。
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