第13話 能力
ブチっと何かが切れたような、今まで懸命に抑えていた蓋が圧に耐え切れずに外れたような、視界にかかった透明なモヤが裂けていくような、今までにない変な感覚があったのを覚えている。
次には、鳩尾の辺りから心臓の辺りに沸き上がる黒い黒い影のようなモヤ。
それが分散して。右手に、左手に、右足に、左足に。頭の先から爪先まで私の体を満たしていった。そんな感覚。
「テレサ様」
アシビが向かった先、つまりは騎士然とした2人の奥、数歩先。
そこにテレサがいて。そいつは、私の心の奥底から湧き上がる黒いモヤが殺してしまえと囁き続ける憎い対象で。
微笑むテレサと目が合ってからはもう、身体の抑えが効かなかった。
影が煮え立つ。
私の影が沸騰したお湯のように。ブクブクと気泡が飛び跳ねるように影が煮え立って、その勢いを加速させそのままテレサに向かっていく。
「テレサ様!」
騎士然とした2人が私を抑えていた手を放し見事な早業で素早く剣を取り影を切る。
紙のように容易く切り落とされた私の影は、その場に落ちてするすると蛇のように体をくねらせて私の足元に戻っていく。
それからすぐにまた煮え立ち飛び跳ねてテレサの元へと向かっていった。
その繰り返し。
「くっ」
「き、貴様ぁ! 一体何を……! 何をしておる! 姫様にそんなものを向けるなんてっ! ふざけるでない! 姫様っここは危のうございます! 早くあちらへ!」
騎士然とした2人がテレサに影が及ばぬように剣を持って乱舞している。
何やら手元に力を込めようとしている様子だったけれど、その僅かな隙に私の影達がテレサ目掛けて飛び跳ねるのでその対応に追われ、すぐに力が離散しているようだった。
テレサはと言うとこちらを見たまま身体も表情も微動だにしない。微笑んだままこちらの様子をただ楽しそうに眺めている。
「エリ様、いささか行儀が悪いのではございませんか?」
「!」
キィィン、と静かで甲高い音が響く。
初めにその音に気が付いて、次に気づいたのは頬の熱い感覚と頬を伝う液体。その次に気が付いたのは私の背後の壁が崩れるような音。
不用心だと思いながらも我慢できず振り返ると、廊下の奥の突き当りの壁に
そこまでいってようやくテレサを守るように立っているアシビにナイフを投擲されたことに気が付いた。
「癇癪を起す子供のような真似は辞めていただきたいですね。仮にも私が仕える人なのですから。恥ずかしい」
「アシビ……」
私の左耳にだけ響き渡っている甲高い音はどうやら耳鳴りのようだった。鳴り止まない耳鳴りに煩わしさを感じて小さく頭を振る。
「何をしてる! もう殺してしまえ! あんな女の代わりなぞいくらでもいる! さっさと殺すのじゃ!」
「
「この状況で落ち着いてなんかおれませぬ! 姫様! 早くあちらへ移動しましょうぞ!」
足りない。
私の影だけじゃ足りない。
影に意識を向けてみても、今のペースで攻撃するのが精一杯のようで何も状況は変わらない。
あ。なら自分以外の影を使えばいいんじゃない?
そう頭に浮かんで、騎士然とした2人の足元の影を見る。
うん、いける。何故だかそう思った。
「なに!」
「貴様っ」
騎士然とした2人の足元にある真っ黒な影を煮え立たせて垂直に登らせる。
足の影は足に巻き付いて、腕の影は腕に巻き付き始めた。
そのまま影と本人を結んで固定する。
「な、なにをしているんじゃ貴様ら!」
その声に反応するように2人は体を動かそうとするけれど、数センチ動くだけしかできない。自らの影で地面に縛られて動けない。
私の影と数分乱舞して体力を消費した後だから振り切ることもできないだろう。
何故だかそんな確信がその2人の影から伝わった。
なんでだろう。自分の身体の一部のように影の限界が分かる。
そうして目の前の乱舞する2人が動かなくなって、ようやくテレサとアシビがよく見えるようになり私の影がこれ幸いと次々にテレサの元へと飛び掛かった。
「エリ……貴女は本当に私を喜ばせるのが上手ね」
気に食わない。
自分が狙われている今この瞬間も私に微笑んで余裕な態度でいるその姿も。
小さな子供達を異世界から誘拐して自分の為に戦わせるその腐った性根も。
全部が気に食わない。
そうテレサを想うたびに心がドクドクと黒さを増していく。
殺したい。どうしようもなくテレサが憎い。
でも私の影がテレサを貫くこともなく、アシビがいとも容易く私の影をナイフで切り裂き、アシビの足元に私の影が落ちていく。
落ちて、私の影に戻っていき、また飛び掛かる。そしてアシビに切り落とされて、また私の元へと戻ってくる。それをずっとずっと繰り返す。
「はぁ……切りがありませんね……テレサ様。もう終わりにします」
そうアシビがテレサに断って、それを見ていた私が瞬きを1つする。
目を閉じて、開く。その1秒にも満たない動作の内にアシビが目の前にいて。
「ぅ、」
「同じ芸当ばかり、心底飽きました」
冷たい表情を浮かべるアシビの軽く伸ばされた片手から風と呼ぶには攻撃性がありすぎるものが吹き出て、私の身体が遥か後方へと吹き飛ばされていく。
両足が浮いて上体を起こすこともできないまま、訳の分からぬままに廊下の奥の奥の奥、突き当りの壁に思い切り衝突した。
「ぐっぅ」
呼吸が止まる。
「絶対に、殺してはいけませんよ」
「……畏まりました」
「何を言いますか姫様! こんな奴さっさと殺してしまいましょうぞ!」
「爺や、 水を使わないで能力が発現したのですよ、それがどういう意味かは分かっているでしょう?」
「し、しかしですなぁ! こんな危ない奴を――」
そこまでしか聞けなかった。
ジクジクと痛む背後と、妙に重く苦しい身体の中心に居座る何かが、私の瞼をゆっくりと閉じさせようとしている。
なのにその身体の中心にいる奴は『動け。殺せ』と囁き続けているものだから心が煮え立つ。掻き毟りたい程に、叫び出したい程に不快な感覚だった。
そんな気持ちの悪い感覚に溺れている中騎士然とした2人がこちらに走ってきたことと、吹き飛ばされた壁から私が重力に沿うように地面に落ちた所まで何とか堪えて覚えていたけれど、地面に倒れた衝撃から先の記憶はない。
私としては堪えきれずに一瞬だけ瞼を閉じて、間を開けずすぐに瞼を開けたつもりだったのだけれど、次に瞼を開けた時には、宛てがわれた自室のベッドに横たわっていた。
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