第9話 「何言ってるんですか、ここが貴女の家でしょう」

 アシビに先を譲り案内されてから数分。数十分も迷いに迷っていたのが嘘のように、簡単に私の部屋に辿り着いた。


 これから私の自室になるこの部屋の中にはベッドとベッドサイドのテーブル、物書き用の机に椅子。そしてクローゼットがあり、誰かが掃除した後なのかドアの反対側にある窓は開いていて、風がそよそよとカーテンを靡かせている。


 案外広い。


「階段下の物置部屋並みの大きさだと思ってた」

「召喚してきた異世界人をそんな所に住まわせたら不満が溜まって異国に逃げるかもしれないでしょう。しょうがなくです」


 この駄メイド、異世界人に当たりが強い気がする。


 それは置いといてこれからどうしようか。

 ご飯は食べるとしてその後は? テレサからは食事のこと以外特に何も言われなかったし、私の能力もまだ開花していない状態だし今はまだ訓練もする必要はない。

 あれ、この世界って魔法もあるんだしモンスターもいる?


「ねぇ、この世界って――」


 その問いをぶつけるため、アシビに振り返った瞬間視界が揺れた。

 何が起こったのか分からないまま、気が付けば背中に柔らかい感触、目の前にはアシビの冷たい無表情と、首筋には体温の冷たい掌が巻き付かれている。

 それらを見て私はアシビに首を絞められているということを理解した。


「な、」

「あの時。あぁ、ほら、貴女が召喚された時です。私はその場にはいなかったのですが……噂を聞く限りどうやら貴女はテレサ様に掴みかかったようですね」


 順々に力を籠められる手と首の間に指を入れて何とか気管を死守しようとする。

 けれど廊下を急ぎ足で歩いて数十分で息が切れるほどの私と、顔色1つ変えず呼吸も乱れずに私の後ろを歩いてきたアシビとでははっきり言って力の差が明確だ。

 アシビは私の首を守ろうとする指を意に介さずどんどんと力を込めていく。


「この、っ」

「それを聞いて私は……貴女の専属使用人になろうと決めたのです」


 私の抵抗がおかしいのか、思い出し笑いなのか、アシビは片側の口元を歪めて笑った。

 

「貴女が召喚されて、さぁ此度の専属使用人をどうしようかという話になった時……あぁ、普通は皆さん争奪戦なんですよ? 普通の使用人と異世界人専属の使用人なら異世界人専属の使用人の方が格上ですから。でも……貴女って本当に人気がなくて助かりました」


 弾むような口調とは裏腹にアシビの両手は私の首に食い込まれていく。

 そろそろ息が苦しくなってきた。


「ぅ、」

「ねぇ、私がなぜ貴女の専属使用人になったか、その愚図な頭でも分かりますか?」


 顔に風船が膨らむかのような圧迫感が溜まっていく。

 アシビの手と私の首の間に挟んでいた両手はもう外れて、今はアシビの手に爪を立てるだけしかできなくなっていた。


「テレサ様に貴女が掴みかかったのであれば、私は貴女の首を絞めようと。そう思ったんです。野良犬上がりの飼い犬はちゃんと躾けないと主人の手を噛むでしょう? 私が野良犬の専属使用人となり、罪を犯すたびに罰を与えようと思いまして」


「は、ひゅ、」


 視界が暗い。息ができない。苦しい。

 もう爪も立てられない。力が抜けていく。


「しかし私って躾が下手くそなんですよね。何せ躾なんてするの初めてですから……はは、苦しいですか?」

「、っ、あ」


 私の顔を覗き込むように見下した後、一気に顔の圧迫感が消えた。


「はぁっ、」


 固くなっていた首元が柔らかくなって、無くなった物を取り戻すかのように一気に呼吸を取り込もうとする。


「ごほっ、ごほっ……はっ、は、」


 突然の変化に驚いた気管支が咳を繰り出すのも意識の外で、私は必死に酸素を取り込んだ。

 アシビに背中を見せ、肘をついたうつ伏せ状態で必死に呼吸を続ける。酸素も十分体に行き渡っただろうという状態になっても、私の体はパニック状態に陥ったかのようにまだだ、まだだと呼吸を求め続けた。


 アシビの冷たく見下ろす視線にも気づかずに、ようやく文句の1つもいえる状態になったときに喉元の痛みと体の痺れに気が付いた。まだ全然体に力が入らない。


「ふざ、けんな」

「あぁ、やっと落ち着きましたか? そのまま呼吸困難で死ぬのかと思ってましたが、どうやら持ち直したようで残念です」


 何か言い返そうかと思ったが言葉が出てこない。やっぱりまだ脳に酸素が回りきっていないのか。

 仕方なく睨みつけるだけで敵意を伝えたがアシビはまたしても意に介さなかった。


「覚えていてくださいね。貴女が主人であるテレサ様に歯向かうたびに、私は貴女を躾けます」

「なんでそんなに……」


 躾という言葉に人間としての尊厳が傷ついたような感覚を覚え、激情のままに罵倒を口にしようとしたけれど、実際に口から出たのはフワフワとした言葉だった。

 しかもそこまで言ってまた二の句が見つからない。必死に脳内をかき回したけど出てこない。もういいや。口を噤んだままに私はそのままベッドに横になった。


 言い返そうにも言葉は出ない。暴力に頼ろうとしてもアシビにはどう足掻いても勝てそうにない。ならもうふて寝するしかないでしょ。もうさっさとこのサイコパスバイオレンス駄メイドには出てってもらおう。


「はぁ? 寝るんですか? 今はまだ日が昇っていますよ。愚図すぎて時間間隔さえも分からなくなりましたか?」

「うるさい。もう寝るからどっか行け。じゃま」

「それは無理です。私の部屋もここなので」

「はぁ!?」


 思わず起き上がる。

 アシビと視線を合わせたらアシビは無表情のまま部屋の片隅を指さした。

 釣られてその指の先、指し示したほうを見ると私の部屋の中にもう1つのドア。

 まさか。


「うそでしょ」

「専属使用人ですから。朝から晩まで貴女を見守りますよ。ご安心ください」

「嘘でしょ……」


 アシビがまた意地の悪い笑みで私を見下す。

 ここまで、ここまで最悪のことが人生で連続していいのか? 神様は私を地獄に突き落としたのか?

 

「もう嫌だ。お家帰りたい」

「何言ってるんですか、ここが貴女の家でしょう」

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