第4話 反省会

「ご注文は以上でお揃いですか?」


「あ、はい」


「ではごゆっくり」


 たこ焼きパーティーのために準備した食材はあったものの、ミライの部屋で何かを食べる気にはなれず、俺たちは場所を近所のファミリーレストランへと移していた。道中もあえて先ほどの話題は避けてしまったし、今も取り留めのない話で場をつないでいる。ミライも俺の気持ちを察して付き合ってくれているのがわかり、なんとも居たたまれなかった。




「さて、食事も終わったし、本題に入ろうか」


 口火を切ったのはミライだった。


「……そうだな」


 本音を言えばこのまま解散して今日はゆっくり家でゲームでもしたい。しかし、そういうわけにもいかなかった。


「えっと、どう思った?」


 ミライもまさかこんなことになるとは思っていなかったのだろう。遠慮がちにそう尋ねてきた。


「うん、びっくりした。いろんな意味で」


 ひと言でいうなら驚愕につきる。


「そうだよね。びっくりだよね」


 苦笑いするミライの表情は硬い。


「それで、コウとは仲直りできそう?」


 核心に迫る質問を投げかけて、ミライは俺の返答を待った。


 そもそもあんなに人を怒らせたことが今まであっただろうか。もちろん幼少期には幾度となくあっただろうが、ある程度分別の付く年齢になってからは手が出るほどのケンカというものをした記憶がない。

 自分で言うのもなんだが、俺は要領がいい方だった。勉強もスポーツも人より早くコツを掴むことができたし人の感情の機微に気づくのも得意だった。うまく立ち回って漁夫の利を得るタイプ。どちらかというといざこざの仲裁に入る方だ。


「本当に悪いんだけど、コウがなんであんなに怒ったのかわからない。それから、ハルやミライのことも傷つけたって言われたけど、そんなつもりなかった。というか、傷つけるようなことを言った自覚がない」


 もし俺に悪意があって、意図的に言ったことだったら直しようもある。謝罪の仕方もあるだろう。だけど、自覚していないことを直すことはできないし、謝罪したところで薄っぺらいものになってしまうに決まっている。


「だから今のままだと仲直りは難しいと思う」


「うん、そうだね」


「コウは、何に怒ったんだ?」


 本当は自分で気づくべきことだろう。でも、今の俺には難しいことだった。


「う~ん。私はコウじゃないから、コウの気持ちを100%理解することはできないけど。例えば、ホモって言ったこと覚えている?」


「あぁ、あれはまずかったよな」


 ついポロっと言ってしまったが、確かにあそこから一気に空気が悪くなった。


「……ちなみに、何がまずかったかわかってる?」


 俺の様子を伺いながら聞いてくるミライにさらっと答える。


「ん? そりゃあ誰だってホモって言われたら怒るだろ? それが事実だったとしても、あえて言わないようにするのがマナーだよな」


 すると、ミライは困ったように笑った。


「う~ん、そういう考え方もできるけど、私が気になったのはホモという単語を使ったことかな」


「ん? どういうことだ?」


 ミライの言わんとしていることがさっぱり理解できていない俺に、ミライは丁寧に説明をしてくれた。


「あの場に2人で来た時点で、2人が同性を好きになり得る人だってことはバレる前提だった。だから、同性愛者であることを指摘したこと自体はそんなに問題だったとは思わないんだ。ただ、その指摘の仕方に問題があったと思う。ホモっていうのはそもそも差別用語なの。だから、ホモじゃなくてゲイという言葉を使うべきだったと思う」


「でも、意味としては同じだろ?」


 すると、ミライはしばし考え込んだ後にゆっくりと答えた。


「私も説明が得意な方じゃないけど、例えばデブって言葉はその人が本当に太っているかどうかに関わらず、侮辱する意図で使われることが多い言葉でしょ。例え言った方に揶揄する意図がなかったとしても、言われた側は傷つく可能性があるじゃない。だからなるべく使わない方がいい言葉だよね。それと一緒だと思う。ホモという言葉も、侮辱の文脈で使われてきた言葉なの。だから同じ人を指す言葉でも侮辱の意味を含まないゲイという言葉を使った方がいいってこと」


「なるほど」


「特に、今回はほぼ初対面の顔合わせだったのに。いきなりあんなこと言ったら心証は悪くなるに決まっているよ」


 ビシッと言われてしまった。つまり初対面でいきなり『お前デブだな』と言ってしまったのと一緒ということだ。それは不機嫌にもなるであろう。


「でも、ハルは平然としてたな」


 ふと最後まで穏やかだったハルのことが頭に浮かんだ。とはいえ、デブと言われても気にしない人もいるのでそういうことだろうかと思ったが、ミライの表情は一気に暗くなった。


「ハルだって、本当は怒りたかったし悲しかったし傷ついていたと思うよ。ただ、ハルはそういうの隠しちゃうの上手だから」


 そう言われて胸がきしんだ。平気そうにしている人が本当に平気かどうかなんて、確かめてみなければわからない。ましてや俺たちは会ったばかりなのだ。当たり前のことなのに、能天気に考えてしまった自分を情けなく思った。


「……あのさ、ハルはミライのことも傷つけたって言ってたけど」


 そう言うと、ミライは明らかに動揺したようで、俺から視線を逸らした。


「……ごめん。気づかなくて」


 俺が申し訳なさそうにそう言うと、ミライはバッと顔をあげた。


「そんな、ユウは悪くないよ。まだ知らないことが多いだけで、それはこれから学べばいいんだから」


 そんな風にミライが励ましてくれるけれど、俺はますます自分の不甲斐なさを痛感した。


「ちなみに、何がミライを傷つけたのか、教えてもらっていいかな」


 すると、ミライは少し躊躇う素振りを見せたが、意を決したように言った。


「『普通じゃない』って言ったでしょ」


「え?」


「『ポリアモリーって普通じゃない恋愛』って。それはちょっと傷ついた、かな」


 そう言われて、改めて考えた。『普通じゃない』と言われることがどういうことか。『普通』の反対、『異常』。それはつまり『ポリアモリーは異常な恋愛だ』と言っているようなものだ。『ミライは異常だ』と言っているようなものだ。俺は大切な人にそんなことを言っていたのか。しかも無意識に。


 そこまで考えが至った瞬間、サッと血の気が引いて冷や汗がでた。

 パチン!

 すると、ミライが両手を合わせて音を立てた。俺はそれに驚いて、一瞬思考が固まる。


「さっきも言ったけど、ユウは悪くない。知らないことは気を付けようがないんだから。それでも悪いと思ってくれるなら、知る努力をしてほしいかな」


 ミライはそう言って、にっこりと微笑んだ。俺は改めてミライの愛の深さを知って、そんなミライに恥じない人間になりたいと強く思った。


「そう、だな。起こしてしまったことを後悔するより、どうリカバーするべきかを考えないとな」


 俺がそう言うと、ミライはとても嬉しそうに笑った。


「その通りだよ! じゃあ、話をもとに戻そうか。他にも反省すべきところがあったと思う?」


 ミライが優しくそう聞いてくれたから、俺は気持ちを切り替えて、反省に専念する。


「他、かぁ。なんだか話せば話すほど墓穴を掘っているような感覚はあったんだよな」


「そうだね。そんな感じだったね」


「う~ん、『実物をはじめて見た』って言い方は、よくなかったか?」


 それは全く自信のない問題を黒板で解かされているときのあの感覚に似ていた。先生の反応を見ながらそっと解答を書き進める、あの感覚。


「良い着眼点ですね。そのこころは?」


 そんな俺の心を読んだのか、あえて先生ぶって場を和ませようとするミライに、少し救われた気持ちになりながら答える。


「いや、その言い方だと、珍獣にでも遭遇したような、悪く言えば『お前たちは珍獣だ』と言ってるような感じになるかなと」


「そうだね。まあ、諸説あるけど、LGBTQ+の人って人口の7~13%くらいはいるって言われているから、別のクラスどころかクラスに1人か2人はいるってことになるんだよね。普段それを隠しているだけで。だから『見たことがない』とか『会ったことがない』というよりも、『カミングアウトを受けたことがない』がより良い表現だと思うし、そういう言葉を使うことで、『確かにあなたたちが存在していることを私は知っていますよ』っていうメッセージになると思うんだ」


「なんか、すごいな」


「え、何が?」


 内容以前にペラペラと立て板に水がごとくそんな話ができるミライに、思わず感心してしまった。


「いや、俺は普段そんなに意識して話してないからさ。言葉一つ一つそんなにいろいろ考えてるんだと思って」


 俺は素直に褒めているつもりだったけれど、ミライは少し寂し気に笑った。また意図せずに傷つけてしまったのかと焦ったけれど、それはほんの一瞬だった。すぐにいつもの笑顔を取り戻してミライは話をつづけた。


「まあ、日々精進てことかな。あと、『偏見はない』って言ってたけど、偏見がない人なんてこの世にいないと思うよ。もちろん私も含めて。だから私は自分の言葉には気を使うようにしているし、それでも誰かを傷つけることがあれば、素直に謝れる自分でいたいと思うんだ」


 その言葉を聞いて、ふと昔のことが頭をよぎった。




 ミライとはバイト先で知り合った。シフトがかぶることが多く、ミライの接客を目にする機会は多かった。ミライはどんなに理不尽なクレームでも笑顔を絶やさないし文句を言わなかった。


「理不尽な人にこそ優しくしなさいって、何かの本で読んだんだ。理不尽にならざるを得ないようなことがあったのだろうから、それを思いやってより親切に接しなさいって。例えばお気に入りの時計をなくしちゃったのかもしれないし親しい人とのお別れがあったのかもしれない。そういう妄想をすると自然と優しくなれるんだよね」


 柔らかい笑顔を浮かべてそんなことを言ったミライが気になったのがはじまり。




「ごめん、ちょっと偉そうだったかな?」


 黙り込んでしまった俺を心配そうに見つめるミライ。


「いや、むしろ惚れ直してたとこ」


 ニヤっと笑ってそう言うと、ミライは頬をぷくっと膨らませた。


「んー、心配して損した」


「悪い悪い」


 膨れたミライもかわいいと思いつつ、反省会を続行する。


「あとは何だっけ? 最後ブチ切れてたやつ。ホモがどうとか」


「『シスヘテモホソ野郎』でしょ」


「それだ。なんの呪文?」


 ミライがそらでいえるということは何かの用語ということだろうか。


「シスジェンダー、ヘテロセクシュアル、それからホモソーシャルの略だと思うよ」


「えっと、つまりどういうことだ?」


 さらに難解な言葉が並んだ。


「シスジェンダーは、自認する性別と生まれたときに割り当てられた性別が一致している人のことだよ。トランスジェンダーって聞いたことない? 自認する性別と生まれたときに割り当てられた性別が一致していない人。つまり、その逆だね」


「要は体も心も男だったり女だったりする人ってこと?」


「えっと、厳密に言うとそうじゃないけどだいたいそれで合っているかな。まあ、ジェンダーアイデンティティ、性自認の文脈においてマジョリティ側ってことだよ」


 歯に物が詰まったような言い方だけれど難しいことはわからないので今はそれで良しとした。


「それからヘテロセクシュアルは、異性愛者のこと」


「ああ、ホ……じゃなくて、ゲイとかレズビアンじゃない普通の人のこと     だろ」


 するとミライは苦虫を嚙み潰したような顔になった。


「んー、その言い方には非常に問題があるけれども、まあおいおいそこは勉強するとして、ここでもセックスオリエンテーション、性的指向の文脈において多数派、マジョリティ側ってことが言いたかったのだと思います」


 また難解な言葉が出てきた。勉強しなければならないことがどんどん増えていることに多少げんなりしたが、話を先に進めた。


「じゃあ最後のホモソーシャルっていうのも多数派のことか?」


「それはちょっと違うんだよね。ホモソーシャルっていうのは同性同士の恋愛を挟まない絆とかつながりのことで、例えば師弟とか友情とかそういう純粋な関係性のことなんだけど」


「ん? それがこの文脈の中でどういう意味を持つんだ?」


「ホモソーシャルについての詳しい説明は長くなるから割愛するけど、つまり『シスヘテモホソ野郎』っていうのは、多様性に興味も理解もない典型的なマジョリティ側の男性のように見えるってことが言いたかったんだと思うよ」


「……それ、俺に1ミリも伝わってないけど?」


 そもそも伝わると思って発言していたのだろうか。すると、またしても苦笑いを浮かべるミライ。


「試したんだと思うよ。意味が全く伝わらなかったとしたら、やっぱりユウはまだ何の知識もない人ってことになるし、逆に意味が分かったら一定の知識はあるってことになるから、改めてその前の発言についての議論ができるでしょ?」


「なるほどね。にも関わらず、俺が斜め上の発言をしたから予定が狂ってちゃぶ台返しってわけか」


「まさに天地がひっくり返るような衝撃だったろうね」




 そんな話をしていたら、あっという間に時間が経過していた。店を出て帰る道中で、俺は決意を新たに話を切り出した。


「今までの話を総合するに、俺にはこの分野に関する知識が足りないと思った」


「ふむふむ。それで?」


「これでは丸腰でボス戦に挑むようなもの。よってレベル上げが必要かと」


「レベル上げ」


「つきましては、知恵の実的な何かを恵んでください」


 ミライに頼り切っていることは情けないことこの上ないが、他に有識者の知り合いもいない俺は藁にも縋る思いだ。すると、ミライは俺のノリに合わせて恭しく一冊の本を取り出した。


「よかろう。では私の持っている賢者の書を貸してあげましょう」




 こうして俺は次のコウとの決戦にそなえ、賢者の書もといジェンダーやセクシュアリティに関する入門書をミライから借りて読むことにしたのだった。

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