第3話 ハルの嵐

 約束の土曜日が来た。待ち合わせの駅につくと、ミライは既に改札前の広場にいた。こちらに気づくと大きく手を振ってくるのが少し気恥ずかしい。


「時間ぴったりだね」


 明るく笑うミライ。これは遅刻癖のある相手に対しては嫌味だろうが、もちろんそんな意味ではない。むしろ待ち合わせ場所には早めに着いていることの方が多い俺が、ほぼオンスケジュールであることに言及しているのだろう。


「ちょっと家を出るのが遅れて」


 簡単にそう返しておく。本当はミライ以外のメンバーしか集合場所にいなかった場合に、気まずい雰囲気になるのが嫌だったからだ。


「そう。じゃあ、行こうか」


 ミライはそんな俺の気持ちを知ってか知らずか、深く追求することはせずにゆっくりと歩きだす。


「あれ、俺たちだけ?」


 件の2人は待たなくて良いのだろうか。慌ててミライを追いかけながらそう尋ねる。


「あぁ、ハルとコウはもう私の家にいて準備してくれているの」


 さらっとそう言ったミライに、やはり俺の緊張は見抜かれていたのだろうと悟って、少しくすぐったかった。




「ここですよ~」


 到着したのはごく一般的なマンションの1室だった。入ってすぐ玄関に次いでキッチンがあった。恐らくはその奥に部屋が続いているのだろうが、その手前の扉は閉まっていた。玄関で出迎えてくれる花に、女の子の部屋に来たのだな、としみじみ思ったのもつかの間。並んでいる男物の靴がいよいよ対面が近いことを告げていた。


「ただいま~」


 ミライがそう声をかけて、奥の部屋の中に入る。俺も黙ってそれに続いた。


「おかえり~」


 すると、少し間延びした返事が返ってくる。声の主と思しき男の第一印象は、穏やかでゆるっとしたやつ、だった。


「わ、すごい。準備万端。ありがとう」


 四角いローテーブルの一番奥に座っているその男の手には、既に缶ビールが握られていた。どうやらとてもマイペースな男のようだ。その男に向かって右側にミライが座ったので、俺はミライの反対側の隣に座る。つまり、四角いローテーブルに対して、奥にその男、右辺にミライ、手前に俺が座っていることになる。では左辺はというと、そこには男の俺が見てもハッとするようなイケメンが座っていた。


「じゃあ、紹介するね。このお客さんを待てずに既に飲んじゃってるのが私のもう一人のパートナーのハルで、その隣がハルのパートナーのコウだよ」


「よろしく~」


「初めまして」


 ミライの説明、そして2人の反応から理解する。このゆるっとしたマイペースな男がハル、寡黙系イケメンの方がコウ。つまり。


「え、ホモってこと」


 驚きとともにポロっとそう言ってしまった瞬間、部屋の空気が凍り付いたのを感じた。


「あ」


 やってしまった。しかし一度口から出た言葉はもとに戻せない。確かに名前を聞いたとき、男のような名前だとは思っていた。しかし、ミライの恋人の恋人ということは女なのだろうと勝手に思っていた。それがまさかの男だったのだ。驚くのは仕方ないのではないだろうか。


「お~、なかなかすごいの捕まえてきたじゃん」


 頭の中でぐるぐると言い訳が回っていたところに、ハルがのほほんとそう言った。怒っているようには見えないが、これは嫌味なのだろうか。


「あ、いや、ごめん。実物をはじめて見たから驚いた。だけど別に偏見はないから。俺、男子校だったけど、別のクラスにそういうやつがいるって話も聞いたことがあったし」


 慌ててそう言うと、コウがこれ見よがしに盛大な溜息をついた。明らかに不機嫌そうなコウは、しかし何を言うでもなく下を向いている。


「あ、私が詳しく説明してなかったからだよね。ごめんね」


 ミライが助け舟を出してくれるが、情けない姿は見せたくない。


「いや、名前聞いたときに気づくべきだったよな。そもそもポリアモリーって普通じゃない恋愛してるわけだしさ」


「チッ」


 するとコウの方から舌打ちが聞こえた。ちらりとそちらを見ると、そこには軽蔑のまなざしがあった。


「……なんだよ」


 明らかに敵対的な態度についついこちらもけんか腰になる。だが、コウは何も言わずににらみつけてくるだけだ。


「言いたいことがあるなら言えよ」


 そう畳みかけると、コウはふっと目をそらして吐き捨てるように言った。


「別に。ただ典型的なシスヘテホモソ野郎だって思っただけだ」


「し、しす、へて? ホモ?」


 てっきり罵詈雑言が飛んでくると思っていた俺は謎の用語に面食らってしまう。そして、一体どういう意味なのかは分からなかったが、最後の言葉の羅列に、またしてもつい反応してしまった。


「いやいや、ホモはお前だろ!?」


 そう言った瞬間。

 ガッシャーーーーーン!!!

 昭和の頑固おやじよろしく、コウがそれはもう盛大に、ローテーブルをひっくり返した。突然のことにしばし固まる俺たち。


「マジありえねぇ。最悪」


 コウは怒りに震えていた。


「帰る!」


 そして激昂したままカバンを掴むと玄関へと向かってしまう。


「え~まさかこのまま帰るつもり?」


 ハルが声をかけるが、コウは動きを止めない。


「ミライが誰と付き合おうが俺には関係ないし知ったこっちゃない。好きにしろよ」


 そう吐き捨てると、本当に家から出ていってしまった。


「あ~、ミライ悪い」


 ハルがそう言った。


「大丈夫。久しぶりだよね、怪獣コウちゃん」


 ミライは困ったように笑ってそう言った。


「怪獣コウちゃん?」


 あっけにとられていた俺だが、聞き慣れない単語に反応してしまう。


「うん。コウは昔、物を投げたり大声出したり凄かった時期があって」


「へぇ~……」


 その発言からなんとなく俺にはまだわからない強い結びつきがこの3人にはあるのだろうということを知って、少し寂しさを覚えた。




「じゃあ自分は帰るわ」


 3人で協力して部屋を片付けたところで、ハルはそう言った。


「え、でもお昼は?」


 ミライが尋ねる。


「うん、まあそうなんだけど、コウをほっとくわけにもいかないしね」


 やや困った感じで笑ったハルに、ミライは納得したようだった。


「そうだね。フォローよろしく」


 若干気まずい空気が流れ、俺が何か言おうと口を開きかけたところでハルが先手を取った。


「そういうわけで、自分は帰るけど」


 そこで一旦言葉を切ると、俺に向き直ってニッと不敵に笑った。


「自分はやっぱりミライとユウの交際は認められないな」


「は?」


 思わず間の抜けた返事をしてしまう。


「え、ハル、どういうこと?」


 これにはミライも驚いたようで、そう尋ねる。


「どういうも何も言ったまま。コウが認められないやつを自分は認められない」


 尋ねてきたミライではなく俺の目を見てハルは言った。完全なる宣戦布告である。


「いやでも、あいつは好きにしろって言ってなかったか?」


 こちらもやられっぱなしというわけにはいかないのでそう切り返した。


「言ってたけど。少なくとも怒って出ていかせるだけのことしたって自覚はあるよね?」


 そこを突かれると痛い。しかし、だからと言ってはいそうですかというわけにはいかなかった。


「いや、でもあいつはもともとそういうやつなんだろ?」


 すると、それまで笑みを崩さなかったハルが初めて真顔になった。


「言っておくけどさ、あの短い会話の中で傷つけられたのはコウだけじゃないんだよね。自分もだし、ミライもだから」


「え?」


 その言葉に驚いてミライの方をみると、その表情から肯定の意が読み取れた。読み取れてしまった。


「気付いてなかったよね? でもそういうことだから。このままだとミライが苦労するのは目に見えてる。それを放置するほど自分は薄情じゃないから」


「……」


 ハルが認める認めないということよりも、いつの間にかミライを傷つけていたということに驚いて、俺は二の句が継げなかった。黙り込んでしまった俺を見て、再び笑みを顔に張り付けたハル。


「とはいえ、自分も鬼ではないので。チャンスをあげようと思います」


「チャンス?」


 この時のハルは今日見た中では一番いい笑顔を浮かべていた。


「コウと仲直りすること。それが出来たら認めるよ」

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