第二章 みんな学びの中にいる

第9話 平和なメタモア交流会

 『メタモア』。パートナーの別のパートナー。愛する人を共有している人。つまり、俺にとってのメタモアはハルとマヨで、ミライのメタモアはコウということになる。


「この店、来たかったんだよなぁ」


 ご機嫌なハル。


「時間無制限日本酒飲み放題は激熱ね」


 いつになくテンションが上がっているマヨ。

 ここに第1回メタモア交流会が開幕したのだった。




 事の発端は、ハルの一言。


「ユウってさ、結構酒強いでしょ」


 ミライに告白をしてから半年が過ぎようとしていた頃だった。付き合いはいたって順調だ。それこそミライから話を聞いたときはハルやマヨと仲良くできる自信はなかった。しかし、コウも含めてなんだかんだ一緒に過ごすこともあったので、すっかりポリアモリーの関係が板についてきた感じだ。


「どうだろ? まあ、記憶を失ったこととか二日酔いになったことはあまりないかな?」


 若干謙遜してはいるが、実を言えば自信がある。両親ともに酒豪で、母親に至ってはビールを飲みながらスポーツをするような人だ。親族で集まるとかならずビール瓶の山ができる。ビールケースが大量に家に運び込まれてくるのを幼いころからよく見ていたものだ。その遺伝子は確実に受け継がれている。


「その言い方は間違いなく強いっしょ。日本酒とか好き?」


「う~ん、普段はあまり飲まないけど、嫌いではないな」


 親の影響か、ビールを飲んでいることが多いが、誰かが飲みたいと言えば付き合って飲むこともある。


「実は行ってみたい店があるんだよね。時間無制限日本酒飲み放題なんだけど、品ぞろえも半端ないんだよ」


 うきうきとした表情でハルが提案してきた店は、俺も聞いたことがあった。


「じゃあ今度行こうか。いつにする?ちょうど今度の金曜日はミライと飯に行くことになってるけど」


 俺がそういうと、急にハルのテンションが下がる。


「いやいやいや。ミライはダメ。あいつ酒弱いでしょ」


 なるほど。わざわざミライ抜きでこの話をし始めたのはそういうことか、と合点がいった。確かにミライは酒に弱い。おまけに酒癖も悪い。酔うとベタベタ引っ付いてくるし、甘えん坊になる。そして所かまわず寝る。だいたい外で飲んだ後は、俺かハルがおぶって帰るのが恒例だった。


「ミライのお守してたらせっかくの酒が楽しめないでしょ?」


 やれやれといった感じでハルが首を横に振った。


「まあそうだな。じゃあ2人で行くか?」


 実はコウも酒に弱いのだ。というかほとんど飲めない。飲み会でもだいたいソフトドリンクを飲んでいる。日本酒など言語道断だろう。


「いやいやいや、お兄さん。1人忘れてませんか?」


 チッチッチッと指を振るハル。


「マヨの姉御はうわばみですよ。」




 こうして始まった飲み会だったが、まさかこんな日が来るとはな、としげしげと思った。なんだかんだ俺たちの中心にはミライがいたから、ミライを抜きにして、メタモアだけで集まる日が来るとは思っていなかった。


 ポリアモリーではなく、一般的な恋愛関係だったら、1人の恋人を取り合うおぞましい図式になってもおかしくはないのに、こうして肩を並べて笑い合える。ミライと出会ってから俺は本当にちっぽけな世界にいたのだということを思い知る。


「最近ユウはどうなの?」


 そんなことを考えていたからだろうか、ハルがいつものようにのんびりとした口調で尋ねてきた。


「どうって?」


「最初のうちは自分に対抗意識バリバリに燃やしてたでしょ」


 ハルはニヤニヤしながらそう言った。


「そりゃあ、ポリアモリーなんて言葉は初めて聞いたし、まったく理解できなかったし。ハルとミライは、なんていうかオシドリ夫婦っていうか、間に割り込むことはできないんだろうなと思ったら悔しかったよ」


 酔いもあって、いつもより素直に感情を言葉にできた気がした。


「ふーん。でもなんか今は落ち着いてみえるよね」


「まあ、なんていうか。友情と同じように考えたら割り切れたっていうか。自分と親しいと思っているやつに別の友達がいたとして、別に嫉妬とかしないし。ただ、重要な相談事を俺じゃなくてそいつにしたら、俺はその程度のやつなのかって腹立つこともあるけど。それも結局、相談の内容によってはそういうこともあるってだけで、そいつより俺の方が大切にされていないってことにはならないだろ? だから、恋人としてハルやマヨに求めていることと俺に求めていることが違うってだけで、1番とか2番とかそういうのはないんだよなって思ったら、まあいっかってなった」


 もちろんそういう風に考えられるようになるまでにはそれなりに時間を要したが。


「ま、もともとそんなに愛情深いタイプじゃないからな、俺は。今までの彼女も『本当に私のこと好きなの?』とか『本気で愛してくれてない!』みたいに言われて面倒くさくなって別れたし」


 長々と語ってしまい、少し照れくさくなって誤魔化す様に付け加える。


「それ、ユウが俺に言ったセリフ」


 すると、ハルが茶化すように言った。


「え、あれ、そうだっけ」


 そう指摘されて、ドキッとする。


「言ったよ~? 出会ったばっかの時だったかな。確か」


 そんな風に言いながら、ハルは追加の日本酒を注文した。まさか自分があの言葉を誰かに言う側になっていたなんて。その事実に俺は戸惑いを隠せなかった。


「自分が縛られているものって人に言われたことだったりするんだよねぇ。愛情深くないとかさ、そんなことなくね? むしろ相手の気持ちも考えないで自分の気持ちを押し付ける方がよっぽど傲慢だしエゴでしょ。それって本当に愛なわけ?」


 畳みかけるようにハルは言った。そういえば前にもハルとはこんな話をした。立場が変わって初めてわかることもある。俺にあの言葉を投げた昔の恋人のことを少し思い出した。




「あー俺たちばっかり話してるけど、マヨはなんかないの」


 感傷的になってしまった気持ちを切り替えるようと、無理矢理マヨにボールを投げた。


「何かって?」


「いや、嫉妬とか」


 すると、しばし考え込んだマヨは意を決したように言った。


「ないわね。そもそも私、ミライのこと性的・恋愛的に好きってわけじゃないから」


「は?」


 思わずつかんでいた枝豆を落としてしまった。


「ちょっと待て。お前たち付き合ってるんだろ?」


 だからメタモア交流会なのではなかったか。


「そうだけど、私はミライに対して性的・恋愛的に惹かれたことは一度もないの」


 そう言って、マヨは持っていた杯をあおった。助けを求めてハルの方を見ると、その表情からこのことは周知の事実であるということが読み取れた。


「え、ごめん、ちょっと待て。全然わかんなくなってきた。つまり、マヨはミライのことが好きじゃないのに付き合ってるってことか?」


「性的・恋愛的にはね」


「つまり、ミライの片思いってことか? いや、そもそもミライはマヨのことが好きなのか?」


 最早何を前提とすればいいのかさえわからなくなってきた。


「誤解があるかもしれないけど、私だってミライのことは好きよ? だけど、そこに性的・恋愛的な意味はないの。一番近いのはかわいいペットに対する愛情かな」


 まさかのペットだった。


「まあ、ミライは私のことを性的・恋愛的に好きだと思うわ。あの子が押して押して押してきたから私が折れた感じだもの」


「そうそう、あの時のミライは必至で可愛かったよねぇ」


 衝撃の事実に若干頭がついていかない俺をよそに、ハルが会話に参戦する。


「いや、むしろ怖かったわよ。付き合わないと死ぬとか言い出しかねない感じだったもの」


「まあ結構思い詰めてたよねぇ。それだけマヨのこと想ってたってことだけど。『絶対に振り向いてくれない人を振り向かせるにはどうしたらいい?』って涙声で電話してきた日が懐かしいよ」


 それを彼氏のハルに相談しているのが本当にすごいと思う。いや、当時はまだ彼氏ではなかった可能性もあるが。


「まあ、私、アロマンティックアセクシュアルだからね。絶対に振り向くことはないけど、それでいいっていうし、ポリアモリーの方が私にはちょうど良かったと思う」


 黙って2人の会話を聞いていたが新しく出てきた用語に思わず手をあげて質問した。


「ごめん、アロマンティックアセクシュアルって何だっけ?」




「アロマンティックっていうのは、他者に恋愛的に惹かれることがない人のこと、アセクシュアルっていうのは、他者に性的に惹かれることがない人のこと。つまり、アロマンティックアセクシュアルというのは、他者に性的・恋愛的に惹かれることがない人のこと。無性愛者とも言ったりするけど」


「つまり、マヨは誰かを好きになることがないってことか?」


「性的・恋愛的にはね。でも別に愛情がないわけじゃないのよ? 友愛とか家族愛とか、ペットに対する愛情とか? そういうのはあるから」


 謎のユーモアセンスを発揮しつつ、マヨは解説してくれた。


「それなら、マヨは性的・恋愛的にミライのことが好きじゃないし、今後も好きになることはないだろうに、なんでミライと付き合おうと思ったんだ?」


 俺の場合は、相手のことがその時点で好きではなくても、付き合っているうちに好きになることもありうる。そういう前提でいいなら、という合意のもとで付き合ったこともある。一方で、アロマンティックアセクシュアルを自認しているマヨは、付き合っていく中で自分も好きなるということはないに等しいはずだ。


「さっきも言ったけど、ミライがそれでいいって言ったから。『私は想いを返せないのに、なんで私と付き合いたいの?』って言ったら、『マヨちゃんと大切な時間を共有したいから』って。それだけでいいって言うからさ」


 それはとても潔くてかっこいいと思った。ミライの愛はいつも純粋でひたむきだ。


「人と人との関係って本当は合意の上で成り立たせるべきなんだよねぇ。特にパートナーシップはさ。なのに、『付き合う』って言葉だけでいろんなことに勝手に合意したことになる。そういうの、自分は良くないと思っているんだよねぇ」


 ハルの口調はのほほんとしているけれど、すごく大切なことを言っていると思った。『勝手に合意したことになる』。俺はどうだっただろう。思考の海の中に入りかけていた俺を、しかしマヨの一言が強引に引っ張り上げた。


「本当にその通りなんだけどね。でも、それだけでいいって言ったくせに、抱き着いて来たり舐めてきたり。ミライは契約違反だから」


 いつになく語気の荒いマヨ。そういえば、ミライのマヨに対するスキンシップはかなり激しい。


「まあ、ミライは色欲お化けだからねぇ」


「本当に盛りの付いた犬よ」


 カラカラと笑っているハルとプリプリと怒っているマヨが対照的だった。




「いやぁ、飲んだ飲んだ」


 ハルがふらふらとした足取りで、しかしとても上機嫌にそういった。もうどれくらい飲んだのかわからないが、流石の俺も足取りが怪しい。時間無制限日本酒飲み放題だなんで危険なもの、いったい誰が思いついたのやら。


「また来たいわね」


 そんな中で1人平然としているマヨは、やはりうわばみの称号がふさわしい。とはいえ、俺たちと違ってゆっくりと飲んでいたから、飲酒量自体がそもそも違う可能性は否定できないが。


 駅に向かう道すがら、帰りの電車を調べようとスマホを取り出す。すると、ひどい通知の嵐にスマホが埋め尽くされていた。


「うっわ、なんだこれ」


 思わず声をあげる。


「うわぁ、全部ミライじゃん」


 ハルからも驚きの声が上がる。


「え、2人にも来てるの?」


 どうやら3人ともミライからの怒涛の通知ラッシュが来ていたようだ。店が地下にあったので、気付かなかったのかもしれない。


「うわ、かかってきた」


 すると、マヨのスマホに着信が入る。


「とりあえず出るね?」


 そう俺たちに声をかけると、マヨは応答ボタンをタップした。


「マ゛~~~~~ヨ゛~~~~~~~~~~~~」


「ひっ!」


 閑静な住宅街を通っていたこともあるだろうが、スピーカー状態でもないのに響き渡るミライの声。


「な、なに、どうしたの?」


 恐る恐る問いかけるマヨの声は若干震えている。


「な゛ん゛て゛、て゛ん゛わ゛に゛、て゛て゛く゛れ゛な゛い゛の゛~?」


 明らかに涙声のミライ。


「ごめん、たぶんお店が地下だったから気付けなくて。何かあった?」


 この状態で何もないはずはないが、律儀にそう尋ねる。


「う゛う゛~」


 グシグシと涙をぬぐう音がして居たたまれない。


「ミライ、どこにいるの? そっちへ行こうか?」


 優しく声をかけるマヨ。もう夜の十時を回ろうとしている時間だが、そばへ駆けつけようというその姿勢は、確かに愛と呼べるのかもしれない。例えそこに性的・恋愛的なものがなかったとしても。


「う゛、う゛ち゛に゛い゛る゛け゛と゛~」


「部屋にいるのね? 今からそっちに行くから、ちょっと時間かかるかもしれないけど部屋にいてね?」


「う゛~う゛う゛~。あ゛り゛か゛と゛う゛~」


 そこで通話は終了した。


「そういうわけで、私はミライの家に行くけど、2人はどうする?」


 てきぱきとしたその対応は流石の一言だった。すっかり酔いがさめてしまった俺も続く。


「俺は行くよ。こんな遅い時間に女の子一人で行かせるわけにもいかないし」


 幸いにして明日の予定は何もない。というか、この会のために空けておいた。残念ながら余韻に浸る暇もなかったが仕方がない。


「自分はやめておくわ」


 しかし、ハルはそう言いながらスマホを操作している。てっきりハルも来るものだと思っていた俺は拍子抜けした。そして、まがりなりにも恋人であるミライがあの状態なのに来ないのかと少し憤りを覚えてしまう。


「……もしかして、コウ?」


 すると、何かを察したのかマヨがそう聞いた。ハルはスマホの操作を終えたようで、ポケットに突っ込むとニッと笑った。


「せいか~い。なんかあったっぽいね、あの2人。ミライの方はマヨとユウに任せるわ」


 ハルはそう言い残し、ヒラヒラと後ろ手に手を振りながら立ち去った。


「じゃあ、私たちはミライの家に行きましょう」


 マヨに促されて駅へと向かう道中。もし俺たちがいなかったら、ハルはどっちの家に駆けつけていたのだろう、とそんなことをふと思った。

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