第8話 マヨちゃんとソースの味
無事ハルとコウからお許しをもらえて早一月。やはりというべきか、マヨちゃんにも是非会ってほしいというミライのお願いによって、ミライ、マヨ、俺の3人で集まることになった。
本音を言うと、女が集まっている空間は苦手なのでハルやコウにも参加してほしかったのだが、ミライが早々に2人の都合が合わない日程に決めてしまっていた。
「いつか5人でも集まってみたいよね」
ミライは明るく笑うが、果たしてどうなることやら。
「こんにちは、マヨです」
「初めまして」
マヨの第一印象はひと言で言うとクールビューティー。ちょっと気圧される感じだ。
「マヨちゃん、準備ありがとう」
ミライが声をかけると、マヨは微笑を浮かべた。
今回も場所はミライの家で、駅で待ち合わせたのも俺とミライ。マヨが先に家で準備しているということだったが、テーブルの上にはタコ焼きの生地とタコ、チーズ、ウィンナーなどの具材に加え、ソースやマヨネーズなどの調味料、タコ焼き機やピックなどの調理器具、皿、コップ。要はたこ焼きパーティーのリベンジである。
なぜそんなにたこ焼きパーティーにこだわるのかと疑問だったが、ミライ曰く、『だって仲良くなれるじゃない』とのこと。よくわからないが主催者がそういうのでここは従っておくべきだろう。
それにしても、家主がほいほい家を預けて外に出てしまって良いものなのかと思ってしまうが、ハルにしろマヨにしろ、長い付き合いということだから、そこには厚い信頼関係があるのだろう。
「じゃあ、乾杯しよっか」
グラス片手にミライが声をかける。そういえば今日は食器が紙やプラスチックではない。この家には大人数用の食器がないのかと思っていたが、最初から『怪獣コウちゃん』対策だったのだ、ということを知った。
たこ焼きパーティーは無事始まったが、ミライもマヨも手馴れていて、俺は出る幕がない。1人おとなしく2人の様子を観察しているうちに、あっという間に第1陣が皿に盛られた。仕上げくらいは手伝おうと皿を受け取り、調味料をかけていく。ソース、マヨネーズ、ねぎ、青のり、鰹節とかければ完成だ。なかなかにうまそうな仕上がりである。
「あ、マヨネーズかけちゃった?」
と、ここでミライが声をかけてきた。
「あれ、マヨネーズダメだったっけ?」
そういえばかける前に了承を得るのを忘れていた。
「うん、そう。マヨちゃん、マヨネーズ苦手なんだ。だから半分くらいはかけないでほしいかも」
と、ミライが言った。
「え、マヨちゃんなのに?」
思わずそう言っていた。しまったと思ったときには時すでに遅し。ヒヤッとした空気が一瞬流れたのを感じ、ゆっくりとマヨの方に目をやると、能面のような表情を浮かべている。
「あ、いや、悪い」
コウの事件に引き続き、俺の口はなんてしまりが悪いのだろうか。
「別に、よく言われるから」
しかし、意外にもマヨは淡々としていた。
「え~っと、ちなみになんで『マヨちゃん』なのか聞いてもいいか?」
恐る恐るそう尋ねる。
「本名だから」
これまたあっさりとした返事に、かなり気分を害しているのではと不安になる。
「珍しいよね。万葉集の
ミライが明るくそう言うと、マヨは微笑を浮かべた。
「そうね。そのニックネームも気に入っている。だからユウもマヨでもウタでも好きに呼んでくれて構わないわ」
もしかしたらこの淡々としている様子がマヨのデフォルトなのかもしれない。
「そうか。まあ、ミライがマヨって呼んでいるから、俺もマヨって呼ばせてもらうよ」
そう返した。
「わかった。じゃあ私もミライに合わせてユウと呼ばせてもらってもいい? まあ、既にさっき呼んじゃったけど」
わざわざ確認してくれたが、断る理由もないので俺は了承の意を示した。
「もちろん」
「う~流石に苦しくなってきた~」
ミライが腹をさすりながらつぶやいた。たこ焼きパーティーというのは、たこ焼き自体が1個1個小さいから油断してしまうが、粉もので、焼いている間の待ち時間に腹が膨れてしまうから、思ったよりも食べられない。
「じゃあ、これで終わりかな」
俺がそう言うと、マヨが毅然とした態度でそれを否定する。
「いえ、食材がもったいないから最後までやりましょう」
「え、マジ?」
全部使い切るとなると、あと2~3回分にはなりそうだが。
「マ、マヨちゃんストイック」
若干涙目のミライが哀れで、ついかばってしまう。
「無理することないだろ。ちょっとくらい残しても罰は当たらないって」
しかし、返ってきたのは氷の女王のごとき凍てついたブリザードだ。
「お残しは許しません」
その有無を言わせぬ迫力に言葉が詰まった。
「そ、そうだよね。命をささげてくれたタコさんにも、丹精込めて作ってくれた農家の皆さんにも悪いものね。頑張ろ~」
そう言って力なくこぶしをあげるミライが痛ましかった。
そして俺たちはやり切った。永く辛い戦いについに勝利したのだった。
「も、もうしばらくたこ焼きは見たくない」
あんなにたこ焼きパーティーにこだわっていたミライが、ついにたこ焼き断ちを宣言するほどの戦いであった。
「みんな、最後までよく頑張った。やればできる」
マヨも達成感に満ちているようだった。歴戦の戦友がごとく、俺たちの友情は深まった。『だって仲良くなれるじゃない』というミライの言葉はあながち的外れでもなかったのかもしれない。
「ふふ、ミライ、口の周りソースだらけ」
マヨがそういうのでミライの方を見てみると、確かに口の周りがベタベタだった。必死だったのはわかるが、まるで幼い子供のようなミライ。そんな姿を、半ば呆れつつ、半ば愛しさを覚えつつ見ていると、マヨがミライに声をかける。
「ほら、こっち向いて」
マヨはそう言って、ミライの頬に手を伸ばすと、口の周りを優しくティッシュで拭いている。その距離があまりにも近くて、俺は呆気にとられる。
「ん、ってかマヨちゃんだって口に青のりついてるよ?」
ミライはクスクス笑って、そっと自らの口でもってマヨの口に付いているという青のりを食べたのだった。いや、舐めとったというべきか。俺は目の前の光景に言葉もなくくぎ付けになってしまう。一方の2人は俺のことが見えていないのか、完全に2人の世界にいるようだった。
「ちょっとミライ、こういうのはやめてって言ったでしょ」
あまり嫌がっているようには見えないが、母がいたずらをした子供を注意するように言うマヨ。
「えへへ~ごめんなさ~い」
全く悪いと思っていないであろうミライ。ミライはそのままの勢いでマヨに抱き着くと、頬をすりすりとマヨの胸に寄せた。まるで子猫が母猫に甘えているようだ。本物の猫であれば間違いなくゴロゴロとのどを鳴らしているに違いない。
あまりにもナチュラルに3人で食卓を囲んでいたから忘れていたが、マヨはミライと付き合っているのだ。そして、俺はこんな風に甘えてもらったことがないという事実に打ちひしがれる。そんな俺に気づいたのか、ミライにまとわりつかれているマヨが冷静に解説する。
「言っておくけど、こういうのは女子校だと日常茶飯事だから」
そんなことを言われても、女子校の事情など知ったことではない。俺はのけ者にされた恨みから、少し茶化すように言葉を返す。
「女子校ねぇ。俺は男子校だったけどやっぱり百合が多いのか?」
すると、マヨは少しムッとした感じで切り返してきた。
「じゃあ男子校はゲイが多いわけ?」
そこではっとした。俺はまたやらかしてしまったらしい。
「悪い、今のは失言だった」
するとマヨは通常のスンとしたすまし顔に戻った。
「別に。距離感が近いのは女子校あるあるだと思うけど、そこに性的・恋愛的意味合いがあるかどうかは別の問題だから」
マヨはさらっとそう告げると、まとわりついていたミライを引きはがした。
「さ、片付けましょう」
マヨの手際は大変すばらしく、片付けはあっという間に終わってしまった。
「マヨちゃん、ユウはいい子だったでしょ?」
すると突然ミライがマヨに問いかけた。マヨの瞳がじっとこちらを見つめ、その後ミライへと視線を移す。
「そうね。悪い人ではなさそう。少しうっかりなところはあるけど」
褒めつつもくぎを刺すことは忘れないマヨだった。
「良かったね、ユウ」
満面の笑みを浮かべるミライ。これはつまり、改めてお認め頂いたということになるのだろうか。なんとなくだがマヨの人となりもわかったので、今日のミッションはクリアと言えるだろう。
「じゃ、私は帰るわ」
マヨがふいにそう言って身支度を始めたので、俺もそれに倣おうとジャケットに手を伸ばした。
ギュッ。
すると、何かに服の裾を掴まれた。それは白くて小さいミライの手だった。
「ユウは、もう少しいれば?」
ドクンッと心臓が大きく跳ねるのを感じた。帰り支度を済ませたマヨが玄関へと足を運ぶ。見送りに行くミライを目にして我に返り、慌ててその背を追いかける。
「じゃあね、ミライ。また」
「うん、またねマヨちゃん」
「ユウも」
「あ、ああ」
別れの言葉を交わす2人をぼーっと眺めていると、突然マヨがこちらを向いたのでどぎまぎとしてしまう。
「楽しんで」
マヨはそう言って意味ありげな微笑を浮かべるとミライの部屋を後にした。バタンと扉が閉まると、ミライが俺に問いかける。
「マヨちゃん、いい子だったでしょ?」
「ああ」
すると、ミライは俺にギュッと抱き着いて、さらに問いかけた。
「ミライは?」
その時交わした口づけは、ソースの味がした。もう食べきれないと思っていたが、メインディッシュはそこからだった。
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